以下は前章の続きである。
高山
朝日は、かつてはいい新聞だったと思いますよ。
長谷川
どこが良かったんですか。
高山
産経に入社したのは1965年ですが、その頃、朝日の切抜きをするにしても、いい記事が多かった。
サツ回りのころも朝日の記者とネタをどう処理するか、何段立てるか社会面トップに持っていけるか。
同じネタで競争もした。
勝ったら昼飯とか(笑)。
向こうがいいところに目をつけるときもあったけれど、こちらはもっといいところに目をつけてだいたい勝っていました(笑)。
あのころはサツ回りも仲が良かった。
仲が良すぎて、渋谷署三方面では読売の男性記者と朝日の女性記者が記者クラブの仮眠用のベッドで寝ているところが見つかった(笑)。読売のほうは左遷、朝日のほうは無傷で済んだようだけれど。
そういえば、警視庁のクラブで朝日の記者が賭けマージャンでインチキして何を思ったか包丁で指を詰め、救急車で運ばれたとか(笑)。結構、ユニークな記者が多かった。
長谷川
確かに仰るとおりですね。
高山
とにかく朝日は権威に胡坐をかいて記者道を外れていった。
それこそ中国派の広岡知男(元朝日新聞社長)とソ連派の秦正流(元朝日新聞専務取締役)の確執みたいに記者は何をするかも忘れてイデオロギーに突っ走っていった。
確かにマルキシズムは反日を一番つくりやすいでしょうから。
この稿続く。