この時期の天気予報を見ると、日本海側と瀬戸内や太平洋側との天候の差に鬱屈した気分になる。
大陸の高気圧の影響で日本海側に雪が降り、列島を縦断する山脈を太平洋側に越えた寒気は乾燥し、
太平洋側は雪がほとんど降らない、少なくて晴天の日が多いという気候の差をもたらす。
「あ~、広島は晴れか~、ええな~」とか「今週は、ずーっと雨かー」とか、地域差を感ずるのである。
そうは言っても、四国の高知や九州南部で降雪を観測することだってあるくらいだから、
教科書的な「気候の差」はそのまま当てはまるものでもなくなってきたのかもしれない。
こんなことを書くのは、所用あってこの週末、神戸に行ってきたからである。
鳥取を出発する朝は、どんよりと曇りいつ雨や雪が降ってもおかしくない空模様だったが、
列車が岡山県に入り、瀬戸内海に近くなると、空は晴れ日差しさえ出て車窓から見る景色は、
まるで春のようではないか。
さすがに、三ノ宮駅に降り立つとホームに吹く風はまぎれもない冬の風だと分かるが晴天である。
そして、鳥取に帰ってくると打って変わっての冬気候、今にも降り出しそうだと見ている間もなく、
冷たい雨が降り出して、彼我の大きな天候差を突きつけられた。
これだから「春」が待ち遠しい。
そして、文句言ううてもしょうがない、いろいろ工夫して「冬」も楽しもう。
ただ、じっと我慢して耐え忍んでひたすらに春を待つ、なんて楽しゅうないけーの、と思う。
ただ、親たちの世代を見てて、やはり「ひたすら耐える」山陰人の気性を感じる。
昔は、気候だけでなく様々な違いや格差も今以上にあって、鬱屈の度合いも強かったかもしれない。
もちろん、それは推測である。
その推測の根拠的なことに触れだすと、長くなるから今日はやめておこう。
今週の一枚
神戸港の海
今年もあと1週間、だらけずに締め括りたいものだ。