週末も終り、明日からまたお仕事の日々を迎える日曜夜、いかがお過ごしですか。
そろそろ年の瀬の準備やらを考えなくちゃいけないような時期となってきました。
その一環で、昨日は排水管の掃除をしたのですが・・・今日はそれらしいこともできずじまいの日曜でした。
長らく読んできた「パリは燃えているか?上」 ラリー・コリンズ ドミニク・ラピエール 志摩 隆 訳(ハヤカワ書房)を読了した。
内容は、第二次世界大戦、ドイツ軍に占領されたパリが開放される前後の状況を膨大な資料と関係者へのインタビューから構成した大著。
実に読みづらい本である。数多くの関係者~フランス軍人、市井の人、ドイツ軍人、アメリカ軍などの属性に加えて、軍人でも一兵卒から将軍まで、市井の人も一般人からレジスタンスや共産系の末端活動家から中心人物までまで実に幅広い人たちの当時の行動の瞬間や断片を細切れのカットで記述してある。
1944年8月19日、パリ開放への黎明的な時である。ヒトラーは、パリ占領を維持し続けたい意向を持ちながらもドイツ軍に抵抗や反抗する動きが見られた際には、パリの主要施設やライフラインの徹底的破壊を指示する。そうしたなかで、パリ開放を目指すレジスタンスやフランス共産党系の活動家、そしてアメリカを中心とした連合国軍の思惑が複雑に絡み合い、ドイツ軍に対して一斉蜂起のタイミングを虎視眈々と狙う連中がいる一方でドイツ軍将校との駆け引きによりパリ壊滅を阻止し、フランス人民の安全を確保しようとする人たちがいた。
アメリカ軍は、パリ解放とその後に必要となる糧食や物資の膨大さに、開放作戦の決行に二の足を踏んでいた。そして、ドゴール将軍と彼を信奉する連中とフランス共産党系の活動家たちなど、アメリカに頼らず、フランス人の主体的な独立心でもって、パリ開放に向けた草の根の抵抗運動を開始する。それは、連合国軍から離脱しても、連合国軍総司令官アイゼンハワーと袂を別ってでも、パリはフランス人の手で開放するのだという確固たる意思を持って行動していたフランス人がいた。そうした矜持みたいなものが今もフランスとアメリカの間でのアイディンティティーの違いを見ることができるような気がする。
というような史実をドイツ軍の攻撃や迫害から生き延びた人々からの聞き取りと残された資料から逐一丹念に拾い集め、時間を追って編纂してあるのだ。
少し前に、フランスの学生たちが政府に異議申し立てした運動に労働者が呼応し、政府案を撤回させたことがあった。「自分たちの権利は自分たちで守る」というまとうな主張と行動は正に民主主義であり、それを目の当たりした。
本著の一読をお勧めするわけではないが、感じたことを書いてみた、だけ。
ミイ様:やっぱりやり過ぎかのぅ、でも、ミイちょりもやってみ、面白いけ~。