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渋沢栄一と横浜

2021-04-14 05:30:50 | 歴史

1859年の日米修好通商条約で神奈川、長崎、函館の港が開港された。ただ米国のハリスが理解していた神奈川とは東神奈川の事で、幕府の横濱とは隔たりがあった。東神奈川宿は人々の往来が激しく、外国人を遠座ける必要から、当時は辺鄙な地にあった横浜を一方的に開港したのである。開港当時、横浜を長崎の出島状態にしようともくろんでいた。外国人居留地を関内に閉じ込め、その外を関外として、管理しようとしていた。この関内という地名は今でもJR関内駅として残っている。


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