にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

奥行を感じさせていただいた

2012年11月03日 18時17分04秒 | にをいがけ・おたすけ

のびのび土曜日。

時報を配りつつ写真屋さんへプリントをお願いにいき、

その足でたまーーに行くちょっとおしゃれなお店へ行ってみたときのこと。

 

いままで視界に入っていなかった一戸建ての群衆が向こうの方に見えた。(群衆でいいのか・・)

新しめのが数十軒くらい。行ってみたくなったので、車はそこに置かせてもらう。

端からだんだんとやっていったら、

別の住宅がさらに奥に見えてきて、ちょっと込み入った感じ。今日は、そこを中心に。

築16~17年くらいかな。もっとかな。家って住む人で寿命が変わるので・・・

 

ちょうどお昼時だったから、それを理由に断る方も数人いて、

2人の方との印象的なやりとりを記録しておきたいと思う。簡単だけど・・

 

あるおウチの出てきてくれた奥さんの実家の母のお母さんが

お道を信仰をしていたんだという。今日の方は、お孫さんにあたるが、

めったに会うこともなく、ほとんど覚えていないらしい。

その娘である今日の方のお母さんは、大きな身上になってから病院の紹介で

お道からほかの某宗教へと拠りどころを変えたんだって。身上のお母さんを、

支えていけるお道の方が近くにいなかったんでしょうね。そんなお母さんを見ていて

宗教は自由に選んでいいんだと思ったそうです。そのお宅は仏教だそうで、、、

なぜ、おばあさんはお道を信仰していたのか、、、

『病気を助けてもらったって聞いてます』とのこと。

《病気を助けてもらった》の「助けてもらった」の部分に私は、胸を打たれました。

助けていただいた恩を感じない恩知らずがあると思うのに、

恩に感じて、お道を聞くようになったなんて・・・・なんて、素晴らしいんだろうって!

涙が出そうになり、お隣のインターホンを押しながら、こらえました。

代が続かなかったのは残念だけど、最後にお孫さんの、

『最後は病気で亡くなったけど、おばあちゃんは、いい人生だったと思いますよ』

の言葉に、ちょっとだけホッとさせてもらえた。

もうひとつは、とても小さな声で話をしてくださった奥さんとのこと。

このときは、自分のへっぽこな耳をじれったく、情けなく・・・どうしようもないな、と。

どんだけ顔を近づけても、耳をよせても、そこの奥さんの話の内容が読めない。

でも、なんか断らない。私を拒否しない。イライラしてない様子。

悩みはあるようなので、相談に来てみませんかとお誘い。また寄らせていただこうと思う。

 

まだまだ私の知らない場所が近くにある。

そのことが分かってどんだけ嬉しかったかしれません。今年もあと2ヶ月。

頑張ろうって熱をもらえた。