神社には種々の記念碑が多く建てられていますが、その中に斎藤昌三の“句碑”なるものがあります。
斎藤昌三は明治20年高座郡座間町(現座間市)に生れ、民俗研究家・書誌学者、また“少雨叟”の号で俳人としても活動されていた方です。
神輿庫横のこの石碑の句は
『赤まんま 鎌倉古道 ここに絶え』
とあり、古くから鎌倉街道として栄えた道が座間キャンプ(旧陸軍士官学校)により断ち切られている情景を見て、昔の日本が時代の流れに押し流されていくのを嘆いた句と言われています。
また境内には昔使用されていた石造りの手水鉢があります。 こちらは明治3年、常磐津鈴鹿大夫がその門人一同とともに奉納されたもので、この鈴鹿大夫こと斎藤弥五郎は先の斎藤昌三の祖父にあたる方です。
以前は句碑の傍に置かれていたのですが、現在は少し離れた参集殿側に移して置かれています。
こうした碑や銘は参拝の際にはあまり注目されないものですが、境内の石碑や建造物のそれぞれが、氏子崇敬者の敬神のしるしとして納められた事を教えてくれるものです。