以下は、今日の産経新聞に、第二の「元寇」もくろむ中国、と題して掲載された、東海大・島根県立大客員教授下篠正男の論文からである。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
見出し以外の文中強調は私。
中華人民共和国は今、第二の「元寇」を画策している。
文永の役(1274年)の際は、対馬島が最初の侵攻の地だったが、第二の元寇では、尖閣諸島がその標的となる。
防衛省によると7月4日、その尖閣諸島周辺の接続水域に中国海軍の艦艇が入ったという。
さらに同省は、中国海軍の艦艇に先立って、ロシア海軍の艦艇1隻が航行していたことも確認したという。
6月下旬には、その中露の艦艇が日本列島を周回するなど、中露の威嚇行動はとどまることを知らない。
中国海警局の公船による領海侵犯は、2012年の尖閣諸島のうち3島の国有化以来、断続的に行われているからだ。
「遺憾砲」では非力
だがそのつど、日本政府は「遺憾の意」を示したが、尖閣諸島侵奪を正当な行為とする中国政府に対して、「遺憾砲」では非力である。
中国側としては、何としても一触即発の事態を誘発し、尖閣侵攻の口実を得たいからである。
それを日本の評論家諸氏の中には、中国政府による「サラミ・スライス戦略」と説く人もいるが、中国側が挑発行為を続けるのは「遺憾の意」では実効性がないからだ。
これは竹島問題で示す韓国政府の対応と、尖閣諸島問題で示す日本政府の対応を比べてみれば明らかである。
尖閣問題に対して、日本政府は「尖閣諸島をめぐり解決しなければならない領土問題はそもそも存在しません」とし、韓国政府も「独島(竹島の韓国側呼称)をめぐる領有権紛争は存在せず、独島は外交交渉および司法的解決の対象になり得ません」として、日韓は同じ外交姿勢をとっているようにも見える。
だが対応が異なるのである。
韓国政府は「遺憾の意」ではなく、「独島に対するいかなる挑発にも断固かつ厳重に対応」してきたからだ。
その先頭に立ったのは、韓国の国会議員や政府の役人ではない。
「東北アジア歴史財団」や嶺南大学校の「独島研究所」などの歴史研究者たちである。
虚偽の歴史が発端
そのため島根県の竹島問題研究会では、韓国側の歴史研究者たちとの論争を続けて今日に至っている。
論争では臨機応変の対応が求められ、臨戦態勢を維持しなければならないからだ。
竹島問題研究会の研究には、尖閣問題や韓国政府が1992年から問題としてきた日本海呼称問題も含まれている。
そこで竹島問題研究会では、韓国側が2千年前から日本海を指してきたとする「東海」の呼称は、朝鮮半島の沿海部の名称にすぎなかったが、戦後になって、日本海にまで拡大していた事実を明らかにした。
それを韓国側では、日本海の呼称を「日本帝国主義の残滓(ざんし)」だとして歴史を捏造し、東海を正当とする口実としたのである。
これは尖閣問題でもいえることである。
中国政府が尖閣諸島を中国領とするのは、歴史学者の井上清氏が著した『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』で、尖閣諸島は「日清戰争で日本が中国から奪ったもの」とし、その領有を日本が主張することは、「日本帝国主義の再起そのものではないか」としたからである。
だが井上氏が論拠とした文献は、尖閣問題とは全く関係がなかった。
井上氏は歴史を捏造して、中国側を利していたのである。
尖閣諸島を中国領とする論理には、何ら根拠がないのである。
だが、日本政府が「遺憾の意」を示しても、この事実が中国側に伝わることはない。
冒頭、尖閣問題を口実に中国が第二の「元寇」を画策しているとしたのは、「文永の役」もまた虚偽の歴史が発端だったからである。
大義名分のない戦争
1451年、朝鮮で編纂(へんさん)された正史の『高麗史』によると元寇は、高麗の趙彜(ちょうい)が元の世祖(フビライ)に、「高麗は日本と隣好しており、元が日本に使いを派遣するなら高麗は郷導(先頭に立って案内)する」とした告げ口から始まったという。
そこで高麗の元宗は、日本に使臣を送ることになったが、使臣たちは途中で引き返し、「小国の日本とは、いまだかつて通好したことがない」と、その事実をフビライに奏上した。
だが趙彝の告げ囗を信じるフビライは「大怒」して、改めて日本に使臣を送るよう高麗に命じたのである。
これが後に文永の役に繋がるが、その日本征伐の主力部隊は高麗軍だった。
中国大陸では、新たに王朝を建国すると決まって近隣諸国に侵攻した。
その時、最も大きな被害を受けたのが朝鮮半島である。
それは軍事力で威嚇して、臣従を求めたからである。
今、第二の元寇を画策する中国では、中国領でもない尖閣諸島を中国領と称して、「無名の師」(大義名分のない戦争)を起こそうとしている。
今は憲法改正や防衛費の増額より前に、中国側には尖閣諸島に侵攻する大義がないという事実を明確にしておくことだ。
それが重要なのは、ウクライナに「無名の師」を進めたロシアに対し、国際社会が批判的である事実が象徴的に示している。