官兵衛の息子黒田長政の初陣は天正10年(1582)、秀吉の中国攻略に官兵衛とともに従ったのが初陣である。長政14歳であった。天正17年官兵衛の隠居に伴い家督を継ぎ豊前中津12万石を襲封する。22歳であった。 . . . 本文を読む
村重は9月2日の夜有岡城を脱出した。その後城は、主がいなくても持ちこたえていたが10月15日陥落する信長が出した条件は息子が守る尼崎城と属城の花隈城を開場すれば、有岡城に残してきた妻や一族郎党や家臣を助けるという条件を出したが、村重ははねのけた。降伏を上申する家臣団の意見を段として、はねのけた。 . . . 本文を読む
官兵衛の長男松寿丸は秀吉のもとで人質生活をおくることになる。秀吉は官兵衛に人質の身の安全を約束する起生請文を書いているが、戦国時代のことこのような文書があっても人質は人質でしかない。 . . . 本文を読む
村重の誤算は、たよりにしていた中川清秀と高山右近が信長の調略で信長方に寝返ってことである。毛利の援軍もなく、古今奮闘することになる荒木村重であったが、戦闘の前、光秀の娘を坂本城に返し、右近の妹と子供も解放している。 . . . 本文を読む
15年の大河は吉田松陰の妹の生涯を描いた[花燃ゆ]井上真央主演で決まっていますが、16年の大河も決まりました。三谷幸喜脚本で[真田丸]です。時代劇では人気のある真田幸村をもってきました。大河ではある程度の有名人を持ってこないと、視聴率は取れません。来年の大河は吉田松陰の妹の話では八重の桜の二の舞にならないか心配です。 . . . 本文を読む
天正6年10月、荒木村重の従弟(茨木城主、中川清秀)の家臣が石山本願寺にコメを売ったことから、国主、村重も本願寺と内通していると信長に疑われる。信長は村重に母を人質にだし、安土に弁明に来れば許すといわれた。一度は従う気を見せたが、高山右近、中川清秀の意見を聞き入れ、信長を裏切ることになる。 . . . 本文を読む