「出雲伊波比神社(いずもいわいじんじゃ)」は、景行天皇の時代日本武尊が東征を
成し遂げた折りこの地に立ち寄り、天皇から賜ったヒイラギの鉾をおさめ神宝として
出雲の「大己貴命」を祀ったのが始まりだそうです。
成務天皇の時に武蔵国造兄多毛比命が出雲の「天穂日命」を祀り、「大己貴命」とともに『出雲伊波比神』としたそうで、奈良時代の772年の大政官符によると755年に朝廷から幣帛を受けたという記載があり、出雲伊波比神社が官弊社で有った事がわかります。
平安時代の延喜式神明帳では武蔵国入間郡五座の筆頭にあげられていて古来より格式の高い神社で、鎌倉時代以降は武士の信仰を集めた神社です。
成し遂げた折りこの地に立ち寄り、天皇から賜ったヒイラギの鉾をおさめ神宝として
出雲の「大己貴命」を祀ったのが始まりだそうです。
成務天皇の時に武蔵国造兄多毛比命が出雲の「天穂日命」を祀り、「大己貴命」とともに『出雲伊波比神』としたそうで、奈良時代の772年の大政官符によると755年に朝廷から幣帛を受けたという記載があり、出雲伊波比神社が官弊社で有った事がわかります。
平安時代の延喜式神明帳では武蔵国入間郡五座の筆頭にあげられていて古来より格式の高い神社で、鎌倉時代以降は武士の信仰を集めた神社です。
(1) 拝殿
(2) 拝殿の寺額
(3)~(6) 拝殿の彫刻
(4)
(5)
(6)
(7)~(11) 本殿
本殿は1527年焼失した後、直ぐに再建され
現在の本殿はこの再建時のもので一間社流造りで県内最古の神社建物だそうで、国の重要文化財に指定されています。
本殿周りは塀に囲まれ中に入る事は出来ず、
塀の外からしか撮れませんでした。
現在の本殿はこの再建時のもので一間社流造りで県内最古の神社建物だそうで、国の重要文化財に指定されています。
本殿周りは塀に囲まれ中に入る事は出来ず、
塀の外からしか撮れませんでした。
(8)
(9)
(10)
(11)
(12) 八幡宮 祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと・応神天皇) 本殿の横(囲いの外)に有りました