以下は前章の続きである。
次に、第二型。
すなわちメディアがトランプ怖ろしの気分にあること。
メディアは、政治批判が看板であるのに、政治の現況の変化を恐れている。
その恐怖感の極致こそ、まずは戦争の恐怖である。
ただし、中近東の騒ぎなどどこ吹く風、関心はひたすら東北アジア。
具体的には中国との軍事的緊張である。
もちろん、北朝鮮の核ミサイルも恐怖の一つであるが、それは抑えられるという〈希望的期待〉で話をごま化している。
韓国は日本に攻めこんでこないと勝手に決めこんでいる。
結局、中国との軍事的紛争という恐怖がある。
その恐怖がもし現実化したとき、トランプが日本側につくのかどうか不明という〈トランプ怖ろし〉気分がメディアにある。
情けない。
自国は自国が守るという国家の基本を心得ているメディアは少ない。
我が国への中国の侵略が発生したとき、大半のメディアは、日本の反撃など言わず、ひたすら日米安保条約の適用、つまりはトランプ大統領への哀訴を書きつらねることであろう。 以上のようなことを、老生、ここ1ヵ月のメディアの発言から受け止めている。
それを整理して言えば、メディアは、自分らは高級な知的集団で偉いのだ、トランプは無教養の愚者だと断ずる独りよがりの世界から発言していることに帰す。
その傲慢さから来るのであろう、自分らの意見の矛盾に気づいていない。
その矛盾は、日本の左筋の発言とみごとに重なっている。
例えばこうである。
メディアの大半は基本的に反米である。
これは、ナショナリズムからする反米ではない。
すでに崩れたが彼らの祖国(旧ソ連など)が屁理屈をつけていたアメリカ帝国主義反対の流れである。
つまりアメリカは帰れ、である。
ところが、トランプ政策が、アメリカは世界の警察であることをやめ、アメリカ本土の繁栄にもどろうとする姿勢を打ち出してきたのを見るや、なんとアメリカの内向き(アメリカ本土中心)はいけない、もっと国際的になれと言い出している。
これは、アメリカ、居て頂戴、という話。
時にはアメリカ帰れ、時にはアメリカ居てよ、と自分の事情でくるくる立場を変え、それを矛盾と思わないのが、左筋の弁証法的態度である。
そこに在るものは、無限の御都合主義という無思想である。
古人曰く、末(梢)〔異常に〕大なれば、〔木は〕必ず折れ、〔動物はその〕尾〔が〕大なれば、〔自由に〕掉へず(振り動かせない)、と。