国体護持という言葉がありますが、その国体です。
国民体育大会をどうしてそんなに大事にしなければいけないんですかね。
日本は、スポーツ立国かなにか?
という冗談はおいといて、国体って何?
国家体制みたいなもんかな。
どうも、これが元凶のようです。
日本という国は「国体」なんてものを守るために、国民が犠牲になることがわりと普通に考えられちゃう国なわけですね。
しかし、国体って何?国の体制か何かだとして、それっておいしいの?
そんなに大事なの?
だいたい、国家なんていうのは、社会の枠組みのひとつの形態に過ぎないんだし、ぼくらが参加している社会は国家だけじゃないです。
領土だとか言っても、国民がいなければ無意味なわけですからね。
「愛国者」様たちは知らないかもしれないけど、国境などというものは人間の脳内世界にしか存在しないのです。
宇宙から地球を見たら、国境なんてないんだよ(笑)
まあ、参加している社会がそれぞれよりよいものであるに越したことはないんだけれど、国家だけにこだわるのは異常でしょう。
すくなくとも、腐っているのに必死に守る類のものではないし、他の社会との関係や個人のいろんな部分を犠牲にしてまで守る類のものでもないです。
と、思うんだけど、なぜか「国民」にたいして偉そうな人たちがいるんですよね。
国に文句を言うと、「反日」という人たち。
文句を言っている人も日本の国民、つまり「日本」のはずなんだけど、なぜか彼らにとっては違うんですね。
国民とは別の「国体」というものが存在して、国民はそのために生きるのだ、あるいは死ぬのだ、という感覚の人たちがいちゃうわけですね。
そんなものはないです。
国民が不幸になるのは国家が不幸になることなのです。
ところで、特攻を世界記憶遺産にしようという動きがあるんですね。
なんですか、文部科学省のこれに対する担当者がNHKのあの籾井会長の娘なんだって。何この国?
マイナスのものも世界遺産にはなるんだけど、特攻を世界遺産にするならアルカイダの自爆テロもやったらいいんじゃね?
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