孫が「上野の山」の象徴する西郷隆盛銅像を写真でしか見た事が無いと言うので
前回紹介の湯島天神から不忍池端を通り上野公園に行きました。
私は上野公園などは数えきれない程行っている所ですがどんなものがあるかは大体
知ってはいても一つ一つ見て周ったことは有りませんでした。
「上野恩賜公園」の碑があるところから西郷隆盛銅像に行き、そこから上野東照宮
までの道沿いをの施設を見て周りました。
前回紹介の湯島天神から不忍池端を通り上野公園に行きました。
私は上野公園などは数えきれない程行っている所ですがどんなものがあるかは大体
知ってはいても一つ一つ見て周ったことは有りませんでした。
「上野恩賜公園」の碑があるところから西郷隆盛銅像に行き、そこから上野東照宮
までの道沿いをの施設を見て周りました。
上野恩賜公園は明治6年の太政官布達によって、芝・浅草・深川・飛鳥山と共に日本で初めて公園に指定された公園で、江戸時代には東叡山寛永寺の境内地でしたが明治維新後官有地となり、その後宮内省を経て東京市に下賜され「恩賜」の名称が付いています。
(1) 恩賜公園の碑がある近くにある噴水
(2) 西郷隆盛銅像 除幕式に来た隆盛の妻が「宿んしはこげな人じゃなかったこてえ」
(主人はこんな人じゃなかった)と言ったとか・・・
(3) 彰義隊の墓
(4)~(9) 清水観音堂(国指定重要文化財)
京都の清水寺を模した舞台造りのお堂で、寛永八年(1631)天海大僧正により建立されました
(5)
(6)
(7)
(8) 本堂
(9) 本堂前の舞台から不忍池弁天堂を望む
(10) 「時忘れじの塔」
東京大空襲を忘れないための平和の母子像
平成16年に故林家三平師匠未亡人
海老名香葉子さんが建立し、林家一門
により慰霊の会が催されているそうです。
(11) 上野大仏
寛永八年建立され、関東大震災によりお首が落ちて第二次大戦時には軍の供出令により胴体を
徴用されてしまいました。「これ以上落ちない」御利益から受験生のが合格祈願をしています
(12)
上は松尾芭蕉が「花の雲 鐘は上野か 浅草か」
と詠んだ「時の鐘」
左のパゴダは元々大仏様の台座のあった場所の様で、
大仏再建の願を込めて仏塔(パゴダ)建立された様です。
(13) お化け灯籠
高さ6mを超す大きさで 京都南禅寺と名古屋熱田神宮と並んで日本三大石灯籠の一つです