トゥリアン窯跡は発掘された状態をそのまま残して、屋内で保存管理してありました。到着したのが閉館時間を過ぎていたので、「もう見られないかも」と思っていたら、「どーぞー」と見学の許可が下りました(こういうところは、タイのいいところだ)。
焼き物に関する知識が全くないので、本物を見ても図解を見てもイマイチ理解できなかったのですが、どうやらもともと川辺の勾配を利用した簡単な窯が時代を経るにつれて技術が向上していったようです。この窯跡が重要視されているのは、発掘した地層から、どのように技術革新が進んで行ったかが分かるという点にあるようでした(たぶん。よく分からないままです、すみません)。
当時のサンカロク焼き工房では、日常生活用品(水差しや民間信仰儀式に用いる人形など)から中国風の絵付けが施された豪華な花瓶、さらには水道管まで(スコータイ時代には水道設備があったそう)さまざまなものを生産していて、日本にも輸出されていたそうです。
スコータイ県中心部から少し離れたところにSangkhalok Museumがあります。わたしは今回は行かなかったのですが、友人によると陶器に関心がある方には、展示数も多く、大変興味深いミュージアムだったとか。陶器の写真がないのが残念です(興味のある方、ごめんなさい)。
それにしてもこの地層跡、淡路島の震災記念館を思わせるようなかんじで(地層を掘ってるのだから当たり前といえばそうなのだけど)、ちょっと複雑な気持ちになってしまいました…
焼き物に関する知識が全くないので、本物を見ても図解を見てもイマイチ理解できなかったのですが、どうやらもともと川辺の勾配を利用した簡単な窯が時代を経るにつれて技術が向上していったようです。この窯跡が重要視されているのは、発掘した地層から、どのように技術革新が進んで行ったかが分かるという点にあるようでした(たぶん。よく分からないままです、すみません)。
当時のサンカロク焼き工房では、日常生活用品(水差しや民間信仰儀式に用いる人形など)から中国風の絵付けが施された豪華な花瓶、さらには水道管まで(スコータイ時代には水道設備があったそう)さまざまなものを生産していて、日本にも輸出されていたそうです。
スコータイ県中心部から少し離れたところにSangkhalok Museumがあります。わたしは今回は行かなかったのですが、友人によると陶器に関心がある方には、展示数も多く、大変興味深いミュージアムだったとか。陶器の写真がないのが残念です(興味のある方、ごめんなさい)。
それにしてもこの地層跡、淡路島の震災記念館を思わせるようなかんじで(地層を掘ってるのだから当たり前といえばそうなのだけど)、ちょっと複雑な気持ちになってしまいました…