軍艦島元住民、韓国の嘘に憤り。一緒に勉強した。虚偽と誇張横行。「真実伝える」団体先月設立
2017年02月08日
以下は前章の続きである。
軍艦島元住民、韓国の嘘に憤り
1月7日朝。
長崎港から約19キロメートルの沖合にある端島(軍艦島)に8人の元島民が上陸した。
一時雨との予報も出ていたが、空は晴れ上がり、波もほとんどなく、“里帰り”を歓迎しているかのようだった。
「死ぬ気で来たよ」
宮崎県在住の元坑内員で朝鮮半島出身者や中国人とも働いた松本栄(88)は冗談を言いながら、娘たちに脇を抱えられながらゆっくり下船すると、眼前に広がる
宮崎県在住の元坑内員で朝鮮半島出身者や中国人とも働いた松本栄(88)は冗談を言いながら、娘たちに脇を抱えられながらゆっくり下船すると、眼前に広がる
風景に目を細めた。
軍艦島は面積約6万3千平方メートル。
南北に約480メートル、東西に約160メートル、周囲約1200メートルという東京ドームの約1.3個分ほどの大きさの島だ。
最初の竪坑建設に着手した1869(明治2)年から、1974(昭和49)年に閉山するまで多くの人が生活した。
最盛期の人口は約5300人。
小さい島の限られた空間を埋めるように日本初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートが建設された。
当時の東京の人口密度の9倍だったという。
閉山から43年。
建物の多くは朽ち、崩壊していた。
松本は「この辺には何かあったかな」と、時折つぶやきながらゆっくりと島内を歩いた。
松本がほかの元島民らとともに立ち止まった場所があった。
かつて中国人労働者が生活していた建物があったという場所の前だ。
いまは空き地になっている。
一緒に勉強した
「中国人は100人ぐらいしかいなかった」
「ここに200人の中国人が入る家屋があったというが、そんなに多くの人は入らないよ」 「1部屋に入るのはせいぜい10人ぐらいだった」
中国人労働者を閉じ込めるために有刺鉄線が敷かれていたという話もあるが、松本は「有刺鉄線はなかった」と話す。
朝鮮半島出身者の子供は日本人の子供と同じように学校に通い、机を並べて勉強した。
アパート内には朝鮮半島から来た家族も多く入居していたという。
そのうち、元島民の一人が島の上にある真っ白な灯台を指さした。
「戦前、端島は不夜城のように明るかったから灯台なんて必要なかった」
だが、韓国で出版された児童用絵本『軍艦島―恥ずかしい世界文化遺産』には、灯台から3本の光を発している絵が描かれている。
「絵本は明らかに事実と違う」と元島民たちは口々に反論した。
虚偽と誇張横行
端島を訪問した元島民たちは長崎市内のホテルでほかの元島民らと合流し会合を開いた。
「真実伝える」団体先月設立
出席者からは故郷である端島が国内外にゆがめて伝えられていることへの憤りの声が相次いだ。
「端島について書かれた本を読むと端島が(ナチス・ドイツによる)アウシュビッツ収容所と同一だと書いてあり、頭にきた。本に書いてある嘘を暴いて、これが真実であると国内外に言わなければいけない」
「朝鮮人労働者が虐待されたという話ばかり。欺瞞と虚偽と誇張に塗り込まれた記事が横行していることに憤りを感じる」
「日本は事実を明確にして反論しなければいけない。慰安婦問題もそうだが、日本は事なかれ主義できたが、もう少し毅然と事実を明らかにして言うべきことは言うという姿勢で臨んでいきたい」
「韓国では端島を『監獄島』『地獄島』と言っているそうだが、われわれはそんなところに住んだ覚えはない。日本で重い罪を犯して無期懲役を受けた者が軍艦島に来ていると書かれているが、私たちは違う」
真実を伝えるには、端島で生まれ育った自分たちが口を開くしかない。
こうした思いに突き動かされた元島民たちは「真実の歴史を追求する端島島民の会」を1月23日に設立した。
当時のことを記憶する元島民たちの証言を動画で記録するなどして、後世に「正しい端島の歴史」を伝える考えだ。
炭鉱労働者たちの証言記録を集めている内閣宣房参与の加藤康子は会合で「みなさんの一次証言や一次資料が何よりも一番重要な真実を語る。
それをそのままの形で残していきたい」と述べ、元島民や家族に協力を求めた。
敬称略
(有元隆志、田北真樹子)=1面参照