伯母の訃報の後、キヨちゃんは本当に色々混乱し、それはもう目まぐるしかった。無事に連れて行けるかどうか、真剣に悩んだほどだ。
土曜日、とにかくくりりんは日曜月曜、私は月曜火曜まで休みを貰い、ギリギリまでなるべく仕事を片づけるように頑張った。
仕事から戻ると、キヨちゃんは落ち着いているように見えたが、キュウリを荷造りしようとしている。
「あの子らに持って行ってやるんじゃ。」
と言う。
「母ちゃん、葬式に行くんじゃけんな、遊びに行くんじゃないし、向こうも貰っても困る。」
説明してもなかなか納得しない。
それから、「お年玉」的な物や、假屋崎省吾先生の剪定鋏とか、とにかく手あたり次第持って行ってプレゼントするのだと言い出した。
「だから、今回は止めよう。遊び行くわけじゃないから。もっといい時にしよう。」
これもなかなか理解しない。
仕舞には通帳だ現金だと持つもの全部荷造り始めた。たった一晩の留守に泥棒が入るかもという心配が、何もかも持ち歩くリスクより高いと考える?
あれもこれも止めるものだから、途中から切れるキヨちゃん。
「お前らの金じゃない!お前らには一銭も五厘ももろうとらん。」
と来るものだから、疲れているし私もイラっとしてついつい言葉もきつくなった。その晩、私たちはろくに寝ていない。
日曜日、くりりんは半ドンで仕事。私は午前中道作りで草刈りだった。という予定だったのだが、くりりんは上司が気を利かせてくれて休みになった。ただ、家で準備していたら奉仕活動に出ないわけにもいかないし、出たらそれからの長旅運転が心配なので、出て用事をしてもらった。
がっつり11時半まで道作りがかかり、大急ぎでシャワーを浴び、リュウを親戚に預けに行き、13時に出発。途中コンビニでおにぎりやお茶を買って車の中でランチにした。
「母ちゃん何ちゃ食べとうない。」
と言っていたが、おにぎりを渡すと、
「おおこんな時間か。腹減ったと思った。」
としっかり食べられた。
道中は景色に遠足のように喜んではしゃいだり、突然落ちるように寝たりを繰り返したキヨちゃん。何だかんだ休息をとりながら、ホテルに着いたのが20時頃で、夕飯のラストオーダーギリギリだった。
夕飯後、キヨちゃんをお風呂に入れようと声をかけると、
「ほんで、姉さんはどこにおるん?」
と聞いた。
・・・・。一瞬まさかそのままの意味じゃないよなと疑ったが、亡くなった事を忘れたわけではなくホッとした。けれど、今ホテルにいると言うことが何となく曖昧で、ここに伯母の御棺も親戚一同もいるものだと思っており、それを説明するのに手間取った。
とりあえず入浴して安定剤も飲ませたがなかなか寝付けなかったようで、何度か起きていた。かくいう私も同じような状態だった。
月曜日の朝、5時には起きた二人。5時半にキヨちゃんをお風呂に入れ、私も続いた。朝のニュースで九州に地震があったと知る。時間的にキヨちゃんのお風呂でバタバタしていた頃で、気づかなかったらしい。
8時半にチェックアウトし葬儀場に。お通夜には間に合わなかったので、告別式の前にお顔を見せてもらった。
「まああ~、綺麗。」
キヨちゃんが涙声で感嘆した。伯母は本当に綺麗なお顔だった。
従兄達が伯母の話などキヨちゃんにしてくれ、本当にやすらかな往生だったので、明るく送り出してと言った。
ごく身近の親族だけの告別式。思い出のお写真もとても奇麗だった。本当は焼き場にも行きたかったろうが、7時間はかかる道中。告別式だけで失礼した。
行きは瀬戸大橋経由で、帰りはしまなみ海道経由で移動したが、運転はずっとくりりん。私の運転では無理だからくりりんが運転好きで良かった。
帰りも休憩を取りながら、食事はやはり車中だった。高速道路に乗る前に満タンにしていても、どうしても足りなくなるガソリン。高速道路のガソリンは193円と高くてびっくり。でも仕方ない・・・。
帰りは疲れたキヨちゃんは喋っていたかと思うと眠り、景色のいいところで起こすとはしゃいだ。途中、
「おむすびころりん・・・。」
と寝言。今食べたおにぎりを落としたのじゃないかと思ったがただの寝言だった。
トイレ休憩に行こうとしたら、キヨちゃんの靴底が抜けた。これでは歩けないので、スリッパをはいてもらい、以降サービスエリアは車いす移動になった。
途中で夜用のお弁当を買って自宅に着いたのが21時前。荷物とキヨちゃんを下ろして急いでリュウを迎えに。九州はお天気だったが、こっちは雷雨だったらしく、リュウはみんなに大事にしてもらって、夜は家の中に入れてもらっていたらしい。有難い話である。
そして今日。私は念のためにPCR検査に。今回の旅の途中で、キヨちゃんが膀胱炎じゃないかと言う兆候があったので、陰性が早くわかれば病院へ連れて行こうと考えていた。しかし結局夕方まで分からなかったので、断念。
PCR検査の後、家に帰るとキヨちゃんは寝ていた。起こして一緒にお昼ご飯を食べた。その時に、親戚に電話した話をして、
「内容がよく分からんかった。またすずに相談するって言いよった。お墓の話。」
など言う。まずお墓の話を私にしないだろうし、まず相談はあり得ない。何か聞き違いをしているのだろう。
「昨日葬式でお疲れなんじゃけん、また今度電話するわ。」
と伝え、私は午後は自分の部屋で結果待ちをしていた。
さて、夕方母屋に行くと、
「あれ?すずいつもんたん?」
と言う。
「お昼過ぎに戻って一緒にご飯食べたでえ。」
と言うか、いろんな話もしたぞ。
「いつ?」
・・・・・。
混乱しているだけだろう・・・多分。夕飯前には草むしりもしていたし。しばらく心配。
*修繕中のキヨちゃんの靴。

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土曜日、とにかくくりりんは日曜月曜、私は月曜火曜まで休みを貰い、ギリギリまでなるべく仕事を片づけるように頑張った。
仕事から戻ると、キヨちゃんは落ち着いているように見えたが、キュウリを荷造りしようとしている。
「あの子らに持って行ってやるんじゃ。」
と言う。
「母ちゃん、葬式に行くんじゃけんな、遊びに行くんじゃないし、向こうも貰っても困る。」
説明してもなかなか納得しない。
それから、「お年玉」的な物や、假屋崎省吾先生の剪定鋏とか、とにかく手あたり次第持って行ってプレゼントするのだと言い出した。
「だから、今回は止めよう。遊び行くわけじゃないから。もっといい時にしよう。」
これもなかなか理解しない。
仕舞には通帳だ現金だと持つもの全部荷造り始めた。たった一晩の留守に泥棒が入るかもという心配が、何もかも持ち歩くリスクより高いと考える?
あれもこれも止めるものだから、途中から切れるキヨちゃん。
「お前らの金じゃない!お前らには一銭も五厘ももろうとらん。」
と来るものだから、疲れているし私もイラっとしてついつい言葉もきつくなった。その晩、私たちはろくに寝ていない。
日曜日、くりりんは半ドンで仕事。私は午前中道作りで草刈りだった。という予定だったのだが、くりりんは上司が気を利かせてくれて休みになった。ただ、家で準備していたら奉仕活動に出ないわけにもいかないし、出たらそれからの長旅運転が心配なので、出て用事をしてもらった。
がっつり11時半まで道作りがかかり、大急ぎでシャワーを浴び、リュウを親戚に預けに行き、13時に出発。途中コンビニでおにぎりやお茶を買って車の中でランチにした。
「母ちゃん何ちゃ食べとうない。」
と言っていたが、おにぎりを渡すと、
「おおこんな時間か。腹減ったと思った。」
としっかり食べられた。
道中は景色に遠足のように喜んではしゃいだり、突然落ちるように寝たりを繰り返したキヨちゃん。何だかんだ休息をとりながら、ホテルに着いたのが20時頃で、夕飯のラストオーダーギリギリだった。
夕飯後、キヨちゃんをお風呂に入れようと声をかけると、
「ほんで、姉さんはどこにおるん?」
と聞いた。
・・・・。一瞬まさかそのままの意味じゃないよなと疑ったが、亡くなった事を忘れたわけではなくホッとした。けれど、今ホテルにいると言うことが何となく曖昧で、ここに伯母の御棺も親戚一同もいるものだと思っており、それを説明するのに手間取った。
とりあえず入浴して安定剤も飲ませたがなかなか寝付けなかったようで、何度か起きていた。かくいう私も同じような状態だった。
月曜日の朝、5時には起きた二人。5時半にキヨちゃんをお風呂に入れ、私も続いた。朝のニュースで九州に地震があったと知る。時間的にキヨちゃんのお風呂でバタバタしていた頃で、気づかなかったらしい。
8時半にチェックアウトし葬儀場に。お通夜には間に合わなかったので、告別式の前にお顔を見せてもらった。
「まああ~、綺麗。」
キヨちゃんが涙声で感嘆した。伯母は本当に綺麗なお顔だった。
従兄達が伯母の話などキヨちゃんにしてくれ、本当にやすらかな往生だったので、明るく送り出してと言った。
ごく身近の親族だけの告別式。思い出のお写真もとても奇麗だった。本当は焼き場にも行きたかったろうが、7時間はかかる道中。告別式だけで失礼した。
行きは瀬戸大橋経由で、帰りはしまなみ海道経由で移動したが、運転はずっとくりりん。私の運転では無理だからくりりんが運転好きで良かった。
帰りも休憩を取りながら、食事はやはり車中だった。高速道路に乗る前に満タンにしていても、どうしても足りなくなるガソリン。高速道路のガソリンは193円と高くてびっくり。でも仕方ない・・・。
帰りは疲れたキヨちゃんは喋っていたかと思うと眠り、景色のいいところで起こすとはしゃいだ。途中、
「おむすびころりん・・・。」
と寝言。今食べたおにぎりを落としたのじゃないかと思ったがただの寝言だった。
トイレ休憩に行こうとしたら、キヨちゃんの靴底が抜けた。これでは歩けないので、スリッパをはいてもらい、以降サービスエリアは車いす移動になった。
途中で夜用のお弁当を買って自宅に着いたのが21時前。荷物とキヨちゃんを下ろして急いでリュウを迎えに。九州はお天気だったが、こっちは雷雨だったらしく、リュウはみんなに大事にしてもらって、夜は家の中に入れてもらっていたらしい。有難い話である。
そして今日。私は念のためにPCR検査に。今回の旅の途中で、キヨちゃんが膀胱炎じゃないかと言う兆候があったので、陰性が早くわかれば病院へ連れて行こうと考えていた。しかし結局夕方まで分からなかったので、断念。
PCR検査の後、家に帰るとキヨちゃんは寝ていた。起こして一緒にお昼ご飯を食べた。その時に、親戚に電話した話をして、
「内容がよく分からんかった。またすずに相談するって言いよった。お墓の話。」
など言う。まずお墓の話を私にしないだろうし、まず相談はあり得ない。何か聞き違いをしているのだろう。
「昨日葬式でお疲れなんじゃけん、また今度電話するわ。」
と伝え、私は午後は自分の部屋で結果待ちをしていた。
さて、夕方母屋に行くと、
「あれ?すずいつもんたん?」
と言う。
「お昼過ぎに戻って一緒にご飯食べたでえ。」
と言うか、いろんな話もしたぞ。
「いつ?」
・・・・・。
混乱しているだけだろう・・・多分。夕飯前には草むしりもしていたし。しばらく心配。
*修繕中のキヨちゃんの靴。

