思い出したのが
「ウチは天理教じゃないのでいいです」
と仰る方がかなりいらっしゃいます。
その心理は、、
こちらは、承知のすけで戸別訪問をさせて頂いているじゃないですか。
でも、それはこっちの思い込みで、
ひょっとしておみちのお宅かもしれないという設定で戸別をさせて頂くと
どういうことになるんでしょうね。
「あ。。そうでしたか。。残念ですね。ではなにか他に信心されてらっしゃるのですか。」
そうなりはしないだろうか。
でも、聞きたいよね。
実際、自分は聞きますよ。
そういう断られ方をしたら、
「なにか信仰を持ってらっしゃるのですか?」と。
ウチは仏教だからというお家が多いです。
仏教って信仰のうちに入るんでしょうか・・・謎。
私は、『うちは仏教です』と言われると、
突然壁が目の前に立ちはだかったような錯覚を覚える。
仏教にも宗派がたくさんあります。
宗派まで言ってくださるとありがたいんですよね。
(家が)仏教という理由で天理教の話を聞かないでいいのかなと。。
どうしても、話を聞く=信仰をする、、、と思ってしまうのでしょうね。
無理はないかもしれない。
だから、無理強いはしないですよ。
住職さんだって、天理教の話に耳を傾ける人はいらっしゃるというのに。
信仰してくれなくていいんですよ・・・とたまに言ってしまう時がある。
ちょっくら
晩御飯つくってこよう。
ではまた。。
このつづき、誰か書いてくれませんか。
共感ほしいのですが・・・・どうだろう。
かなり、ぶっちゃけてしまっている気がします。