あの日から61年目の夏。
昨日、労組団体の催しで、広島平和公園内にある原爆犠牲者の慰霊碑や記念碑を巡った。
前日には、平和資料館を見学し、被爆体験者の方の話を聞いた。
「核」や「地域紛争」はあの戦争から絶えることなく、かつ、兵器の発達によって
より激しさと被害の拡大を招いている。
「核」についていえば、「核」という銃弾を込めた拳銃の引き金に指をかけた者同士が、
お互いに拳銃を突き付けあって、足元の小石を蹴り合って、小石の当たった国民が犠牲になっている。
過去の過ちから、何を学んできたのか、人間の愚かさを考えずにはいられん。
傍から見ると、拳銃を向け合って、相手に引き金を弾かせないように、ビビリながらも虚勢を張っているように思えてしょうがない。
国民性やメンタリティに宗教が結びつき、国によってはお金が絡み、泥沼状態ではないか。
過去から学ぶ、ということにおいては、日本はどうなんだ?自分はどうなんだ?
ということを自問してしまいます。
ねこまる様:難しい問題だけど、よぅく考えんにゃいけんし、声に出していかにゃいけんなぁ、と思うのです。
ちゃちゃじい様:5年先、10年先のことをどう考えるのか、儲けや利益だけじゃのうて、暮らしや社会をどうするんか、自分が問われますね。