3月も2週目になってようやく春らしい気候になってきた。
雪も溶けて地面があらわれて、日に照らされて地温の上がっているのが感じられる。
今、我が家の菜園には白ネギ、生育途上の玉ねぎ、地面にへばりつくよに育ったセロリがある。
あと、越冬させたイチゴ、2年目になるアスパラもこれからの成長に期待がかかる。
それら以外のところで、とっても久しぶりに菜園の土と格闘して心地よい疲労感に浸る。
去年の秋、野菜を収獲して終えて本格的な冬になる前に掘り起こしていた畝と
先週に大根を収獲し終えた畝も黒マルチをはがして掘り起こす。
これらの幾畝かに野菜の土を入れて、肥料と苦土石灰を撒いてよく耕す。
ホームセンターや種苗店ではまだ芋類の種芋しか並んでないが今月後半には野菜の苗が並ぶだろう。
5月の連休までには畝作りを終えて、何をどこに植えるかってなことを考えておかねばならない。
記憶力が弱いので、苗を植えたり種を蒔いたりした日付を翌年の参考にとメモしていて見返している。
肥料などをどのくらい施したか、苗や種の品種、買った値段、天気・気温、土壌の酸性度などの情報も
記録していたら良かったかもしれんが、4年前に野菜作りを始める際にそんなことも考えず、
参考データを記録して残すことをしてこんかった。
野菜作りの本などを見ると、土作りからけっこう几帳面に作業していることが紹介されていて、
大雑把にしてきてしまったことを少しだけ後悔している。
通年で収穫できる葉物野菜もあるが、ほとんどは1年循環だから失敗を改善するのが翌年になる。
1年前にどう作付けしたか細かいところを記憶にとどまってないしなぁ。
完全リタイア後は、毎日好きなだけ農作業ができるようになる。
その時は、5年日記帳を買って菜園日記をつけようと思っている。
実は、それが今の密かな楽しみなのである。
毎週毎週、何かしらのざわつきを感じるトランプ大統領の言動とそのとりまく情勢。
識者誰もが「前代未聞」と評するゼレンスキー大統領との会談で激しい応酬の展開。
トップ会談でバンス副大統領も加わって非難するって外交儀礼上ありえんと思うが驕りを感じる。
これから先どういう展開となっていくのか、私ごときが心配してもホントしょうもないのだが、
判官贔屓とでも言おうか、一方的に侵略された国に理不尽な停戦条件なんぞ理解も納得もできない。
汽車通勤者にとって汽車待ち時間の過ごし方は意外と大事である。
仕事終わってひと息ついて頭を休めるとか気持ちの切り替えも人はどうか知らないが私には大事である。
2月に駅建物に入居していたドトールコーヒーショップが閉店した。
けっこうお客さんも入っとったし営業不振って感じじゃなかったと思うのだが。
事前に閉店の案内は掲示されていたのかもしれないが、私にとっては突然のことであった。
汽車待ちの時間を過ごす貴重な場所がなくなったのである。
本当に「どうしてくれるんだ」という感じである。
閉店のお知らせ掲示には、最寄り店の案内があったが車で15分ほどもかかる。
今年年明けには、輸入飲食料品店のジュピターが閉店した。
閉店のお知らせ掲示には、長年のご愛顧への御礼と最寄り店をご利用ください、と松江店の案内があった。
誰が松江まで行くか(怒)である。
そうこうしているうちに島根から出店していたお菓子のお店、昼も営業していた居酒屋、
ちょっとこじゃれたスイーツのお店まで・・・軒並み閉店している。
JRの駅建物から立て続けに5~6店舗が相次いで閉店した。
おいおい、どうなっとるんじゃ~。
当然、空いたままとしておくはずもなかろうし、次にどんな店が営業開始するのか・・・
願わくば、
仕事終わってひと息ついて頭を休めるとか気持ちの切り替えもできるようなお店が開店して欲しいもんだ。
2週間前の雪が溶けてからの安堵もつかの間、またもやの寒波襲来で前回を上回るような積雪。
3連休で出勤時の難儀は避けられたが、3日連続で朝起きたら20㎝超の降雪で雪かきに追われた。
20cmという積雪は車で出ることはできるだろうが車の腹を擦るか擦らないか、ビミョーな高さ。
雪かきをしてないところでの積雪は60cmくらいになろうか、庭も畑も厚い雪に覆われている。
鍋の食材にとネギを掘り出すのにもひと苦労なのだ。
朝1時間ほどの雪かきで車を出せるようにはなるが、平日ならば大変なことだ。
ニュースで報じられる豪雪地域での「もう勘弁して欲しい」との声も切実に実感する。
先週、トランプ対応のことを書いたが、あの御仁、またしてもトンでもないことを言い出した。
ウクライナ戦争の停戦に関して、ゼレンスキー大統領は独裁者だとか支持率は数%だとか、
ウクライナは戦争を始めるべきではなかった、だとかかとか言いたい放題。
グリーンランドを購入するとかパナマ運河はアメリカに返還されるべきだとかも無茶苦茶だ。
誰かこいつを止める奴はおらんのか。
同盟関係にあろうがなかろうが関係ないので、トランプの領土的野心に日本も安穏としておられまい。
日本政府は関税のことで頭が一杯かもしれんが「オキナワはアメリカのものだ」とか言い出しかねんぞ。
それに反論でもしようもんなら「追加関税だ」とか「ならば米軍の駐留経費をもっと寄こせ」とか…
プーチン、習近平と結託して世界を3分割統治しようとかの魂胆があるんじゃないかとも疑ってしまう。
アメリカ建国の父たちは、権力の集中を防ぎ独裁に陥らないようにと合衆国のルールを作ったと聞く。
その精神、そのルールの機能は発揮されとるんだろうか甚だ疑問だ。
トランプの言動を見聞きするのは非常に気分が悪いのだが、怖い物見たさで見てしまうんだよな~。
「スマホで簡単!確定申告」と謳っているが、めっちゃ面倒だったぜ。
まとまった雪を降らせた寒波は去ったが、道路の両脇に除雪された雪が溶けずに残っている。
また、スーパーやドラッグストアなどの広い駐車場の隅に山のように積み上げられた雪もまだ残っている。
そんな雪に車が巻き上げる土埃が付着して見るも無残な薄汚れた雪塊と化している。
子供の頃からそうした薄汚れた雪塊を毎年見ていると春に近づいているなぁ~と感じる。
そう感じながらもまだ2月半ば、もうひと降りするだろうとの感覚もあり、天気予報でもそう伝えている。
トランプが大統領に就任してひと月余り経ち、アメリカと関係ある国は翻弄されっぱなしである。
常識や法治、秩序という概念が欠如しているのではないかとさえ思えて、
その感じは、プーチン、習近平、金正恩といった独裁者的なトップに近いものを感じてしまう。
貿易相手国に一律25%の関税をかけてアメリカがどうなるのかまだ分からないが、ド素人考えながら、
相手国も一律25%の関税をかければイーブンになって影響が相殺されるのじゃないだろうか。
「25%対象外」を要請するより「我が国も25%かけまっせ」と対抗すりゃえかろうもんを。
「グリーンランドを買う」ってのも非常識にもほどがある話だが、どのくらい本気なんじゃろうか。
また、買取額をどのくらいと考えての話なのか、主要国は一斉に反発しているが、グリーンランドは
アメリカ国家予算の1000年分くらいの値段を提示して、「それは高い」と言われても値下げに一切応じない。
そうすれば、きっとトランプは諦めるだろう。彼は不動産屋なんだから。
石破総理、多忙な国会日程の合間を縫って訪米してトランプ大統領と会談した。
「恐い感じがなくはなかったが、お会いしてみると誠実な方だと感じた」旨を話していた。
本心なのか外交上の辞令なのか真偽は定かでないし、定かにはならないだろうが、
日本の片隅でテレビを通じて言動を見ている限り、誠実さが潜んでいるようには見えない。
直接会って話せば、それまでのイメージは変わるということなのか。
でも、そういう類のことを他の誰からも聞いたことはない。
難しい局面はあるんだろうけど、やっぱ日本の国益を守ってしたたかに付き合ってもらいたい。
一週間前はこんなだった。
この週末には雪も溶けて土に浸み込んだ。
これは実は「セロリ」なのである。茎が立たずに育った。
先週、さほどの雪に降られずに済んでいる、などと書いたせいだろうか。
月曜日夜から寒波襲来で火曜日朝からけっこうな雪が降った。
我が家の庭には積雪50㎝くらいは積もったか・・・もう細君はかまくら作ろうとは言わなくなった。
通勤列車が運転取り止めになりはせぬかとヒヤヒヤしたが、JRは頑張った。
それでも、木曜と金曜は午後7時以降の列車の運転を取りやめた。
この土日、雪は降ったが積雪を増すほどではなかったので雪に閉ざされることもなく過ごせた。
が、幹線道路以外の道には雪が残り、自動車の轍だけで曲がり角ではハンドルを取られそうになる。
仕事に出ることがなければどれほど雪が降ろうと閉じこもり生活をするだけなので何も心配はない。
しかし、この地で働く以上、冬場のこれしきの雪で仕事を休むわけにもいかない。
みんな、雪が降ることも雪道を車運転して仕事することも当然と考えている。
今年はまだそこまでではないが、雪でJRが止まりそうで車で出るのも難儀なことが予想されるときは、
市内に泊まることも考える。実際に去年はそうしたこともあった。
宿泊費はもちろん自腹である。
それが働くっちゅうことぞ、と別段胸を張って言うことでもないが、ちょっぴり自分を偉いと思うのである。
さてさて、明日朝の雪はどんなんじゃろうな。
広島の呉にいるママ友が牡蠣を送ってくれた。
「かき小町」というブランド牡蠣でとにかく身が大きくて食べ応えがあるのだ。
まいう~~~~。
節分を過ぎて立春を迎え、春である。
1年前の今頃、けっこうな降雪がありJRが運転見合わせとなり3日間ほど車で出勤していた。
今年は、今のところさほどの降雪はなく過ごせている。
天気情報では、東京など太平洋側で大雪の予想とあり、なんだか変な感じである。
父の納骨も済んで当面は大きな法事事はない。
が、相続手続きだけはこの機を逃さず早めに済ませてしまいたい。
父母の預貯金の整理は、相続関係を証する戸籍謄本一式を揃えて、各金融機関で手続きは済ませた。
次に、実家の土地・建物・田んぼに畑の相続登記である。これを放置するわけにはいかない。
登記簿見て、実家の建物は両親と弟の共有名義、田んぼは祖母名義のままであることが判明。
全部父親名義だろうと思っていたのだが、共有名義だとか祖母名義だったとは・・・・
追加で祖母の戸籍謄本一式を入手、伯母の戸籍謄本は従兄弟に頼む。
今、手元には、父と母、祖母それぞれの生まれてから死亡するまでの戸籍謄本一式がある。
明治生まれの祖母は、出生時は祖母の父が戸主の戸籍に記載されているが、
前戸主として祖母の祖父の記載があって、祖母の曽祖父母の名前も見ることができる。
祖母の曽祖父母は天保生まれ(天保っていつやん?)、祖母の祖母は慶応生まれ・・・
父の出生も母の出生もそれぞれの祖父(私の曽祖父)の戸籍に書かれていることから始まる。
明治20年代生まれの曽祖父たちの戸籍から始まる。
昔は兄弟姉妹が7人とか8人、それに戸主の弟とかその奥さんまで一つの戸籍に載っている。
どれだけの大家族だったことか、3世代は当たり前、ひょっとすると4世代同居もあったんじゃないか。
そして、父には伯母以外にも兄弟姉妹がいたことが分かるが、幼くして亡くなっている。
どの戸籍からもだが、年月を少し下ると私の記憶にもある両親の伯父伯母、従兄弟たちの名前も出てくる。
これまで訳が分からんかった年齢順もすっきり理解できる。
こうして、顔もどんな暮らしをしていたのかもわからない先祖がいて今の自分がある。
戸籍ってけっこうスゴイもんじゃなと思う。
玄関の見守りタヌキ
土曜日、父親の四十九日法要を済ませて納骨、そして参列していただいた方々と会食。
日々の生業を重ねていくなかで着々と日が過ぎて故人にまつわる法事事が巡ってくる。
人生100年時代と言われるなかで享年89歳というのは若くはないが「早いねー」と言われることもある。
今の自分の歳からいえば25年も先のことになる。
あと2年ほどもすれば年金受給年齢になるし、それから先をどう過ごし、どう生きていくのか、
まだ、差し迫っていないので確たることをイメージできないが、あれこれ思い惑わないわけでもない。
ただ、それよりなにより明日の仕事をどうするか、1カ月先にはアレを片付けて、3月にはアレをして・・・
といったことのほうが差し迫ったことなのだ。
いずれカウントダウンというかエックスデーが見えてきたら具体的に考えられるようになるかもしれない。
今は目の前のことに向き合って対処していく日々を重ねていくことが大事だろう。
あの品性の無さに目を背けたいが、目を背けられないトランプが大統領に就任し、
ようやっとガザでは停戦となったが、ウクライナはどうなるのか。
国内では石破首相が「楽しい日本」「令和の列島改造」を標榜しているが、果たして何がどうなるのか。
それにしても「楽しい」とは・・・・・・
日銀が政策金利を上げ、ガソリン補助金が減額となり市中のガソリン価格が急騰した。
あれこれと論じられているが中居某がどうなろうと私にとっては端からどうでもええし。
フジテレビがどうなろうと良い番組を作れば見るだろうし、つまらんかったら見ないだけだし…、
ただ、フジテレビという会社のていたらくぶりは、組織に属して生業している者にとっては、
場合によっては他山の石とすべきところがあるやもしれず、興味惹かれる面のある事件ではある。
なんてことをつらつら考えた週末であった。
蝋梅爛漫
ここ2週間の週末は1月半ばだということを忘れるくらいの穏やかな天気に恵まれている。
山のほうでは適度に雪が降りスキー場はそれなりにお客さんがあり、里では降雪が少ない。
理想的な状況である。
天候も良いので、菜園の土を掘り返して土作りでもするのに恰好の気候なのだが、雨読癖からか動けない。
父親が亡くなるのとたまたまのタイミングで実家の土地を買いたいという話が持ち込まれた。
実家は3世代同居ができるくらいの作りで、弟の一人住まいには大き過ぎるし広過ぎている。
部屋も押入れも多いので、小生が広島の自宅を引き払って戻る際に、捨てるには惜しい物を保管している。
捨てるには惜しいものというのは、息子が幼少の頃から遊んで楽しんだ玩具たちなのだが。
大量のガンプラ、ガチャ玩具、レゴのお城、ゲーム機器類、映るが使えないブラウン管テレビ4台など、
これらは人によってはガラクタとも言えるし、価値観と見ようによっては「お宝」とも言える。
このなかから、プレステ本体やコントローラー、弟が使っていたスピーカーやらラジカセとともに
ブックオフ系の中古店に持ち込んで、総額7,000円ほどでお買取りいただけた。
別のお店へ持ち込んだ未使用の食器類50点ほどはトホホの2,000円くらいだった。
息子は息子で、メルカリに出品できそうな品々は持って帰って出品して何品かは売れたとのこと。
しかし、大量のガンプラ、ガチャ玩具などが段ボール箱に4つか5つは残っている。
メルカリを見ると、同じものが二千円台、三千円台で売れているではないか。
これから大量の「お宝」を整理してメルカリ出品か中古品店に売れればええな、と目論んでいる。
実家の売却話に間に合うように遺品整理も急がねばならんし、けっこう多忙な週末が続く。
ってなことで、ただいま我が家は「断捨離」ブームである。
蝋梅が満開っぽい。
小春日和の暖かさで芝桜もごく一部に花が咲いた。
成人の日を含めての3連休、日曜月曜は小春日和、風もなく日が差せば暖かさも感じた。
新成人の人たち、学生生活を送っている人、働いている人、どちらでもない人と現状は様々だろう。
状況はどうあれ、新成人の人たちにはお祝いとこれからの人生へのエールを送りたい。
失われた30年などと言われる日本情勢、失われる前世代とは違った価値観や社会情勢の下で育った世代、
24時間働き、給料が年々増えて、この調子でいけば将来は豊かで楽な人生を送れるといった幻想を知らず、
物心ついたときから将来不安ばかりが喧伝される社会情勢、それが今も続くなかで成人を迎えるのだ。
彼らから見れば”先達の世代”にある者として、エールを送らずにいられようか、
これから老後を迎える者として、日本の将来を担い、頑張る若人を応援せずにいられない。
そういった心境である。
他方で、朝の挨拶もろくにできず、問いかけにも反応が薄く、何を考えているのか分からない、
給料を得て働いていることの意味を理解しているのか、やる気も覇気も気力も感じさせない。
そんな若者がいることも知っている。
知ってはいるが、どう対処したらええのか答えを見つけられずにいるのも正直なところ。
ただ、そうした若者も時代の申し子的な存在なのかもしれないと思う。
将来不安や不確実で先の見通せない情勢のなかで無難に大事に育てられて、こうなっていた。
親御さんを責めるつもりはない。学校や親族や人によっては塾とか関わってきた大人は他にもいたはずだし。
要は、社会のありよう、なのだ。
ただ、彼らもいつまでもこのままでいられるわけではないのだから安穏としないことだ。
そのことをきちんと理解させるのも先達者の役目なんだろう。
嫌われてもこの先きっと分かってくれると信じて対処することなんだろうと思う。
元旦に開花した蝋梅が5分咲きくらいになった。
正月3カ日が我が社の休業日に加えて土日とつながったことから例年より長い正月休み。
年末からだと6連休で年始に休日が多いというのは結構気持ちにゆとりをもって過ごせて良かった。
それでも、小売業、交通関係、郵便局の物流関係、消防救急、病院など休日も少ない人には感謝である。
年の瀬迫るなか、親父が亡くなり欠礼はがきが到達する前に既に投函されていた年賀状が幾枚か届いた。
そのうち何人かの方は「本年をもって年賀状を終わる」旨のことが書かれていた。
数年前に年賀状終いを宣言した大先輩、35年近く前にとてもお世話になった人だし、
退職されてから20年以上も会うこともなく年賀状だけのやりとりだった。
お終いにされるのは先輩の都合だしそれはそれで一向に構わない。
ただ、こちらの近況なぞも含めて年に一度の年賀状は送り続けてきた。
その先輩から届いた今年の年賀状には「年賀状のない正月は寂しいものです」と書かれていた。
メールやSNSで簡単お手軽にメッセージを送れるようにはなったけど、やっぱり、
ある年齢以上の日本人にとっては正月に年賀状が届くのはあたりまえのことだった。
あたりまえだと思っている世代の方々が今や年賀状をあたりまえと思わなくなってきつつあるのだなあ。
定型句だけのものもあるけど、手書きで何か一言や想いや近況が書かれてあれば無沙汰も和らぐというもの。
届くから送る、送るから届く、、届かないから送らない、送らないから届かない、、、
そんな関係ではなく、届かないけど送るという年賀状関係があってもいいじゃないかと思う。
そんなことを思ったこのお正月。
さぁ、明日から仕事だ。
新年初日と明けて2日と朝から晴れてうららかな天気。
元旦に初詣に参って午後からはお屠蘇気分でまったりして過ごす。
2日にブログ更新するつもりだったが、なんとNTTドコモがDDos攻撃を受けたとかで更新できず、
本日の更新とあいなった。
大手銀行もサイバー攻撃を受けるし、デジタル環境というものの脆弱さを垣間見せられた。
旧年中は実に様々なことがあった。
天災あり人災あり、はたまた喜ばしいことや心躍ることもあり、悲喜こもごも。
おそらくは今年もいろいろと思いもよらぬことがあるだろう。
そうしたことに一喜一憂、いや多喜多憂するだろう。
けれど、そうしたことにしなやかに不器用でも野暮じゃなく対処していきたい。
今のところの我が身は、歯医者通いと健康診断で緑内障の疑いが指摘されるくらいで
特に大きな持病も見当たらず過ごせている。
毎年、春になってもう少し暖かくなったらジョギングを始めようと思いながら1年が過ぎている。
加齢に抗うほどに鍛錬する気もないが、身体コンディションを維持する適度な負荷はかけてもいいだろう。
もうひとつは、何事かに対する興味や好奇心は旺盛に保っていきたい。
新聞や雑誌の書評を読んではいつか読もうと書評欄をスマホで撮影しているし積読本も増えている。
テレビ欄を見ては、気になる映画やドキュメンタリー番組を録画してはいるが撮り貯まるばかりだ。
人生100年とはいえ生きているうちにこれらを見たり読んだりできるのだろうかと思わないでもない。
「いつ見るの?いつ読むの?」「いつかそのうち・・・」そして「もう、時間がない・・・」
笑い話のような話だが、時間切れとなっても好奇心失くしたら終わりのような気がする。
年末につぼみが大きくなっていると記した蝋梅、花が咲いた。
天気予報が良いほうに外れている。
この週末、大雪予想に反して積るほどの雪も降らず雨が降ったり晴れたりと定まらない天気の繰り返し。
年の瀬の迫る休日とはいえ、晴れていれば菜園の作業やら物置の整理やらもすることがあるのだが、
天候不順だと屋外での作業をするのも難儀で億劫で、家の中で過ごすことになる。
普段はできない部屋の整理も少しやってみた。
だが、読み終わった本を積み上げているが、どう見ても本棚に収まりそうになく手つかずだ。
自分だけの部屋なので家人もあまりうるさく言わないが内心は「床に積むなよ」と思ってるかもしれない。
片手間でやるには量が多く、中途半端に手をつけると置き場所が変わるだけで整理にはならない。
まとまった時間が取れたらやろうと、いつも思うのだ。
で、結局、一日が終わってしまう。今日もそうだった。
父の葬儀後の手続きやら大掃除らしきことをして過ごしながら、なんとなく日が過ぎている。
年賀状も失礼させてもらうので、年賀状に毎年つらつらと書き記す雑文を考えることもなく、
忌中を理由にお祝い事らしきことは控えるのが通例らしいから正月飾りなど新年を祝うことはせずに済ます。
気持ちのなかでは、弔事事は我が家だけの個人的なことで世間はもちろん友人知人には関係のないこと、
こちらに「おめでとうございます」とは憚られようが、こちらから相手に言うぶんには関係なかろうと思う。
なので、欠礼しながらでも年賀状を出すことに自分としては全く抵抗も違和感もないのだが、
「喪中」であることの過ごし方とはそういうものなのかもしれない。
実は、母親が亡くなった時は、さすがに親戚には欠礼したが、友人知人には例年どおり年賀状を出したのだ。
まぁ、この年末年始、おだやかに過ごそう。
蝋梅につぼみがたくさんついた。
寒くてもそれぞれの植物なりに季節を巡らせている。
12月13日(金)昼前に父が息を引き取った。享年88歳。
翌土曜日の通夜、日曜日の葬儀と慌ただしく過ごしていてブログの定例週末更新もままならなかった。
私は長男なので喪主を務め、通夜・葬儀での親族代表挨拶、親戚へのお礼やら何かと気苦労もあったが、
お蔭さまでまずまず滞りなく執り行えたと思う。
まだ若く元気だった頃に晩酌しながら問わず語りに言っていたのは、
幼少時に父親を病気で亡くし、母親と姉と3人で実家に戻り、後に生まれた従兄弟たちと兄弟同様に育った。
自分を大人にしてくれたのは実家の〇〇おじいだ。とよく言っていた。
母と結婚してほどなくして商売を始めてからは、寝ても覚めても商売のことばっかし考えていた。
ただ、夏休みには毎年、車で家族揃って3日、4日の旅行に連れて行ってくれたり、川に鮎釣りに行ったり、
と自分の楽しみとともに私ら子供にも楽しみを共有してくれていた。
昭和の戦前生まれの価値観と独りでいろんなことをしてきた自負からくる言動とぶつかることも多々あった。
商売を弟に譲ってからしばらくして、完全リタイアをしてもらった。
それから認知能力がだんだん低下していっても仕事のことが気になって、
注文がどうだ、配達は大丈夫か・・・度々口にしては弟に拒絶されることもあったようだ。
母が健在だったころは、少々面倒くさいことも多々あったが、自宅で過ごしていた。
母が倒れて入院してから自宅での介護は困難になり、ホームでお世話になることにした。
その間に母が亡くなった。3年半ほど前のことである。
父を葬儀に参列させたが、自分の連れ合いの死去を理解しているのかどうかも怪しかった。
今年3月には父の実姉が亡くなったが、それも理解できていたのかどうか。
それでも、ホームの介護士の方々のおかげでおだやかに過ごしていた。
今月になって体調が悪くなりホームから病院に移ったが、10日程の加療の後に逝ってしまったのである。
忌引き中に銀行関係の手続きを済ませ、あとは不動産の相続登記、四十九日の法要・納骨が控えている。
しばらくは父の偉功を思い出しながら冥福を祈りたい。
この週末、へんてこな天気続きだ。
朝、晴れてると思ったら急に雨が降り出したり、日が差してるなかで本降りになったり・・・
毎年、恒例の町内会総会と忘年会で昼間っから大宴会
その流れで我が家の東屋で4人ほどが夕方までうだうだと二次会
へろっへろである。
週記ブログは書けそうもないのでごめんなさい🙇
11月も終わり、今日から師走12月
昨日1日、お仕事絡みの日帰り旅行で松江方面へ10人ほどで出かけた。
朝に鳥取を出発時は雨だったが松江周辺は曇り空、傘をさすこともなく過ごせた。
安来市にある「和鋼博物館」たたら製鉄の歴史を学べた。勉強になった。
松江の堀川遊覧に大根島にある由志園で散策、
足立美術館の庭園が日本一と言われるなか、ここ由志園も私はなかなかだと思う。
若い頃は秋の紅葉だとか左程興味を惹かんかったが、今はこうした景色を綺麗だと思える。
こうして一日を和気あいあいと過ごし帰路へ。
途中、休憩で立ち寄った道の駅、貴重な一服タイム。
そこで年配の同行者が喫煙場所外で一服、喫い終わると地面に吸い殻を落とし踏み消してバスへ。
見た瞬間「えっ?」と思ったけど、相手は20歳くらい年上の人、何も言えず一緒にバスに乗った。
引っ掛かりを抱えたまま帰ってきた。
吸い殻を拾って「社長、忘れ物ですよ」とか言って、やんわりとマナー違反を指摘せなんだか、
それとも拾って自分で捨てるとか持ち帰って捨てるとかせんかったか。
重く引きづっているわけではないが、見て見ぬ振りをしてしまった自分を恥じ入る気持ちを抱えてしまった。
齢60も過ぎたのだ。
年上であろうと何を遠慮や臆することがあろうか、と思い直して明日から過ごしていこうと思う。