蕎麦やら、酒やら、料理やら・・・ピアノやら・・・それにしても、ドーナンダ?たむらん

趣味の蕎麦打ち、元来の酒好き、そして料理作りと仲間と一緒にわいわい、と
たまに思いつくあれこれと・・・趣味も

日々は重なり巡る

2025年01月26日 22時26分24秒 | Weblog

土曜日、父親の四十九日法要を済ませて納骨、そして参列していただいた方々と会食。
日々の生業を重ねていくなかで着々と日が過ぎて故人にまつわる法事事が巡ってくる。
人生100年時代と言われるなかで享年89歳というのは若くはないが「早いねー」と言われることもある。
今の自分の歳からいえば25年も先のことになる。
あと2年ほどもすれば年金受給年齢になるし、それから先をどう過ごし、どう生きていくのか、
まだ、差し迫っていないので確たることをイメージできないが、あれこれ思い惑わないわけでもない。
ただ、それよりなにより明日の仕事をどうするか、1カ月先にはアレを片付けて、3月にはアレをして・・・
といったことのほうが差し迫ったことなのだ。
いずれカウントダウンというかエックスデーが見えてきたら具体的に考えられるようになるかもしれない。
今は目の前のことに向き合って対処していく日々を重ねていくことが大事だろう。

あの品性の無さに目を背けたいが、目を背けられないトランプが大統領に就任し、
ようやっとガザでは停戦となったが、ウクライナはどうなるのか。
国内では石破首相が「楽しい日本」「令和の列島改造」を標榜しているが、果たして何がどうなるのか。
それにしても「楽しい」とは・・・・・・
日銀が政策金利を上げ、ガソリン補助金が減額となり市中のガソリン価格が急騰した。
あれこれと論じられているが中居某がどうなろうと私にとっては端からどうでもええし。
フジテレビがどうなろうと良い番組を作れば見るだろうし、つまらんかったら見ないだけだし…、
ただ、フジテレビという会社のていたらくぶりは、組織に属して生業している者にとっては、
場合によっては他山の石とすべきところがあるやもしれず、興味惹かれる面のある事件ではある。

なんてことをつらつら考えた週末であった。

蝋梅爛漫

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我が家ブーム

2025年01月19日 22時35分14秒 | Weblog

ここ2週間の週末は1月半ばだということを忘れるくらいの穏やかな天気に恵まれている。
山のほうでは適度に雪が降りスキー場はそれなりにお客さんがあり、里では降雪が少ない。
理想的な状況である。
天候も良いので、菜園の土を掘り返して土作りでもするのに恰好の気候なのだが、雨読癖からか動けない。

父親が亡くなるのとたまたまのタイミングで実家の土地を買いたいという話が持ち込まれた。
実家は3世代同居ができるくらいの作りで、弟の一人住まいには大き過ぎるし広過ぎている。
部屋も押入れも多いので、小生が広島の自宅を引き払って戻る際に、捨てるには惜しい物を保管している。
捨てるには惜しいものというのは、息子が幼少の頃から遊んで楽しんだ玩具たちなのだが。
大量のガンプラ、ガチャ玩具、レゴのお城、ゲーム機器類、映るが使えないブラウン管テレビ4台など、
これらは人によってはガラクタとも言えるし、価値観と見ようによっては「お宝」とも言える。
このなかから、プレステ本体やコントローラー、弟が使っていたスピーカーやらラジカセとともに
ブックオフ系の中古店に持ち込んで、総額7,000円ほどでお買取りいただけた。
別のお店へ持ち込んだ未使用の食器類50点ほどはトホホの2,000円くらいだった。
息子は息子で、メルカリに出品できそうな品々は持って帰って出品して何品かは売れたとのこと。
しかし、大量のガンプラ、ガチャ玩具などが段ボール箱に4つか5つは残っている。
メルカリを見ると、同じものが二千円台、三千円台で売れているではないか。
これから大量の「お宝」を整理してメルカリ出品か中古品店に売れればええな、と目論んでいる。
実家の売却話に間に合うように遺品整理も急がねばならんし、けっこう多忙な週末が続く。
ってなことで、ただいま我が家は「断捨離」ブームである。

蝋梅が満開っぽい。


小春日和の暖かさで芝桜もごく一部に花が咲いた。

 

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成人の日

2025年01月13日 22時06分22秒 | Weblog

成人の日を含めての3連休、日曜月曜は小春日和、風もなく日が差せば暖かさも感じた。
新成人の人たち、学生生活を送っている人、働いている人、どちらでもない人と現状は様々だろう。
状況はどうあれ、新成人の人たちにはお祝いとこれからの人生へのエールを送りたい。
失われた30年などと言われる日本情勢、失われる前世代とは違った価値観や社会情勢の下で育った世代、
24時間働き、給料が年々増えて、この調子でいけば将来は豊かで楽な人生を送れるといった幻想を知らず、
物心ついたときから将来不安ばかりが喧伝される社会情勢、それが今も続くなかで成人を迎えるのだ。
彼らから見れば”先達の世代”にある者として、エールを送らずにいられようか、
これから老後を迎える者として、日本の将来を担い、頑張る若人を応援せずにいられない。
そういった心境である。

他方で、朝の挨拶もろくにできず、問いかけにも反応が薄く、何を考えているのか分からない、
給料を得て働いていることの意味を理解しているのか、やる気も覇気も気力も感じさせない。
そんな若者がいることも知っている。
知ってはいるが、どう対処したらええのか答えを見つけられずにいるのも正直なところ。
ただ、そうした若者も時代の申し子的な存在なのかもしれないと思う。
将来不安や不確実で先の見通せない情勢のなかで無難に大事に育てられて、こうなっていた。
親御さんを責めるつもりはない。学校や親族や人によっては塾とか関わってきた大人は他にもいたはずだし。
要は、社会のありよう、なのだ。
ただ、彼らもいつまでもこのままでいられるわけではないのだから安穏としないことだ。
そのことをきちんと理解させるのも先達者の役目なんだろう。
嫌われてもこの先きっと分かってくれると信じて対処することなんだろうと思う。

元旦に開花した蝋梅が5分咲きくらいになった。

 

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まずまずのお正月

2025年01月05日 22時53分25秒 | Weblog

正月3カ日が我が社の休業日に加えて土日とつながったことから例年より長い正月休み。
年末からだと6連休で年始に休日が多いというのは結構気持ちにゆとりをもって過ごせて良かった。
それでも、小売業、交通関係、郵便局の物流関係、消防救急、病院など休日も少ない人には感謝である。

年の瀬迫るなか、親父が亡くなり欠礼はがきが到達する前に既に投函されていた年賀状が幾枚か届いた。
そのうち何人かの方は「本年をもって年賀状を終わる」旨のことが書かれていた。
数年前に年賀状終いを宣言した大先輩、35年近く前にとてもお世話になった人だし、
退職されてから20年以上も会うこともなく年賀状だけのやりとりだった。
お終いにされるのは先輩の都合だしそれはそれで一向に構わない。
ただ、こちらの近況なぞも含めて年に一度の年賀状は送り続けてきた。
その先輩から届いた今年の年賀状には「年賀状のない正月は寂しいものです」と書かれていた。
メールやSNSで簡単お手軽にメッセージを送れるようにはなったけど、やっぱり、
ある年齢以上の日本人にとっては正月に年賀状が届くのはあたりまえのことだった。
あたりまえだと思っている世代の方々が今や年賀状をあたりまえと思わなくなってきつつあるのだなあ。
定型句だけのものもあるけど、手書きで何か一言や想いや近況が書かれてあれば無沙汰も和らぐというもの。
届くから送る、送るから届く、、届かないから送らない、送らないから届かない、、、
そんな関係ではなく、届かないけど送るという年賀状関係があってもいいじゃないかと思う。
そんなことを思ったこのお正月。

さぁ、明日から仕事だ。

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賀正

2025年01月03日 15時20分47秒 | Weblog

新年初日と明けて2日と朝から晴れてうららかな天気。
元旦に初詣に参って午後からはお屠蘇気分でまったりして過ごす。
2日にブログ更新するつもりだったが、なんとNTTドコモがDDos攻撃を受けたとかで更新できず、
本日の更新とあいなった。
大手銀行もサイバー攻撃を受けるし、デジタル環境というものの脆弱さを垣間見せられた。

旧年中は実に様々なことがあった。
天災あり人災あり、はたまた喜ばしいことや心躍ることもあり、悲喜こもごも。
おそらくは今年もいろいろと思いもよらぬことがあるだろう。
そうしたことに一喜一憂、いや多喜多憂するだろう。
けれど、そうしたことにしなやかに不器用でも野暮じゃなく対処していきたい。
今のところの我が身は、歯医者通いと健康診断で緑内障の疑いが指摘されるくらいで
特に大きな持病も見当たらず過ごせている。
毎年、春になってもう少し暖かくなったらジョギングを始めようと思いながら1年が過ぎている。
加齢に抗うほどに鍛錬する気もないが、身体コンディションを維持する適度な負荷はかけてもいいだろう。
もうひとつは、何事かに対する興味や好奇心は旺盛に保っていきたい。
新聞や雑誌の書評を読んではいつか読もうと書評欄をスマホで撮影しているし積読本も増えている。
テレビ欄を見ては、気になる映画やドキュメンタリー番組を録画してはいるが撮り貯まるばかりだ。
人生100年とはいえ生きているうちにこれらを見たり読んだりできるのだろうかと思わないでもない。
「いつ見るの?いつ読むの?」「いつかそのうち・・・」そして「もう、時間がない・・・」
笑い話のような話だが、時間切れとなっても好奇心失くしたら終わりのような気がする。

年末につぼみが大きくなっていると記した蝋梅、花が咲いた。


 

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