12日、徳島市内で研修。講師の気遣いで休み時間をカットして、全体の終了時間を30分早めてくれたので、予定外に早く戻れた。本当は病院に寄ってから帰宅し、13日の早朝からキヨちゃんと交替するつもりだった。しかし、早かったので詰めているキヨちゃんを拾って自宅に届け、その足で私が泊まった。
親戚の人は時々見舞ってくれたが、実際の所は説明していなかったので、キヨちゃんから近い親戚だけ状況を説明しておいてもらうことにした。父に説明したのと同じで、病名がどうということではないが、体力が落ちていて感染症を起こしてるので、医師としては厳しい意見を言われていること。
ところがである。キヨちゃんの説明が悪かったのか、受け取ったおばちゃん達が焦ったのか、その夜親類が団体様で見舞いに来た。たまたま父は昨夜体調が悪く、うつうつと眠っていた。眠いのかレベルが落ちているのか、判断しにくい感じで、叔父が
「いつから、こんなんぞ?」
と聞いた。
「いや、いつからもなにも、夕飯までは普通に話しよったけん。」
本当なら父を起こすのだが、調子が悪いのとぐるりと親戚が夜に集まっていると
「わし、死ぬの?」
と思い込みそうで怖かったので、あえて起こさなかった。
叔父達が帰ってから、どうやら酸素だろうということになり酸素をぐんと上げて貰った。正直普段1リットルが5リットルまで上げないと血中酸素が足りないと分かったときは、ちょっとキヨちゃんを呼び戻すべきか悩んだ。しかし、しばらくすると本人がしっかりしてきて、バイタルを自分でチェックして
「血圧も、酸素もあるでないか。」
何をおおげさに機械や酸素マスクやしてるのだ・・・と訴えた。さすがに酸素は下げられなかったが、マスクではなくチューブで対応した。少し不安だったので、夕べは椅子に座ってほとんど寝ずに様子を見た。
朝には酸素を3リットルまで戻しても大丈夫だった。食欲は相変わらずないが、夕べの様子からするとかなりよかった。慌ててキヨちゃんに電話。どうも大きく話がなってるようなので、今朝は普通に起きて話していると電話して貰った。
午前中に甥っ子の嫁が見舞ってくれ、続いて甥っ子のJが来た。
「母ちゃんら、何か凄いこと言い寄ったし、ほんでもすず姉ちゃんからの電話でないし、おばちゃん(キヨちゃん)なら、ほんまのところ怪しいと思うて夕べは遠慮した。」
と話した。おお、若者は流石に聡い。しかし、そう思って昨日の父の状態を見たので、親戚では「昏睡状態」ということになっているらしいと言った。
「誤解するのも無理はないけど、父が昏睡状態ならキヨちゃんもわんく(自宅)では寝んやろ。」
そう言うと、甥っ子もそりゃそうだと笑った。
昼間には関東に仕事に出ていて滅多に戻らない従兄弟達が、たまたま連休で帰っていたので見舞いに来てくれた。わざとらしいかな・・・と思いつつ
「世間は3連休じゃって。」
「遠いけんな、今日もう行くけん。おじき入院しとるって聞いて。」
などとフォローした。しかし、以外にも父は落ち着いて心底嬉しそうに面会した。
そして夕方、キヨちゃんが時間になっても来ないので心配しているとばたばたとやって来た。
「母ちゃん、バスに置いて行かれた。」
キヨちゃんの話では、バス停で待っていてバスが来たので手を挙げて見たが止まらない。追いかけてみたがそのまま走り去ったらしい。実はキヨちゃん、バスに見落とされたのは2度目である。田舎のバス停。ほとんど乗る人がいないので、いないのが当たり前という先入観がある。しかも夕暮れ時、薄暗がりの小さなキヨちゃんは見えなかったのかもしれない。しかし、時間が時間なのでどうすることも出来ない。バスはもうないし、タクシー拾えるほど町中ではない。そうしているとバス停の近所の若者が声をかけてくれ、おそらく時間的に仕事から戻ったところだろうに、キヨちゃんを病院まで送り届けてくれたのだ。全く、ありがたい話である。
そして、父は夕飯は僅かだがお粥を4割、おかずを3割食べた。甥っ子達の励ましが効いたかな。
さて、洗濯もう出来たかな。干したら、寝るぞ!!!
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