Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。レイシストお断り)
Martian Official Weblog



「大同小異」の話です。
元来の意味は特に教訓的なものではなくて、「世の中にはおおむね同じで細かいところが違うことがある。(一方、全く違うこともある)」という「である(ザイン)」の説明ですかね。
「荘子」の話のようです。
これが日本に来てどういうわけか「小異を捨てて大同につく」という「べき(ゾルレン)」になったんですね。
この辺りが実に日本風な気がしますが、現代の日本ではさらに解釈がおかしいんじゃないの?という方向に行っているのです。

タイトルに書いた「小異を残して大同につく」というのは野党共闘のようなものを思い浮かべるとわかりやすいと思いますが、各党には政策面などで考え方の違いが当然あるはずですね。
どこも違わなかったら同じ党でやるでしょうから。
しかし、どうしようもない自公政権を止める(まあ、少なくとも好き勝手にやらせないレベルに達することは必須です)という目標は共通ですから、それが大同で、各政党の独自の考え方はそれぞれ残しておいて、大同のほう、主たる目的を達した時に考えたらいいと。

ところがですね、「小異を捨てて大同につく」だと捨ててしまうのですから、違いがなくなってしまうんですよ。
しかし、実際にはいろいろ違いがないわけはないので、この小異を捨てるという感覚は日本においてかなり雑な世界を作り出しているんですね。
もともとは、「細かい違いがある」というだけの話で、それを「捨てろ」とは言っていないんですね。
それが、「意見の多少の違いは無視して、大勢の支持する意見に従うこと」というレベルまでニッポン化しているんですよ。
こうなると元の意味とは全然違うでしょ。
そして、どう考えてもまともな教訓にはなりえないですよね。
「長い物には巻かれろ」と同じような世界になっています。
この解釈はあり得ないと思いますが、個性のない普通の日本人というのはこういうことなんでしょうね。
正しいかどうかではなく大勢が支持する意見と。まあ、大勢を体制に書き換えても今の日本ではそのまま通じると思いますが。

今日は「タイトルに都市名が入っている」特集。

まずはイギリスの都市。
Haydn - Symphony No. 104 "London"

Marie Laforet - Manchester et Liverpool

続いてモーツアルトともに巡るEUの街。
Mozart - Symphony No. 31 "Paris"

Mozart - Symphony No. 36 "Linz"

Mozart - Symphony No. 38 "Prague"

あとこれ。
Dschinghis Khan - Moskau

アジア。
沢田研二 - TOKIO

Billy Joel - Goodnight Saigon

メリケン。(自民党は米利犬)
Billy Joel - New York state of mind
ニューヨークはいっぱいあって悩みますが。

Scott McKenzie - San Francisco

Frank Sinatra - Chicago
シナトラはこっちに登場。

Missing Persons - Walking In L.A.
LAは割とないんですね。たいてい「カリフォルニア」になってしまう。

Boston - Boston
アルバムのタイトルが。

「ケルン・コンサート」はさすがに反則だと思って不採用にしました。

ブログランキング・にほんブログ村へ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )