以下の書評では特に、書評者が慶応大学の3年生であり、しかも名前から判断すれば女性であろうことにも読者は、目からウロコが落ちる思いがするだろう。
だが、私は、朝日や毎日、或は前記のようなNHKの中の札付きの活動家たちなどの偏向報道は、共産党や総評等に加えて、…元東大教授の酒井信彦さんの名著を引用すれば…虐日偽善の塊である朝日新聞的な思想の持ち主たちに拠るものであることを知っているのである。
何分、私は、毎日のように、京都市内で学生たちを観ている…実は、当然ながら、今の学生の中では、彼等がテレビに登場させているような学生は全くの少数派なのだ。
シールズなどと妙な名前をつけた集団の中に、東大や京大などに代表される、日本の本当の優秀選手たちは殆どいないのである。…これを多数派であるかのように放映し報道する、朝日を筆頭にした日本のメディアの報道は、もはや許し難いほどに酷いのである。
私が実際に知っている学生の実態については、後日、書くが…以下の書評者である、山本みずきさんは、全く当然に、私の論説の正しさを証明しているだけではなく、…一昨年、8月に、いわば、神の断罪が下り、朝日の事態が、白日の下に晒された今は、日本の本当に優秀な若者たちが、文明のターンテーブルを進展させる事をも証明している。
題字以外の黒字強調は私。
大東亜戦争「失敗の本質」
日下公人、上島嘉郎著(PHP研究所・1500円+税)
丁寧に未來への教訓を探る
歴史上の事実は純粋な形式で存在するものではないことを人間は忘れがちである。
広範な資料に基づいて研究された歴史も、客観的な事実とはいえず、書き手の心を反映したものだと言ったほうがふさわしかろう。
だからこそ、多面的な“事実”に触れた上で自ら判断することが重要なのである。
あらゆる物事はさまざまな人間の視点を背景に成り立っているにもかかわらず、世間は一方的な論調であふれかえっている。
例に漏れず、日本における戦争の歴史教育は一面的である。エンターテインメントの分野ならそれは許される。
しかしなぜ、教育においてまで一面的な視点に終始するのであろうか。
大山巌という人物は日露戦争中に満州軍総司令官として活躍するが、教科書では陸軍大臣を務めた人物として描かれる。本書にも登場した児玉源太郎は、教科書ではあくまで台湾総督として語られる。
東郷平八郎が語られずにバルチック艦隊撃破が語られてい
るのは、例えばトラファルガーの海戦でネルソンの名が語られないで歴史が書かれているようなものだ。
日本の歴史教育は、教育者がA君とB君の喧嘩に際して、A君の話だけを聞くような態度である。
昨年は終戦から70年の節目を迎えた。
8月に安倍談話による歴史総括が発信され、年末には安倍首相直属の「歴史を学び未来を考える本部」の初会合が開かれた。
今後、日清戦争から第二次世界大戦後までの歴史が検証されることになる。
こうして日本が過去の歴史を顧みる先には、教訓によって国際秩序の安定に寄与する姿勢が必要だ。
本書『大東亜戦争「失敗の本質」』には、そうした教訓が随所にちりばめられている。
対談者の豊富な知識に裏打ちされた話には、歴史人物の心情や時代の空気に寄り添う姿勢が一貫して感じられた。
そして日本外交の失策を鋭く指摘しながらも、数々の決断の裏にある国際社会の複雑性を丁寧に分析し、未来への教訓を探っている。
画一的な言論空間に支配された思考様式から距離を置き、時代の流れを肌で感じさせる力を本書は秘めている。
評・山本みずき(慶応大3年・IRONNA特別編集長)