先日、次男の入試に合わせて、道案内でさいたま市に行かせてもらった。
次男を待つ間、3時間。歩かせてもらおうと思ってまして、
そんな中、一戸建ての戸別で83歳のおばさんに会いました。
川越からもお道の婦人さんが様子を見に来てくれたり、
他宗教の方も近所に何人かいるし、そういう人たちの話だけは聞かせてもらうそうだ。
でも、自分は仏教の信仰(?)しているので、変えるつもりはなく、
それぞれの良いとこどりをしている。
なんか自信満々な態度のお年寄りっていらっしゃいますよね。
はっきりした物言いで、、、、、
家族は訳あってひとり暮らし。二世帯住宅にもなるような大きな家。
今は一人だっていう。
耳は若い頃より、ある身上の薬の後遺症で、難聴だそうで。。
3日前より腰が痛い。あぶら汗が出るほど痛むらしい。
すかさず、おさづけの取り次ぎの申し込みをしたら、
出かけるから・・とか言っているけど勢いでお願いし、名前やら住所などを聞いた。
知らない人に住所などを教えたことを不安になっているようだったけど、
信頼してもらうしかない。玄関入って、楽な体制になっていただき、
おさづけをさせていただくことができました。本当は言いたくないけど、
心を鬼にして理を立てて頂きたいという意味のことを伝えました。
言い方がわかりにくかったのかもしれないけど、
『うちはなんとか宗で天理教に帰るつもりはない。住所を教えてしまったけど、
悪用しないわよね』
「変えなくていいんです。そういう話ではないです』
右手を伸ばして玄関ドアの方へ追いやるように示し、
さも”さっさと出て行ってください”風だったのね。
正直、カチンときた。けど、ここで怒ってはお助け人がすたる。
たんのうをし、無言で帰り支度を始めた私に、ひとり言(?)。
そのおばあちゃんは、自分で喋りながら自分で笑っている人。
早くその場を立ち去りたい衝動にかられる。
お道の人らしく、静かに立ちふるまいたいのです。
私が外の門を閉じるまで、ドアを閉めないで待っていたようだ。
軽く会釈をして歩き出した。『ご苦労様』とか言っていたかな。
いの一番に思ったのは、、、、、
耳の聞こえにくいのって、本当につなぎがないんだなーーーでした。
お助けのイライラはお助けで解消しなくっちゃと思い、
気を取り直して、ふたたび戸別訪問を続けた。そうはいっても、
心中穏やかでななくて、次男との帰り道は、クタクタでした。
3時間以上も歩き回っていた、立ち続けていたのだから・・・・・
駅までの道のり、次男に背中を押してもらうほどでした・・・
私は、私がすべき所までのことはさせていただくことができた。
おさづけのお取次ぎ、理だてのお願い、、ここまでは私の仕事。
その先は神様の領域。これでいいんだと頭ではわかっています。
次の日、拝殿奉仕の日。
昔から尊敬をしている先生に前日のおたすけの話を聞いていただけた。
私も小さな頃から耳の身上をいただいているけど、お道のおかげさまで、
大事なことは聞こえるように、どうでもいいことは省いてくれる。
神様が仕分けてくださっているのだ。。
ああああ良かった。。。ヽ(;▽;)ノ
もう2度と行くものかと思った瞬間もあったけど、
おさづけのあのあとが聞きたいので、もう一度だけ訪ねてみたくています。
その先生が拝殿にいて下さっていて、本当に良かったです。。
また頑張ろうっと。