文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

Numbers of ‘43 thousand left behind’ and the argument are also great lies.

2018年02月17日 22時41分56秒 | 日記

The following is the sequel of the preceding chapter.
Breaking Takagi Kenichi lawyer became a plaintiffs defense head in 1975 - in 1989 and against the Japanese government was woken up by Sakhalin suit.
The plaintiff maintains that it is 'Japan took 43,000 Koreans to Sakhalin, forcing and made only a Korean left after the war Japanese Government should take these consequences'.
It was the problem that the complicated situation in USSR which occupied Sakhalin, tearing Japan and the Soviet Union mutual nonaggression treaty originally and then Korean Peninsula which was cut off north and south twines and the responsibility in Japan was the suit by it should not be possible to be asked but to search into the postwar compensation in Japan by it.
Twice in 82 years, Mr. Yoshida is testifying that it is 'it took 204 young women, going to Jeju Do and it sent them to Sakhalin, too,' and so on, appearing to the court.
It covered at the author Mrs.Arai Sawako of 'why can the Korean on Sakhalin not return' ( Soshisha Publishing Co., Ltd ) who served as the Sakhalin reunion support meeting representative last year.

Arai ‘To bring out post-war compensation, they rope in until Yoshida Seiji, I think how could they have prepared such a trial.

There were very few people who passed from the Korean Peninsula to former Karafuta, and at that time they were obliged to be accompanied by Japanese nationality. Most people are hired by high wages and aimed at new field, forced entrainment is a big lie. Numbers of ‘43 thousand left behind’ and the argument are also great lies.’

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不審船報道を批判し北スパイを否定した『朝日新聞』紙の記事からも、その深さが読み取れる。

2018年02月17日 22時14分05秒 | 日記

以下は前章の続きである。      

◇ 

かつてマスコミに工作員として報道された経歴を持つ在日の方から「世界の共産党のなかで、拉致をしなかった共産党が存在するのかね?」と、問われた。 

旧ソ連共産党の拉致行為は有名である。

それで相槌を打つと「拉致行為を謝った共産党が存在するかね。ウリナラだけだろう!」と畳み込まれたものだった。 

旧ソ連の対日工作の闇は深い。

不審船報道を批判し北スパイを否定した『朝日新聞』紙の記事からも、その深さが読み取れる。

 

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その中で明らかにされるのは、1960年代に新日本窒素が北朝鮮を支援した技術が筒抜けになっていること

2018年02月17日 22時12分06秒 | 日記

以下は前章の続きである。

北朝鮮は何故に3組のアベックを拉致したか? 

金日成は北朝鮮の核開発をソ連に学ぶことから始めている。

これらは両国の「科学技術協力」の議事録からわかる(木村光彦編訳『旧ソ連の北朝鮮経済資料集』知泉書館による)。

だが、木村氏の訳したソ連側の議事録から浮かび上がるのは、科学技術協力がソ連から北朝鮮への一方通行ではなかった、という事である。 

その中で明らかにされるのは、1960年代に新日本窒素が北朝鮮を支援した技術が筒抜けになっていることである。

更に、朝鮮総聯が祖国への貢献で誇った幾つかの技術も筒抜けであった。

つまりソ連は北朝鮮へ物を与える代わりに、日本からの先端技術を北朝鮮経由で吸収していたのだった。 

実は阿部雅美記者が取材した3組アベック拉致行為に共通するのは、原子力発電所(以下原発)立地地帯だと云うことである。 

若狭湾の美浜原発は1967年着工、70年の大阪万博に送電している。新潟の海岸には東京電力の原子炉建設許可が75年に出て、柏崎刈羽原発の建設着工は78年であった。

薩摩半島西海岸の川内原発建設に伴う、原子炉設置許可は77年に出ている。

そして3組の拉致はともに78年である。 

チェルノブイリ原発の事故は86年に起こるが、それは建設されていた原子炉に問題があった。

ソ連は建設過程にある日本の原発の情報が是非とも必要であった。ソ連と北朝鮮は年々科学技術協力の会議を重ねている。

ソ連独自の調査も重ねられていたであろうが、北朝鮮もソ連へ原子力施設の調査協力をすることで得るものは大きいと踏んだのであろう。 

北朝鮮の潜入工作員に求められた任務は、日本の米軍基地、自衛隊の兵力配置と装備の現状、特に原水爆関係の調査であった(前掲『朝鮮問題知識のすべて』)。

そこには北朝鮮の自発的意思だけでなく、ソ連からの要望もあったと推定される。 

それは3組のアベックの拉致行為が冷戦下、西欧に張り巡らせたソ連スパイ網の建設手法に合致するからだ。

その手法は、調査目的の周辺からアベックを拉致していたことを指す。

ソ連は西欧の重要拠点の周辺の言葉と風習を習得し草(長期残留諜者)を配置した。

言葉と風習の取得には、男女1組の拉致が欠かせない。 

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この記事が拉致問題の解明を遅らせた罪は大きいが、朝日新聞社がこの記事を撤回したり謝罪したという話は

2018年02月17日 22時06分42秒 | 日記

以下は前章の続きである。

同書の編集委員は玉城素、田駿、林建彦の三人であり、当時の林建彦氏の肩書はサンケイ新聞編集委員であった。

この工作員潜入ルートの転換を見抜き、アベック失踪事件との絡みで取材を重ねていたのが阿部氏であったといえる。

そこで彼の記事に危機感を抱いたのが日本に於ける社会主義信奉者たちであった。

北朝鮮からの工作員潜入を喧伝されることは、社会主義諸国への誹謗と見られたからである。 

確かに北朝鮮の対日工作はソ連の要求にも応えるものでもあったから、社会主義体制への批判に結び付くと考えられた。 

ソ連共産党は日本共産党(以下日共)と路線対立を起こしてから、北朝鮮の対日工作に依拠する部分が大きくなる。

80年代、ソ連の在日大使館職員と意見交換を行っていた現代コリア研究所の佐藤勝巳所長は、朝鮮人が下請けしている、と筆者に語っていた。

阿部雅美記者のアベック三組失踪事件の記事への反発は社会主義信奉者、いわゆる進歩派の人々から起こる。

その代表例として『朝日新聞』紙の高木正幸記者による「月曜ルポ 北朝鮮スパイは本当にスパイなのか」なる記事(同紙1980年8月11日付朝刊4面)が挙げられる。 

その内容は、不審船が兵庫県香住沖に出没したと云う住民情報で兵庫県警が捜査し、松戸市在住の黄博と住所不定の李基吾を見付け、外国人登録証の提示を求めたら、拒否したので逮捕した。

埼玉県警は「昨年4月富山市の海岸からひそかに北朝鮮に不法出国し、6月下旬ごろ福井県付近海岸から不法入国した」として、この2月(1980年)に喫茶店勤務の李龍雨を逮捕している。更に、李龍雨に北朝鮮行きを示唆したとして、喫茶店経営の朴一を大管令違反教唆容疑で逮捕する。これらの裁判過程を取材した高木正幸記者は、在日韓国人多数で構成する工作組織がある、と警察は発表するが、その後に検挙者は出ていない、と警察発表へ疑問を投げている。

これを受けて「北朝鮮スパイ事件というのは、非常に分かりにくい、奇妙キテレツな事件が多い」との、日本朝鮮問題研究所の佐藤勝巳事務局長の談話でいわゆる「公安情報」への疑いを深めている。 

しかしこの記事は「北朝鮮工作員」から押収されたラジオと暗号表の写真まで掲載しながら、大見出しで「せいぜいが密出入国」と掲げ、北スパイを否定するという「奇妙キテレツ」なものだった。

この記事が拉致問題の解明を遅らせた罪は大きいが、朝日新聞社がこの記事を撤回したり謝罪したという話は、寡聞にして知らない。

この稿続く。

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北のスパイはスパイじゃない? 朝日のトンデモ記事を告発する

2018年02月17日 22時00分10秒 | 日記

以下は前章の大高美貴さんの労作に続いて月刊誌「正論」今月号に掲載されていた、朝鮮半島問題研究家、元通産省技官、安倍南牛さんの労作からである。

北のスパイはスパイじゃない?

朝日のトンデモ記事を告発する

現在、産経新聞の阿部雅美元記者が同紙上に「40年目の検証 私の拉致取材」を連載している。

阿部氏は1980年1月7日付で「アベック三組ナゾの失踪」を『サンケイ新聞』朝刊のトップ記事で書いた。

この「外国情報機関が関与?」との記事は、北朝鮮の工作機関による拉致事件を初めて報道した記事となる。

この記事は関係者に衝撃を与えた。

直ちに、いわゆる日本の進歩派による反撃が始まる。

阿部記者の取材活動は「公安情報」に基づくもの、社会主義への誹謗を考える勢力を背景にした記事だと批判された。 

だが、当時北朝鮮に関心のある人々の間では、『朝鮮問題知識のすべて』(1977年版、実業の世界社)が読まれており、同書には北朝鮮の対日工作が詳細に論述されていた。

しかし、阿部氏が指摘した不審船の出没と日本人失踪事件を結び付ける記述はない。  

北朝鮮からの工作員潜入ルートは、初期の頃は中国の広東から香港を経由し、或いは上海から外国船にて日本へ入った。

この広東・香港、上海経由では北朝鮮の出先機関が船員手帳を準備して日本への密航を手助けしていた。 

その後に北朝鮮の情報機関が充実してくると、北朝鮮東海岸の遮湖、新浦港などから20~30トンクラスの漁船に高速エンジンを取り付け、山陰、北陸、東北の日本海沿岸から工作員が上陸している。

高速エンジンは、当時の北朝鮮では製造できない。 

この日本への密入国の転換を示す事例は昭和39(1964)年7月の三つのスパイ事件から証明できる。 

7月16日摘発の「李基芳事件」は赤色支那・香港を経由して英国船にて横浜港へ入っている。

日本の対韓援助計画、韓国の軍事情報を集めていた。 

7月24日摘発の「姜礼黙事件」は、自衛隊基地と日本の軍需産業の調査の任務を受け京都府伊根町から上陸している。 

7月29日摘発の「朴秀爽事件」は、中部地方の自衛隊を調査する任務を受け、秋田県八森町海岸から上陸している。 

朴秀爽以後に摘発された朴基華は兵庫県余部海岸、金東岩は石川県輪島海岸からの上陸であった。

これら摘発例は詳細に『朝鮮問題知識のすべて』に記述されている。

この稿続く。

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Eh! Compulsory entrainment? It's not a joke. We are not forcibly taken away

2018年02月17日 21時49分49秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

By the way, Mr. Oku visited an apartment building ‘Hope Village’ living in Sakhalin returnees who was built with Japanese budget last December, and talked with elderly people who returned from Sakhalin, but ‘Has your ancestor or you been forcibly taken to Sakhalin by the Japanese army?’, he asked and he was said, which everyone had a strange face saying 'Such a thing is impossible'.

Mr. Zhang Xian of 80 years old gladly wrote the name in kanji, he accidentally knew Kenichi Takagi lawyer and also interpreted him.

‘Mr. Takagi is a good Korean, but I followed the fine phrase.

Eh! Compulsory entrainment? It's not a joke. We are not forcibly taken away’, it is surprising because it answered.

By the way Mr. Takagi was awarded the national medal ‘Korea Order of Civil Merit peony chapter’ from Korea in 1989, and this is introduced in the Chinese brethren's evening newspaper No. 153.

"Mr. Takagi is a truly appreciated Japanese in the Sakhalin brothers who returned to permanent residence. Kenichi Takagi lawyer (...) When he started working as a lawyer in 1973, a Sakhalin Korean visited and requested assistance It has been an opportunity to work for more than 35 years with the interest of Sakhalin Koreans I. 35 years of his activities and accomplishments were very big (...) 70 cases against the Japanese government Japan's money used for compensation assistance against the Sakhalin Koreans will amount to 7.5 billion yen (2009)

This draft continues.

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Money that originally is not obliged to pay by the Japanese government

2018年02月17日 20時51分34秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

The mystery of Sakhalin suit emerges.

Arai: I saw an article called ‘Sakhalin Judge Executive Committee Wants Volunteers’ in a newspaper two or three years after the Sakhalin trial started, I went to the office and I was hired as a clerk in Mrs.M. who was the secretary general.

I quit in about a year, but after that I visited a lawyer who I knew by chance, Nakadaira Kenkichi, he said, a few years ago, Mrs. M came to visit 'I want you to become a force because I want to to make a trial with a human rights issue 'I was asked.

I declined to accept other trials as well,

After a while Mrs.M. also came and I was surprised to hear that 'Teacher, I request because 10 million yen could be prepared'.

Mrs.M. was the main body of connection with Korean religious groups and newspapers.

Arai: 'And now, Japan is about 8 billion yen or more in the Sakhalin issue, two years after the end of the Sakhalin litigation, including the Asian Women's Fund 4.8 billion yen, the Japan-Korea agreement 1 billion yen, etc., involved in the 1991 comfort women litigation, Money that originally is not obliged to pay by the Japanese government has been withdrawn from the national treasury and the Japanese continue to be defiled due to irrelevant charges.'

This draft continues.

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Most people are hired by high wages and aimed at new field, forced entrainment is a big lie

2018年02月17日 20時29分34秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

In the Sakhalin litigation from 1975 to 1989, Takagi Kenichi lawyer became the plaintiff group defense chief and was raised against the Japanese government.

The plaintiffs argued that ‘Japan should forcibly bring about 43,000 Koreans to Sakhalin, leaving only Koreans after the war, the Japanese government should take responsibility.’

Originally the Soviet Union who defeated the Japanese-Soviet Non-aggression Pact and occupied Karafuto,

It is a matter involving complicated circumstances of the Korean Peninsula divided into the north and south,

Japan's responsibility should not be questioned, but it was a lawsuit pursuing Japanese post-war compensation.

Mr. Yoshida appeared in the court twice in 1982 and testified that he went to Jeju and carried 204 young women and sent them to Sakhalin.

Last year, I covered Mr. Sawako Arai, author of ‘Sakhalin's Korean Why I could not return’ who served as Sakhalin Reunion Association representative last year.

Arai ‘To bring out post-war compensation, they rope in until Yoshida Seiji I think how could they have prepared such a trial.

There were very few people who passed from the Korean Peninsula to former Karafuta, and at that time they were obliged to be accompanied by Japanese nationality. Most people are hired by high wages and aimed at new field, forced entrainment is a big lie. Numbers of ‘43 thousand left behind’ and the argument are also great lies.’

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'Continuing to use false monuments is Korea's disgrace itself', but the remarks were not even

2018年02月17日 20時28分25秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

Mr. Oku's anger for conviction

Mr. Oku who corrected apology monument, appealed after receiving a condemnation.

Oku 'The court showed that apologizing monument has injured a property managed and used by a public office,' but if so, in what process the prosecution was not sufficiently proven. In the trial he made an opinion statement saying 'Continuing to use false monuments is Korea's disgrace itself', but the remarks were not even translated.

Even though the ownership of the apologizing monument is unknown, at the appellate court I appeal that the copyright of the inscription exists in the Yoshida family'

- Did Korea revive the false testimonies on the explanation board again?

Oku ‘That explanatory board is also outrageous, so that there was a strange movement in the public office that manages the explanatory board. Because my trial does not proceed at all, send a questionnaire to the public office in early November As a result, a representative from a public office told me ‘I would like to meet Mr. Oku by all means, but there are conditions, I contact with another coffee shop, not a public office, I would like to ask for complete confidentiality’ and there was an offer.

I declined it because of the fear that it would be reversely used if it was a private meeting, but if I think now, it may be that he wanted to hear my opinions on the explanatory board text.

- Has the ruling been reported in South Korea too?

Oku: Yes, about 10 Korean media companies came to the court for the interview. They came to me as well, but the Asahi Shimbun only came at the time of judgment but there was a branch office in Seoul, reported a short news it was just.

Originally the origin of the problem, that I or Yoshida first son reads the article of Asahi Shimbun and we have continued to think for 34 years that the apology monument built by Yoshida Seiji in personal.

They have not touched the construction process at all.

However, prosecutors issued evidence at the trial was a South Korean Sakhalin discrete family association apologizing monument construction application form. The Asahi Shimbun is 'The host of the unveiling ceremony will be held at the Tokyo district court and the family member association to which the plaintiff group of the Sakhalin residual Korean return case belongs' while reporting, they have not touched the construction process at all.

Did the Asahi wants to appeal so much that apologizing monument was built by Yoshida's individual intention?

The South Korean Sakhalin discrete family association includes the Sakhalin residual Korean society, and I want to pay attention to the fact that the Sakhalin problem overlaps with the comfort women issue again.

This draft continues.

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In other words, the origin of the comfort women problem is that it is based on the Sakhalin problem

2018年02月17日 17時25分18秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

"Oita Aoyagi Atsuko was a doctor's wife and adore to an anti-discrimination activist called Korean宋斗会in Japan. Aoyagi is an instigator who, together with Song, began a trial to apologize and compensate against the Japanese government "(Nishioka Tsutomu ‘The comfort woman problem to know well‘).

Ms. Aoyagi is the secretary general of the organization 'Official apology to Korea and Koreans. Hundred Committee' and in 1990, she visited Korea and filed a plaintiff recruitment litigation with a Japanese government counterpart.

Kim Hak-sun gave a name on the extension of this activity, as a result, the Asahi Shimbun reporter Takashi Uemura published 'It was taken to the battlefield under the name of a girl’s volunteer corps' (Asahi August 11, 1991 Day).

From the series of flows, you can see the connections in Japan 's movement, 裵順姫 ~宋斗会~ Atsushi Aoyagi.

Moreover, 宋斗会was involved in not only the problem of comfort women but also the activities of Sakhalin Koreans repatriation problem.

In other words, the origin of the comfort women problem is that it is based on the Sakhalin problem.

In the article of apology monument building titled 'the apology of only one' of the Asahi newspaper,

 'It is to kneel on the ground, Mr. Yoshida Seiji before the bereaved family of the Sakhalin's remaining Korean.' (December 23, 1983), there are.

This draft continues.

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My father who was not in constant work and living expenses was in a state of insufficiency

2018年02月17日 13時09分52秒 | 日記

The following is the continuation of the previous chapter.

The Mindan women's association told this to the medium and small divided family in Korea

On the other hand, the Korean side insists that apology monument is official material, while on the explanatory board the word ‘Yoshida Seiji asked Mindan women's association in Japan for the cooperation necessary for establishing an apology monument, the Mindan women's association told this to the medium and small Divided family in Korea’ and emphasizes Mr. Yoshida's subjective will.

Mindan women's association Chairman, Central Headquarters

The Asahi Shimbun said, ‘(Yoshida-san) began to think about the construction of the Japanese apology monument.’ The mediation on the Korean side has progressed smoothly with the cooperation of acquaintance princess Mindan women's association Chairman and Central Headquarters’ It is believed that要順姫was a misprint, actually in 1979-1987, it is裵順姫from Osaka who served as chairman of the Mindan central headquarters) in 1983, but in the explanatory board ‘We ask for cooperation from cooperation’ and emphasize Mr. Yoshida's will more.

'Persistently, Japanese Yoshida Seiji wanted on his own initiative apology monument construction, Korean 裵順姫moved passively', it is making the composition.

When I reconfirmed Mr. Yoshida's eldest son, it seems he cannot understand it.

'My father who was not in constant work and living expenses was in a state of insufficiency, why did he has to' request 'apologize monument construction to Mindan’s Women's Association president?

Apology trip to Korea and apology monument construction is my father the prominent best-selling writer enough to cover all the fee with part of royalties? '

After all, does not the Korean side only try to conceal making it rear apology monument, manipulating the Mr. Yoshida who had will scarcely?

There is a reason for me to guess this.

裵順姫 of mediation, she is introduced in Mindan HP as ‘In the mid-1980s, spearhead of fingerprinting refusal campaign, was described as the ‘most fighting group’ by the mass communication, but if speaking of fingerprint refusal movement, it is famous activist in Japan called Mr. 宋斗会.

This draft continues.

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從這個趨勢來看,韓國似乎想要和日本取得經濟合作

2018年02月17日 13時00分42秒 | 日記

以下是前一章的延續。

韓國的財政狀況

當朝日新聞集中報導吉田的證詞(1982-83,1990-94)時,我們調查日韓關係的運動時出現了一個奇怪的現象。

奇怪的是,這次韓國經濟疲憊不堪,需要日本的支持。

1983年1月,中曾根康弘首相宣布七年內向韓方提供約40億美元的官方發展援助貸款,而這筆日元貸款在90年內到期。

另外,從3年前開始向ODA貸款承諾,韓國向日本提出了令人驚訝的要求。

1980年9月,總統全斗煥接任軍事政變。

同年,韓國外交部長盧信榮(外交部長)突然邀請日本駐韓大使,要求日本提供高達100億美元的經濟支持。

詳細背景是前韓國大使小倉和夫的“在日本和韓國的1萬億日元的秘密筆記”(講談社)“從日本採購了1萬億日元”韓國的談判如何傲慢和不貪婪?“,內容介紹。

道歉紀念碑

1982年至1983年期間,以日本和韓國歷史問題的巨大衝擊推動了教科書虛假報告問題,制定鄰國條款,吉田慎次的出版物和韓國道歉碑建築等,並對韓國的主張作出了回應,如日本,反日運動在日本舉行。

從這個趨勢來看,韓國似乎想以歷史識別卡作為武器來吸引日本的經濟合作,想要懷疑也不會是不自然的。

關於這次道歉紀念碑復活以及說明板設置,月亮管理是推出最後的反應的人的可能性高。

吉田先生因月球政府誕生而提出的虛假道歉紀念碑不可避免地被用作從日本撤回資金的卡片,沒人知道結局。

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从这个趋势来看,韩国似乎想要和日本取得经济合作

2018年02月17日 12時59分52秒 | 日記

以下是前一章的延续。

韩国的财政状况

当朝日新闻集中报道吉田的证词(1982-83,1990-94)时,我们调查日韩关系的运动时出现了一个奇怪的现象。

奇怪的是,这次韩国经济疲惫不堪,需要日本的支持。

1983年1月,中曾根康弘首相宣布七年内向韩方提供约40亿美元的官方发展援助贷款,而这笔日元贷款在90年内到期。

另外,从3年前开始向ODA贷款承诺,韩国向日本提出了令人惊讶的要求。

1980年9月,总统全斗焕接任军事政变。

同年,韩国外交部长卢信荣(外交部长)突然邀请日本驻韩大使,要求日本提供高达100亿美元的经济支持。

详细背景是前韩国大使小仓和夫的“在日本和韩国的1万亿日元的秘密笔记”(讲谈社)“从日本采购了1万亿日元”韩国的谈判如何傲慢地不敬和贪婪?“,内容介绍。

道歉纪念碑

1982年至1983年期间,以日本和韩国历史问题的巨大冲击推动了教科书虚假报告问题,制定邻国条款,吉田慎次的出版物和韩国道歉碑建设等,并对韩国的主张做出了回应,如日本反日运动在日本举行。

从这个趋势来看,韩国似乎想以历史识别卡作为武器来吸引日本的经济合作,想要怀疑也不会是不自然的。

关于这次道歉纪念碑复活以及说明板设置,月亮管理是推出最后的反应的人的可能性高。

吉田先生因月球政府诞生而提出的虚假道歉纪念碑不可避免地被用作从日本撤回资金的卡片,没人知道结局。

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이러한 추세를 살펴보면 한국은 일본과의 경제 협력을 원한다.

2018年02月17日 12時59分05秒 | 日記

다음은 이전 장의 계속입니다.

한국의 재정 상태

아사히 신문이 요시다의 증언 (1982-83, 1990-94)을 집중적으로 보도했을 때 한일 관계의 움직임을 조사 할 때 이상한 현상이 나타난다.

이상하게도 이번에는 한국 경제가 고갈되고 일본의 지원이 필요했습니다.

1983 년 1 월, 나카소네 야스히로 총리는 한국 측에 7 년에 걸쳐 약 40 억 달러의 원조를 제공한다고 발표했다.이 원화 대출은 90 년 만료되었다.

또한 3 년 전부터 원조 대출에 대한 약속을하기 위해 한국에 일본에 대한 놀라운 요구가있었습니다.

1980 년 9 월 전두환 대통령이 군사 쿠데타로 자리를 잡았다.

같은 해에 노신 외교 통상부 장관은 갑자기 주한 일본 대사를 초청하여 일본에 100 억 달러의 경제적 지원을 요청했다.

오구라 카즈오 (Kazuo Ogura) 전 주일 대사의 '일본과 한국의 1 조엔 비밀 노트'(코단샤)는 일본으로부터 1 조엔을 뜯어 내며 한국의 협상은 어떻게 절망적이며 탐욕 스럽습니까?

사과 기념물

1982 년과 1983 년 사이 교과서의 거짓 보고서 문제, 인접 국가 조항의 제정, 요시다 세이 지의 출판 및 한국의 사과 기념물 건설 등 파문이 일고있는 일본 - 한국의 역사 문제는 일본과 마찬가지로 한국의 주장에 육성되고 대응했다. 반일 캠페인이 일본에서 개최되었다.

이러한 경향을 살펴보면, 한국은 역사 인식 카드를 무기로하여 일본으로부터 경제 협력을 끌어 내기를 원했고, 의심 받기를 원할 경우 부 자연스러운 것이 아닐 것이라고 생각합니다.

이번에는 사과 기념물 부활 및 해설 게시판 설립과 관련하여 달 행정부가 최종 진출자 일 가능성이 높습니다.

달 행정부 탄생과 함께 제기 된 요시다의 거짓 사과 기념비는 필연적으로 일본에서 돈을 인출하는 카드로 사용되며, 누구도 그 사실을 모른다.

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Следующее - продолжение предыдущей главы.

2018年02月17日 12時58分18秒 | 日記

Следующее - продолжение предыдущей главы.

Финансовое положение Южной Кореи

Когда Асахи Симбун интенсивно сообщал показания Йошиды (1982-83, 1990-94), возникает странное явление, когда мы исследуем движение отношений Япония-РК.

Как ни странно, корейская экономика чувствовала себя истощенной и нуждалась в поддержке Японии.

В январе 1983 года премьер-министр Ясухиро Накасоне объявил о предоставлении займа на сумму около 4 млрд. Долларов в течение семи лет корейской стороне, и этот иенский кредит истек через 90 лет.

Кроме того, с 3 лет назад, чтобы обещать кредит на ODA, в Японию была неожиданная просьба.

В сентябре 1980 года президент Чун Ду-Хван принял на себя военный переворот.

В том же году министр иностранных дел Южной Кореи Рох Син-Йонг (министр иностранных дел) неожиданно пригласил посла Японии в Южную Корею и попросил Японию об экономической поддержке в размере 10 миллиардов долларов.

Подробный фон - это «секретные заметки» корейского посла Кадзуо Огуры «1 трлн иен в Японии и Корее» (Коданша) «1 трлн иен из Японии сорвали Как были корейские переговоры высокомерно непочтительными и жадными?», Содержание введено.

Апологический памятник

В период с 1982 по 1983 год, проблемы с ложным сообщением в учебнике, принятие положений о соседних странах, публикация памятника Йошиды Сейджи и строительство памятника истории Кореи и т. Д. С силой волнующих волн. Проблема истории Японии и Кореи стимулировалась и отвечала требованиям Кореи, как в Японии, в Японии проводилась антияпонская кампания.

Глядя на эту тенденцию, похоже, что Корея хотела бы привлечь экономическое сотрудничество из Японии с карточкой признания истории как оружия, которое тоже захочет усомниться, не будет неестественным.

Примерно в это время извиняющийся памятник Воскрешения и создание совета по разъяснению, есть высокая вероятность того, что администрация Луны - это тот, кто выпустил окончательный вариант.

Память ложных извинений г-на Йошиды, поднятая с рождением администрации Луны, неизбежно используется в качестве карты для вывода денег из Японии, никто не знает конца.

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