この鈴鹿明神社の兼務神社として、諏訪明神という御社があります。
御祭神は“建御名方神(たけみなかたのかみ)”という神様で、古くは江戸時代の名主の記録にその名が見えるという小さな神社です。
しかし最近記録を読んで知ったのですが、この御社は『延喜式』神名帳に記されている石楯尾神社(いわたておじんじゃ)ではないか、という説があるそうなのです。
入谷諏訪明神例大祭の様子
石楯尾神社は現在、神奈川県相模原市緑区名倉に鎮座する神社で、虫除け、特に子供の疳の虫封じの神様として崇敬を集める神社です。
しかし『新編相模國風土記稿(1841年)』によると「石楯尾神社、今座間入谷村、諏訪社是なりと云ふ。又下鶴間、大島二村、津久井県名倉村にも旧社の伝あり、是否詳ならず」とあります。
同書の諏訪明神の欄には「座間入谷村(中略)、〇諏訪社 神躰装束、式内石楯尾神社なりと云ふ」と記されています。 経緯は様々ですが、長い歴史の内に社名が変わる、というのは神社ではあり得る事ではあります。
もっとも石楯尾神社の鎮座地は他にも説があり、結論としてはどことも断定できないとの事ですが、見知った神社にそういった裏側の歴史があるというのも面白いものですね。