先週日曜日、おやじの畑の休耕部分をトラクターで耕して、ソバの種を蒔いた。
水曜日には、もう芽を出して今日には既に双葉となっていて、相当に成長が早い。
しゃがんでよう見ると、種をほじくられた跡があって鳥の仕業、悔しいがこれも自然の摂理かのうと思う。
はてさて、これから実って収穫して蕎麦になるまでどうなることやら…
秋ナスが採れますようにとバサバサと剪定してさっぱりしたナス、
そしてニラを放置すると、 花が咲いて…種が落ちて来年また生える。
「戦争」ということと切り離せない8月が終わる。特に今年は戦後70年。
「戦争」ということを心にズシッと意識したと記憶にあるのは、
小学校2年か3年生のときに、家族旅行で広島に来て原爆資料館を見たことかもしれない。
祖父は戦争前に病気で死んでいて、親族で戦死したというのは、祖母の兄弟とか母親の叔父さんとかで、
親や祖母から戦争の話をぽつっと聞いたりはしたが実感として認識することはなかった。
その点、資料館は圧倒的で細かいとこは覚えてないがリアルな展示にとにかく怖かった印象がある。
その翌年からしばらくは、8月6日の原爆慰霊のテレビニュースを見るだけで、恐怖心が蘇って、
そのニュースを全部見ることができんかった。
そして、就職して広島で働くようになってからは、当然にそれまでよりも身近に感じることが増えた。
今から30年ほど昔、当時、市内の文化的サークル活動に参加して、反戦劇にもちょい役で出たり、
「86(8月6日)に飲んじゃいけまー」といった話を聞いたりしてた。
そして、ピースボートに乗ってアジアの戦跡などを巡る旅に行ったり、被爆者の話を直接聞いたり話したり、
パラオで、そこらへんに転がってるといった感じの日本軍の朽ち果てた大砲などを見たり、
ベトナムでは、枯葉剤の影響だとされるベトちゃんドクちゃんに会ったりした。
戦争は体験してないけど戦争を知るということに自分なりに関わり、そこから繋がるのはやっぱり「反戦」
今の「安保法案」を巡るやりとりを聞いておると、
相手がこっちよりもちょっとええ武器を持ったから、こちらもそれに合わせて武器を持たにゃいけん。
相手の脅威が高まったからこちらとしても対等に力を持たんにゃいけん。
といった際限のない武力競争に入り込もうとしているように見えてしょうがない。
国対国の間での武力行使って、一発打って終わりなんてぇことはない、のは歴史や事実が証明しているのだ。
安保法推進派は、そうした現実を分かって言っておるのか。
太平洋戦争に突入する前にも、懸命に開戦回避に向けた外交努力をしていた人もいた。
今大事なのは、安保強化法ではなくて、ねばり強く対話と理解を重ねて武力の脅威を低下させることなのに、、
そうした努力もなんもせずに武力行使可能な方向に進めるやり方は大間違いなのだ。
と、8月の総括をしておかねばならない。
ちゃちゃじい様:いえいえ、これもちゃちゃじい様を始めとする先輩方々のおかげです。
こうした飲み会、立場上強制にならんように言動には気を付けんにゃいけません。
しかし、飲んで本音トークも時にはボロっと出てしもうたり…汗です。