木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

夕陽の言葉~女子プロレスラー

2013年06月10日 | 日常雑感
「夕陽」という女子プロレスラーがいる。
女子高校生プロレスラーだ。
平成7年生まれ。
初めて知ったのは、朝霞駅前のチャリティー試合で、アジャ・コングとの一戦である。
52kgの身体で100kg超のアジャに立ち向かうのは、かなり無理があり、しかもキャリアの差がある夕陽は惨敗する。
それでも、前に前に向かう夕陽の姿はすがすがしかった。
その夕陽が今年、外国人選手に完敗した後のインタビューが印象的だった。

「あと何を捨てればいいのか。
あと何を捨てれば強くなれるというのか」

彼女は、何をすれば強くなれるのか、ではなく、何を捨てれば強くなれるか、と言った。
つまり、今以上プロレスの練習をする時間を得るためには、何を捨てればいいのか、と言ったのだ。
ティーンエイジャーの言葉としてはすごい。

中高年になると、最近、つくづく、人生は取捨選択だと思うようになった。
何かをやりたいと思ったら、何かを捨てなければならない。
何もかも、全てを得られる人生はない。
自分が一番行いたいもののために、後のものを犠牲にする。
中高年の選択は、ティーンエイジャーの行う選択とは違っているだろうし、違っていなければならない。

でも、何かを捨てる覚悟なくして、大事は成しえないのは年齢を問わない事実だ。
そんな思いを、夕陽のインタビューを見て改めて思った。

夕陽のブログ

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植松努氏の講演録

2013年06月08日 | 日常雑感
北海道赤平市に株式会社植松電気という会社がある。
従業員17人、資本金1000万円の作業用大型マグネット機器を製造する会社である。
これだけ聞くと、ごく普通の会社のように思うだろうが、この会社は「普通」ではない。
ロケットを開発しているのである。
専務取締役植松努氏は昭和41年生まれ。
神童だった訳でもなく、東大出身でもない。
家が大企業を経営していたわけでもない。
それがなぜNASAに一目置かれるようなロケット開発を行う会社を作れたのか?
ここに講演会の記録がある。
「『夢』は僕らのロケットエンジン」と題されて、本とDVDがセットになっている。
その中にとても感銘を受けた部分があったので、少し長い引用になるが書き抜いてみたい。

僕は中学生の頃、ロケットの仕事がしたいなあと思ったのですが、周り中の大人から「できるわけがない」と言われます。でも僕は気がついたら名古屋で、飛行機やロケットをつくる仕事をしていました。そこを辞めて北海道に帰り、家事手伝いからスタートして、自分で株式会社を興し、10年経って、今またようやく飛行機、ロケットの仕事を始めました。すると今度は、「そんなもので食えるわけがない」とアドバイスをしてくれる人がいます。
大きなお世話だと思っています。できそうなことが夢なのでしょうか。必ずできる夢ってあるのでしょうか。必ずできてしまう夢って、夢なのでしょうか。そして、「食える」っていったいどういうことなのでしょうか。給料いくらとだと「食える夢」で、給料いくらだと「食えない夢」なのでしょうか。「食える」っていったい何なのだろうと僕は思っています。
そもそもなぜ、お金が必要になるのでしょうか。これをよく考えてほしいと思います。お金が必要なのは支払うためです。そして、将来の不安を解消するためです。この2つのために支出というものが存在しています。
でも、支払うためや不安を解消するために、お金を求めることが夢なのでしょうか。それは、ちょっと間違っているんじゃないかな、と思っています。


また、別のところでは、

やったことがないことは、試しにやってみると必ず失敗するということです。
これは間違いないですね。でも、失敗をデータにして、改良して再挑戦すれば、どんなことも必ず成功する。


わくわくするような言葉だ。
会社のHPの求人のところでは、喫煙者、ピアス、茶髪、左利きを不可としていて、下記のような理由を上げている。

喫煙や、ピアス、茶髪などを「かっこう良い」という価値感で行っている人は、私たちは望んでいません。あくまでも、自己のポリシーや生き方の表現は、見てくれではなく、行動によって表現するものだと考えています。
多くの工具や機械加工設備が右手用に作られている現状から、安全面を考慮して右利きを必須としています。


なんともかっこいい。
先に行く「大人」が夢失い、金だけを求め、がつがつと生きているのでは、あとから来る「子供」は碌なものに育たない。
夢のある大人でいたいものだ。

最後にまた引用。

あきらめてはいけない理由

あきらめると
どんな素敵な過去も
後悔の対象にしかならない

あきらめないと
どんなつらい過去にも
感謝できる
笑いあえる


株式会社植松電気HP

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春近書店~椎名町

2013年06月07日 | 日常雑感
池袋から西武池袋線に乗って一つ目の駅、椎名町は自分にとっては「特別」な町である。
もちろん、池袋も「特別」なのだが、椎名町は日常の中での特別な場所。
池袋は、ちょっぴり「ハレ」の町。
頭を抱えたくなるような失敗や、胸が痛くなるような思い出や、心浮き立つような、いわば激しい思い出の町。
椎名町は、もっと穏やかな思い出。
その中で、商店街にある「春近書店」には、何度足を運んだであろう。
店先には1冊50円の棚があり、ここでは数えきれないほどの本を買った。
今、考えると、運命的な本にも出逢っている。

一番好きな作家である海老沢泰久。
「監督」を買ったのは、表紙が魅力的だったから。

ロバート・B・パーカーの「初秋」。
スペンサーものの最高傑作と言われる本も単に「50円だったから」に過ぎない。

アーウィン・ショーの「夏服の娘たち」。
これも何気なく手にとった一冊だった。

中山千夏の「恋あいうえお」。
いつの間にか紛失していたものを、昨日、アマゾンで再入手した。
その中には今読んでも決して色あせない文章の数々。

この「近春書店」に限らず、どこで買ったかと覚えている本がある。
そういった本はかなりの確率で、今も自分の座右の本となっている。

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エモーショナルな時代

2013年03月31日 | 日常雑感
昔の曲は、ポエティック(詩的)かつロジック(論理的)な詞が多かった。
イントロで客を掴むという意図があったのだろうが、それにしてもあざやかである。
特にフォークと言われたジャンルはエモ―ショナル(感情的)と思われがちであるが、非常にロジック(理論的)である。

汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる。季節外れの雪が降ってる
東京で見る雪はこれが最後とね、と君がつぶやく(なごり雪)

あなたが船を選んだのはわたしへの思いやりだったのでしょうか。
別れのテープは切れるものだとなぜ気づかなかったのでしょうか(海岸通り)

花びらが散った後の桜がとても冷たくされるように、誰にも心の片隅に見せたくないはないものがあるよね。
だけど人を愛したら誰でも心のとびらを閉め忘れては傷つき、そして傷つけて引き返せない人生に気づく(このささやかな人生)

冷静に考えると、なぜ船を選んだのが思いやりだったのか、花の散った後の桜≒心の秘密といった図式など、ロジックぽい仮面をまとったエモーショナルな歌なのかも知れないが、おくゆかしさのようなものを感じる。

代わって、当代NO1の人気を誇るAKB48。

ギラギラッ 真夏の容赦ない太陽が
強火で照りつけるon the beach
自惚れ温度は急上昇(フライングゲット)

so long …微笑んで
so long …じゃあまたね
枝にいくつかの固い蕾
桜前線まだ来ないのに
私たちの未来 暦通り
希望の道に花咲かせる(so long)

「so long」は幾分ポエティックであるが、この詩が阿久悠を抜くものとは思えないというのは、年寄りのたわごとか。
書きたかったのは、牧歌的だった時代にはロジックなものが流行り、世間が数字だとか現実的なものによって判断される時代にはエモ―ショナルなものが流行るということだ。
現代は言うまでもなく、現実的な社会である。
インターネットの発達により、安いとか高いとかが1円単位で判断されることとなり、事の正否もかなり分かるようになってきている。
そんな時代に求められているのは、ロジックなものではなく、エモ―ショナルなものなのだろう。

秋元康氏の書く詞は、計算しつくされたエモーショナルな詞なのだろう。
批判するのは簡単だが、決して誰にでも書ける詞ではない。
詞の内容は大したことがなくても、売れるかどうかを見極め、売れる詞を書く才能が凄い、ということであろうか。
歌もそうであるし、小説も同じであるが、いかに多くの人に愛されるか、というのが大事である。
高尚とか、低級などという表現は当てはまらない。
時代にこびへつらうのではなく、時代をよく読むことが肝要ということだろう。

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土俵の真ん中で相撲を取る

2013年03月24日 | 日常雑感
㈱関東ロジスティックスを経営する高橋茂久氏は社員向けに発行した会社理念の中で、「土俵の真ん中で相撲を取る」ということを述べておられる。
ついつい土俵際の徳俵まで追い詰められてから、返し技を試みようとする人が多い。
追い詰められてからのうっちゃりなどの技は逆転技であり、派手で見栄えもいいが、成功率は高くない。逆にそのまま押し切られてしまうことのほうが多い。
ならば土俵際より勝率の高い土俵中央で相撲を取れ、というのが高橋氏の主張である。
その通りである。当たり前のことでもある。
けれど、ついつい締め切り間近にならないと腰が上がらない自分の所作を思うにつけ、実行に移すとなると、当たり前の正論がなかなかできない、と痛感する。

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上口龍生さんのブログ

2013年03月23日 | 日常雑感
赤坂のマジックバーを経営するプロマジシャンに上口龍生さんという方がおられる。
上口さんを知ったのは江戸の手妻(手品)を描いている「こんちころ」という小説を書いているころだった。
上口さんのことは、江戸の名奇術師・初代柳川一蝶斎が得意にした胡蝶の舞という日本の伝統奇術を見事に演じるところから知った。
新参者の質問にもこころよくお答え頂き、いろいろと御教示頂いた。
その上口さんは、ほとんど毎日のようにブログを更新されている。
その内容は、驚くほど濃い。
記事の内容は九分九厘がマジックに関するもの。
研究熱心な上口さんの性格がよく分かるだけでなく、考え方まで分かる。
その中でも特に印象に残っているのは、「頑張りと踏ん張り」の違いだ。

アマチュアは頑張ればよい。
プロは頑張るだけではなく、踏ん張らなければならない。

泳ぎをプールで練習している人間も、いざ大海に泳ぎ出たなら、「頑張る」だけでは駄目なのだ。
プールだったらいつでも立てる。
海に行ったらそうはいかない。
溺れれば、死ぬことになる。
プールで泳いでいるのがアマ、海に出たのがプロだ。

練習と稽古も違う、とも書いておられた。
練習とは鏡の前でひとり行う所作。
稽古とは人前で実際に演じて、相手の反応をフィードバックすること。

いくら練習だけしていても、稽古をしなければ本当の進歩は得られないと語られる。
人前でやみくもに実践しているだけでも、相手の反応を確かめなければ、これまた進歩は得られない。

小説に関していえばどうなのだろう。何が練習で、何が稽古なのだろう。
自分に関していえば、練習として、以前は名人と呼ばれる人の文章を写したり(志賀直哉や海老沢泰久)、ストーリーの再現を行ったり(1ページ写し、次の1ページは自分で考えて書いてみる)していたこともある。
けれども、私ももう「頑張る」ではなく、「踏ん張」らければならない(=結果を出す)時期に達している。
そういった意味では練習とは資料読みであろうか。
文章やストーリーテリングには才能による部分も多いが、資料集めに才能は関係ない。
どんな内容を書くにしろ、その小説の周辺にある知識はいくら多くても邪魔にならない。
資料読みは地味で大変な作業だけれど、そこにどれだけ時間を費やせるか、ということがマジックにおける練習と似ているような気がする。
練習のいいところは、他人のために行うのではなく、自分のために行うという点だ。
練習量の多さは自信に繋がる。

次に、稽古。
これは、他人に読まれることを意識して書く以外にない。
独りよがりになっていないか、分かりやすい文を書いているか、金を払ってもらってまで読まれる価値があるかどうか、などを意識して書くことだ。
稽古とは他人の目を意識することに他ならない。

話は随分飛んでしまったが、上口さんのブログを読むと、マジックに対する思い入れとか愛情といった感情がストレートに伝わってくる。
ここまで書いてしまっていいのだろうか、と思うような内容も多い。
マジックをやる人は必見、そうでない人もとても勉強になるブログである。

RYUSEIブログ

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本当に欲しいものを手に入れる

2013年03月22日 | 日常雑感
現代は色々なものが安く手に入る時代だ。
プラスチック成型品などはその最たるもので、カラフルなバケツやごみ箱、その他さまざまなものが本当に安く求められる。
食品も同じで何でも安い。

だが、ここで一回立ち止まってみる必要がある。
手に入りやすいものばかりを求めているのがいいのかどうか。

ふと自分を振り返ってみると、最近は本当に欲しいものを求めるのではなく、手に入りやすいものを求めて来たように思う。
順序が逆だ。
以前、世界的に有名なアルピニスト夫婦のドキュメンタリーを観た。
ふたりは1年のうち半年近く海外へ山岳旅行に出かけている。
そのほとんどが自腹だ。
そこで、ふたりは日本にいる残り半年を倹約に倹約を重ねている。
食べているのも家庭菜園で収穫した野菜が中心だったと思う。
もちろんケーブルテレビなどはなく、揃っている家電製品も乏しい。
それでも、ふたりには目標があるから、倹約も苦にならない。

本当に欲しいものを手に入れようとする気持ち。
本当に欲しいものを手に入れるには代償が必要だ。失うものも多い。苦しみもある。
そこまでして、欲しいものに手を伸ばそうとする気持ちは特殊なのだろうか。
そんなことはない。
手に入りやすいものを求めるのではなく、本当に欲しいものをがんばって手に入れようとする気持ちは、大切なのではないか、と思う。

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出版のご案内

2013年03月19日 | 日常雑感
去る2月20日に、青松書院という若い出版社から弊著「天高く」を出版させて頂いた。
水野忠邦が改革を行ったことで有名な天保期の江戸を舞台にしたがちがちの時代小説である。
この小説を書いたのは、2008年。
もう4年も前の話になってしまった。
当時は水戸や秩父、あるいは花火屋さんなどに取材に行き、日本にある花火書はほとんど読んだ記憶がある。
書きあげたあと、御蔵入りとなっていたので、突然出版されるとは思っていなかった。

御三家の中でもエリート意識の高い水戸藩士が江戸の「玉屋」という花火屋に修業に行くのだが、主人公はプライドの高さから、玉屋の現場監督者と喧嘩ばかりしている。
主人公の頭にあるのは、士農工商という縦割りの格差であり、中でも水戸は士のトップにいると考えているので、職人を蔑視している。
それが次第に心を通わせるようになる、というのがメインストーリー。
書きたかったのは武士という宮勤めの人間の悲哀と理不尽さだった。
今でも上場会社や一流企業に勤めているということを自慢げに話す人がいるが、会社は会社であって、個人は個人。
結局、企業の中には使い捨てのようなひどい使われ方をする人間がいるであろうが、この主人公も使い捨ての運命にあった。
それも分からず、むやみに辺りを睥睨しているのは、滑稽である。

この小説を書いたときは、山本周五郎の「赤ひげ診療譚」が頭にあった。
主人公が破天荒な人物に会っているうちに、段々と考えが変わっていくという一種の成長もので、本作品もその手法を踏襲している。
ただ何となく、人物がプロトタイプになりがちだったので、今回全面的に書き直した。
枚数も600枚超だったので、大幅にカットして縮めてみた。

もし御興味があれば、ご一読頂ければ、幸いです。

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古写真家・森重和夫さんのこと

2013年03月10日 | 日常雑感
最近は随分と便利になってきて、インターネットで様々な事柄が調べられる。
その代表がウィキペディア。
大変いいことなのかも知れないが、欠点もある。
その最たるものが、ウィキペディアは玉石混合という点である。
特に、マイナーな事項に関しては間違いが多い。
史跡を回っているときに、ボランティアのガイドさんが間違いを話していても咎めはできない。
だが、プロがアマチュアの人の話を鵜呑みにして、書いてしまったらどうであろうか。
ウィキペディアは、ボランティアのガイドさんに他ならない。
ガイドさんの中には、元大学教授の人もいるかも知れない。
中には、ただ注目を集めたい人もいるかも知れない。
要するに、それが玉石混合ということだ。
ウィキペディアは、項目が多過ぎるから、結果として、アマチュアの発言が多くなってしまう。

物を書く人にとって、大事なのは現地調査だと思う。
小説家は学者ではない。
けれど、間違ったことを書いていいのか、というとそういう訳ではない。
間違ったことと、正しいことの間には、明確な線が引かれていない場合も多い。
そのボーダーを見極めるためには、絶対に現地に行かなくてはならない。

森重重夫さんは、もとD通に勤めておられた方だが、古写真に興味を持たれて、現在では文筆で生計を立てておられる。
その森重さんにインスパイアを受けたのは、現地取材の必要性だ。
森重さんは、必要と思ったら突然ピンポンで取材にあたったと言う。
この考えというのは、当時の自分にとって、かなり衝撃的だった。
作家の誰誰、研究者の誰誰、という地位を得てから、初めて取材ができるのではない。
調べている事柄に対して、本当に興味をもっていたら、肩書などは全く関係ない。
そう思わせてくれたのが森重さんであった。
プロとアマチュアの境は、自ら足を運ぶのか、インターネットで済ませてしまうのか、であると教えて教えて頂いた。
考えてみれば当たり前だが、昨今では、こんな当たり前のことすら出来ない「プロ」も増えてきた。
とても悲しむべきことだ。

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尊敬する人~芝哲夫先生

2013年03月04日 | 日常雑感
芝哲夫先生の名を知ったのは上野彦馬を調べている途中で購入した「日本の化学の開拓者」という本の著者であったところからだった。
芝先生は元大阪大学理学部の教授で、専門は生物有機化学。併せて日本化学史。
総じて理系の人の文章は生硬で文脈も乱れていて分かりにくい傾向があるのだが、芝先生の文は分かりやすいだけでなく、格調がある。

「これまでの化学の教科書の無味乾燥な内容に、それでなくても化学に無関心な若者は、嫌悪感を深めるだけで化学から離れていってしまう。この状況を憂慮していた筆者は、そうではなくて、こんなに化学は面白い、これほど化学は生きるために大切であることを学生たちに伝えるためにはどうすればよいかと長く考え続けた」(化学物語25項)

「私は将来を歴史学の専攻に託そうか思い迷いつつ、結局は相談した恩師の勧めもあって理科の道を選んでいた」(オランダ人の見た幕末・明治の日本)


上記の記述を読むと、なるほどと手を打つ。

私は先生に、唐突に手紙を認めたことがある。
上野彦馬と交流があった津藩士・堀江鍬次郎について何かお知りになってはいないかと思ったからである。
失礼だとは思ったが、煮詰まっていた私は他に有効な選択肢も見つけられず、窮余の策として先生に手紙を書いたのだ。
多忙な先生のことである。黙殺されても仕方ないと思っていたが、返事が来たのは早かった。
封書で来た内容は「あまりよくは知らない」とのことだった。
そこで、私が調べて知り得た資料をお送りした。
すぐに礼状が来た。
私が送ったのは、鍬次郎の墓の写真とか、古い津広報のコピーなどであった。
先生はとっくに調査されておられて、津広報の記事を書いた方とも直接、会っておられた。
私の行為は釈迦に説法どころか、失礼なものであっただろうに、先生は御礼を述べて下さったばかりか、激励して下さった。
本物というのは芝先生のような方を指すのだろう、と思い知った瞬間であった。

何回か年賀状もやり取りさせて頂いていたが、平成22年9月28日御逝去。
御冥福をお祈りするのは当然として、先生の研究や名著が埋もれてしまうのはもったいなさすぎる。
「日本の化学の開拓者」は不朽の名作だと断言できる。
ぜひ、御一読をお勧めします。

化学物語25講義 化学同人
オランダ人の見た幕末・明治の日本 菜根出版

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