すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

暮秋

2021-11-24 19:51:38 | じいとんばあ
 季節の移り変わりを見るたびに
 何故 何故と 心がつぶやく
 たくさんの出会いと たくさんの別れがあって
 それは 誰にでも訪れるものだと分かっている

 ふと
 自分が消えてなくなることを想像してみる
 まだまだ 終活には向かえない私には
 恐ろしさに 心が震えた

 大切なたくさんの人が 
 もう向こうの世界に行っていて
 だから きっとこの世の別れが辛くても
 寂しくはないのかな・・・と想像してみる

 出会うことを 極端に恐れていた若い時代があった
 出会ってしまえば 分かれるしかない事に
 怯えにも似た感情があって
 出会った瞬間から 別れを予感して怯えていた

 それでも 出会えたことの幸せは
 それ以上 それ以上だから
 いただいた 沢山の言葉たちは
 消えてなくなったりはしないから

 書くことを勧めてくれた貴方を思い
 強く鮮烈に生きてくださいと
 その言葉には 追い付きそうもないけれど
 つたない言葉をつむぎながら
 我知らず 涙があふれる・・・・

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向こう側

2021-10-05 22:01:33 | じいとんばあ
 いつかはね 絶対お別れの日が来る
 そんなことは じいとんばあと向き合っていなくても
 子供のころから知っていた

 それでも どんなに病気をしていても
 自分の親は永遠に生きているような
 そんな錯覚を覚えていた

 会うことのない 遠い所に住む人は
 便りのないのは良い便り
 そんな言葉に油断したり
 とりとめもないことに 時間を取られ・・・

 覚悟・・・をある程度していても
 やはりその日は辛いのだから
 ましてや 思いもよらない別れの日は
 繰り返し 繰り返し 悲しみを呼び起こす

 ちゃんとお別れをして
 思い出話に 花が咲いて
 そうなっていくのが 当たり前だけど
 いつまでも いつまでも
 悲しみが押し寄せる

 あの日 どうして 私は何もできなかったのだろう
 それよりも もっと前に
 それよりも もっともっと前に
 そして 何よりも ちゃんと言葉にして伝えるべきことがあったのに・・・

 向こう側は
 それほど 遠い場所ではないのかもしれない
 でも
 今は 気が遠くなるほど遠い・・・
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忘れん坊同士

2021-05-25 20:58:46 | じいとんばあ
 良く菜が出来たから
 漬物するなら あげるから取りにおいで
 おばちゃんは いつも有難い心遣い

 欲しい欲しい 貰いに行こう
 それに滅多に会えんのじゃけん 顔も見たい

 車を持たない年寄りは
 足腰弱った年寄りは
 コロナ禍でなくとも ご近所さえもなかなか会えない

 久しぶりに会うんじゃけん
 饅頭でも持って行ってお茶飲もう
 小さなリュックにお茶菓子一つ

 迎えに行けば
 まだどればあも話してない もう迎えに来たんかと
 文句を言う
 話す内容は どちらも同じ話の繰り返し
 
 楽しかったなあ また会おうな
 約束して家を出る
 饅頭はリュックの中
 菜っ葉は畑のまま

 ま、会えたのだから
 ま、いっか

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家族に勝る薬なし

2020-05-10 09:48:53 | じいとんばあ
 こんな歳になってなあ
 家族も会いに来てくれん
 このまま うちゃあ、家族にも会えんずくに死んでしまう

 足が痛い
 もう歩けない もう立てない

 食欲が無い
 何も欲しくない 食べられない

 嘘でも何でもなく 微熱まで出てしまう

 まだ面会制限は解けませんか?
 母は家族の顔も日に日に忘れます
 もう 私以外は覚えていません
 これ以上 会えないと
 私まで忘れそうで怖いです

 コロナウイルスは罪つくり
 事情が分かるのと 心が理解するのは別問題
 みんなそれぞれ不調を訴える

 3蜜を避けて 短い時間で
 やっと面会の叶った時
 いや
 今から会いに行くからねの 電話だけで
 もう 顔が明るくなる
 歩けるようになる
 ご飯も食べられる
 頑張って長生きしなきゃと前向きになる

 まさに 家族に勝る薬は無い

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女の子のお節句だから

2019-03-01 21:02:09 | じいとんばあ
 うちなあ
 ゆうべ 夢見たんよなあ
 「今日は女の子のお節句ですから、どうぞ~」
 って
 お昼ご飯に ぼた餅が出たん

 まあ
 ほういうことは ようあるわなあ
 二日早いけど もしかしたら デイのお昼はぼた餅かもなあ

 正夢だったら ええなあ

 そんな可愛い昔女子の会話

 もし違うてもなあ
 話しよったら 男前の介護士が
 気を利かせて買ってくれるんちゃう?

 私が 冗談でそういうと
 昔女子は楽しそうに笑った

 うちなあ
 ゆうね 夢見たんよなあ
 「今日は女の子のお節句ですから どうぞ~」
 って
 ぼた餅が出てきたん

 女の子ってなあ
 3日は女の子のお節句でよ
 婆ちゃんのお節句ではないわいな

 男前介護士はさらりと返す
 これにも 昔女子は
 楽しそうに笑った

 デイがええ
 家におっても退屈
 一人でおっても 寂しい
 デイに来たら笑う

 血圧が上がるのを心配しつつ
 やっぱり
 笑っていて欲しいと
 職員は思う



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何をどうしてあげたらいいのだろう

2018-05-02 22:15:05 | じいとんばあ
 ただ 傾聴するだけでも
 きっと 心を軽くしてあげられることもあるけど
 それはただ 手をこまねいているだけで
 何の解決にもならない事もある

 どうしたいいの 助けて欲しい
 家族のそんな訴えに
 私の出来る事は たかが知れていて
 自分の出来る事を 私なりに頑張るけれど
 自分の力の無さに
 落胆する事の方が多い

 そもそも
 私は何でこの仕事をしているのだろう
 大きな志があって この仕事を選んだわけではない
 偶然出会った仕事だけれど
 この手を必要とする その人の笑顔に支えられて
 今まで走ってきただけで

 振り返ったら 力になれた事より
 失敗した事や 力になれなかった事の方が多くて
 嬉しかった事より 辛かった事の方が多くて
 ただ
 その嬉しかった事が
 辛かった事の何倍も力をくれたから
 だから 今でも立っているのだけれど

 どうしてあげたらいいんだろう
 どうしてあげるべきなんだろう
 私は
 どうしたらいいんだろう


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得手勝手

2018-04-12 22:04:06 | じいとんばあ
 あれ 今日来るんだったで?
 朝の内 調子悪くてな
 つい今しがた 外へ出た所じゃ
 まあええわ
 中に入りない お茶でも飲まんで
 ・・・・
 ほんで 
 そちらさんは どなたさん?

 人事異動は こっちの都合
 私たちだって 言われれば仕方ない
 長く一つ所にいる場合もあれば
 1年足らずで動く事もある

 ほうでえ 他へ移るんで
 やっと 慣れてきたところじゃのに
 初め来てくれた子 その次の人
 何年もした人もおるけど
 来たと思うたら 変わった人もおる

 ええ ええ
 ほれは嘘じゃ
 あんたやって 今までの人同様
 変わってしもたら もう二度と来る事は無いでしょう

 そして
 新しいあなた
 よろしくお願いします
 けんど 
 そう言いよっても
 きっと やっと慣れた頃に
 あんたもおらんなるんだろうな・・・

 がんばります
 そうは言ったけど
 異動よりも何よりも
 自分の踏ん張りに自信が無い

 ただ
 いつだって迷惑するのは
 お年寄りだものね・・・



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いのち

2018-03-15 21:54:53 | じいとんばあ
 幼い頃、
 おばちゃんが大事に育てたミドリガメ
「カメさん」
 って呼ぶと顔を出した

 子供特有のわがままで 
 欲しがって欲しがって
 おばちゃんは 私にゆずってくれた

 なのに 餌のやりすぎちゃいけないとか
 水をよく換えなきゃいけないとか
 幼い私には分からなくて
 どれほどもしないうちに 死なせてしまった

 小学校の帰り道
 子猫の鳴き声に足をとめた
 排水溝にハマっていた子猫を拾って帰る
 当然 親に叱られて
 泣く泣く 近くの山に枯葉をいっぱい敷きつめて置いてきた

 でも・・・
 当然 次の朝には冷たくなっていて

 思い出せば
 気まぐれや 不注意で
 沢山 沢山 命を奪って来た
 無知や 思い込みで
 沢山 沢山 失って来た

 私は・・・
 いのちの現場にいてはいけない人間なんじゃないだろうか・・・

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王様の耳2

2018-01-30 23:11:52 | じいとんばあ
 以前、まだ介護士をしていた頃作った詩が、少しニュアンスも違うし、状況も違うけれど、今しっくりくる。

 王様の耳(バックナンバー)

 
 毎日毎日 自分に言い聞かせる
 優しくあろう 穏やかであろう
 だけど
 心に溜まった澱が 体の節々に溜まってくる
 膝が痛い 肩が重い 指が動かない
 毒が体に回って 心が悲鳴を上げる

 王様の耳はロバの耳
 王様の耳はロバの耳
 河原に掘った大きな穴に 心の中の毒を吐いたら
 少しは楽になれるだろうか
 この世の中の ありとあらゆる悪口雑言を
 地中深く 叫びたい

 王様の耳はロバの耳
 王様の耳はロバの耳
 だけど 
 アシのささやきが風に乗って
 私の毒をまき散らしたら
 たぶん誰よりも
 自分自身が嫌いになる

 どうすればいいの
 どうすれば 人も自分も救われるの

 答えが見つからない
 見つからないから 又毒を溜める
 そして 喉を突き上げる

 毒を吐かなきゃ
 やっぱり毒を吐かなきゃ
 小さな小さな穴を掘って
 小さな小さな毒を
 少しずつ少しずつ吐いてみる

 慌てて穴に土をかぶせて
 あたりを伺うと
 他にもいくつか 土の山

 ああ そうなんだ
 みんな毒を持っている
 みんな悩みながら 戦ってるんだ

 “怒りは未熟者のわがままさ”
 そう書いた墓標を
 土の山に深く差し込む


*今の私もあがいている。色んな事に悩んで、イラついて、そしてやっぱり当時から成長もなく、同じように怒りをもてあましている。
 正論でも、相手にきちんと届かなければ何にもならない。もう、それを冷静に伝えるべき立場。そう言われればその通りだ。しかし、しかし。まだまだ私の中に毒が溜まる。
 見失っているのはモチベーションだけだろうか。

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おともだち

2017-05-26 21:48:10 | じいとんばあ
 ばあやん
 そっちにいって ずいぶん経つね
 ばあやんは 長生きしたから
 お友達は ほとんどそっちにいたのかな

 寂しくても 
 まだまだ娘には会いたくなかったろうけど
 とうとう 逝ってしまったけど・・・

 ばあやん
 ばあやんのお友達も
 とってもとっても 長生きだったよ

 元気な頃 いつも庭先でおしゃべりしてたね
 ばあやんが ちょっとお姉さんだったね
 でも
 今日 お友達もそっちに逝ったんだ
 びっくりするよ 102歳だよ

 齢八十を超えて
 自分でセメントをこねて 庭を固めた元気なおばあちゃん
 デイサービスのバスからは
 ぴょんって 飛ぶように降りていたおばあちゃん
 100歳のお祝いのケーキは
 自分で食べられたおばあちゃん

 積もる話もあるだろうね
 綺麗な綺麗なお顔で旅立った
 「向こうでばあやんと話せるね」
 ばあやんのこと 頼んどいたよ

 大往生
 でも やっぱりちょっとさみしい

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