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そんな死の商人の中でもヘンリー兄弟は東北諸藩を相手に大もうけした商人である。
ヘンリー兄弟は、1861年ごろ、横浜で牛乳売りの商売をしていたが、やがて武器販売も手がけるようになる。兄弟が売りつけた武器で有名なのは長岡藩の家老河合継之助に1門5000両で2門、小銃2千挺を売りつけている。
会津藩にも鳥羽伏見の戦いの後、小銃800挺を売りつけている。その功績が認められ、兄のヘンリーは会津藩の軍事顧問と成り、日本名(平松武兵衛)の名が与えられた。平松は日本語が堪能で年は30歳ぐらいと記録に残っている。
東北諸藩相手に大もうけしたヘンリーも、戊辰戦争が終結すると没落する。そこで、ヘンリーは明治2年(1869年)に会津藩の元藩士とカルホルニアに渡り開拓事業を始めるが資金なんで中座して、再び日本に金策に向かったが、その後の足取りは不明である。
ゲーベル銃
火縄銃と同じだが点火が火縄から硝石になった。オランダから輸入された銃でのちに国産化が図られた。発砲時の衝撃が大きい。戊辰戦争時の会津の主力銃、
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