木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ブルースとジャッキーの接点

2010年07月31日 | 映画レビュー
ブルース・リーを知らない世代も増えて来た。
ジャッキー・チェンにしてもカンフースターだったことを知らない人も多いに違いない。
さらに、この二人に接点があったと知っている人となると、ほとんどいないのではないだろうか。
実はこの二人は格闘シーンで共演している。
リーは1940年生まれ。
チェンは1954年生まれ。
14歳違いの二人は「燃えよドラゴン」で共演(?)している。
カッコで?付きにしたのは、チェンはほんの脇役でしかないだからだ。
ジャッキーはこのとき19歳。
10秒足らずの端役に過ぎないが既にこのときは例のおかっぱのような髪型だったのが興味深い。
ブルースに髪を捕まれるのだが、長髪のジャッキーの髪型は都合がよかったのだろう。

リーの息子のブランドン・リーの存在を知っている人も少数派だろうか。
映画の撮影中に実弾に当たって28歳で死亡してしまったブランドンの当たり役は「クロウ」。
前篇に漂う暗い雰囲気とバックに流れるロックがぴったりとマッチしていた。
ブルース・リーの享年は32歳。
図らずも、ブランドンはブルースよりも早世してしまったことになる。
今頃はあっちの世界で親子仲良くトレーニングしているのだろうか。

燃えよ!ドラゴン

クロウ~飛翔伝説

It can't rain all the time(クロウのエンディングテーマ)

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オーケストラ

2010年06月10日 | 映画レビュー
ロシア映画「オーケストラ」。

共産主義下のソビエト。
ユダヤ人の排斥を拒んだ主人公はオーケストラを追放されてしまう。
それから30年後。
ふとしたきっかけから、主人公の指揮者はパリで復活を遂げる。
ハリウッド映画だったら「ロッキー」のようなサクセスストーリーにするところをロシアの映画はコメディタッチに仕上げた。

この映画のどこがよかったのか考えていると取りとめもなく、理屈っぽくなってしまった。
この映画の最大のポイントは理屈とは対極にあるのに。

主人公の指揮者と話をしていて、若い女性ソリストは嫌悪感に近い反感を抱いてしまう。
説得され、同じ舞台に上がったものの、挑発的な演奏を始めるソリスト。
その演奏が段々と指揮者に同化していく。
ばらばらだった楽団も、それにつれて至上のハーモニーを奏でる。

最後の場面のチャイコン(チャイコフスキーのバイオリン協奏曲=世界一美しい旋律)では、不覚にも泣いてしまった。
主人公が言葉を尽くしても説得できなかった人たちが、指揮を通じて主人公を完全に理解した。
昔「それがしという人間は、それがしの剣が説明してくれる」と語った武士がいたが、この映画では指揮棒を振ることで団員がみな主人公を理解した。
主人公の生き方が本物だったからである。

この映画のキャッチコピーでは、「寄せ集め楽団が奏でる奇跡のシンフォニー」(協奏曲だからシンフォニー=交響曲ではないと思うのだが)、主人公を天才指揮者と表現している。
そうだろうか。
奇跡と言うと、どんな不思議、偶然も正当化されてしまうので、安易に使いすぎだ。
奇跡とは、本人にとっては必然と思っていることに、ほんの少しの偶然が重なったものを他人が評価したに過ぎない。
天才とは、最後まで諦めの悪い人の総称に過ぎない。

華やかだった過去を懐かしみながら背筋を丸めて歩くという選択も主人公にはあった。
だが、この主人公はどこかで背筋を伸ばしながら生きて来たのだろう。
人生のどの時点で問いかけられても答えられるだけの生き方をしていたいものだと思った。

名古屋では新栄の名演小劇場にて上演中。

オススメ度★★★★★(クラシック好きな方)
       ★★★★ (クラシック好きでない方) ★5つが満点





オーケストラHP

名演小劇場HP

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シャネル&ストラビンスキー

2010年03月15日 | 映画レビュー
「シャネル&ストラビンスキー」。
タイトルからして、スタイリッシュな映画だ。
作曲家ストラビンスキーを自分の別荘に招き、シャネルがパトロンになったという史実から、映画はストラビンスキーとシャネルが恋仲にあったという大胆な仮説を打ち出し、ストーリーの核としている。
さらに、「春の祭典」と「シャネルNO5」は、お互いにインスパイアされ、出来上がったというストーリーとなっている。
描き方によっては、随分と高慢で嫌味な女になってしまうシャネルも、ぎりぎりのところで嫌味な女になっていない。
かといって、実は弱い女だったんだ、というオチにはなっていない。心理的な揺れもあったのだろうけど、映画では揺れはあまり描かれておらず、強い女として一貫して描かれている。
芸術への理解と寂しさからストラビンスキーに傾倒していくシャネルと、肉欲でシャネルに近づいていくストラビンスキー。
「俺は芸術家だが、お前は洋服屋だ」とストラビンスキーが怒鳴るシーンが、彼の内面をよく表している。
ストラビンスキーは、妻とシャネルのどちらかを選択できず、また、二人の女を器用に扱うこともできない。
大胆で自信家のシャネルに対し、ストラビンスキーは小心で几帳面。
酒で酔って、八つ当たり気味でピアノを弾くくらいしか、ストラビンスキーにはできない。
作曲は奥さんに校正させたあとで、完成。
少し、ストラビンスキーの描き方が可哀想だが、芸術家の私生活とはこんなものかも知れない。
意識して感動的な演出を抑えているのだろうが、淡々と物語は進み、突然終わる。観終わったあと、映像の綺麗さばかりが印象に残った。
お勧め度は、★三つ(五つが満点)。

シャネル&ストラヴィンスキーHP



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アンヴィル

2009年11月03日 | 映画レビュー
アンヴィル~夢を諦めきれない男たち」を観た。日本にいるとなかなか海外アーティストの懐事情までは分からないところがあるが、セレブな生活をしているアーティストもいるし、その逆もいる。アンヴィルは、「逆」のほうのバンドである。
アンヴィルとは80年代に活躍したヘビィメタルバンドである。実は、僕も当時はHMの中にどっぷりと浸かっていたが、今となっては何となくバツが悪いようにも思ってしまうのはなぜだろう。もともとロックとは既成への反抗であるから、段々、自分が既成体制に組みしてきてしまっているからかも知れない(実を言うと、今でもHMが一番心ときめく音楽なのであるが)。
映画はアンヴィルのオリジナルメンバーであるボーカルのリップスとドラムのロブを中心に据えたドキュメンタリー映画である。
お馬鹿な若い頃から、純粋に夢だけを追えなくなった51歳になるまでが映画に登場する。
リップスの夢とは「ロックスターになってやる」である。
西武球場で演奏したアンヴィルは十分に「ロックスター」だったと思うのだが、商業的には全く成功しておらず、リップスは給食のケータリング業、ロブは建設作業員で生計を立てていた。
その一方で定期的なライブ行い、13枚ものアルバムを出している。ヨーロッパツアーまで行っているのだが、バンドからの収入としてはごくごく僅かなものだったらしい。
こうなってくると、成功とは何か、という根本的な問題にぶち当たる。
アマチュアなら十分に成功しているだろうが、プロとしては全く成功していない。それでも別収入があり、暮らしていけたのだから、成功と言えるのだろうか。
アンヴィルは技術的にはもちろん、現在活躍しているプロと比べても遜色がなかったのであるが、技術の巧拙と人気は比例しない。
若くしてポッと出てきてスターになる人種は、無名の新人の中から出てくる。無名の新人はそれこそ無数にいるわけで、無数のスターになれなかった人の上に、ロックスターは成り立っている。
アンヴィルは一回は「無数のスターになれなかった人」たちに伍してしまった。
それがこの映画により再びビッグステージに上がることできた。
それは単に「ラッキー」だったのであろうか。
続ければ必ず夢は叶うと言う発言はあまりにも安易であるが、辞めてしまえば成功できないのは確実である。
運命の神は皮肉であるけど、必ずしも意地悪ではないと信じたい。
ちなみに、今はリップスもロブも音楽に専業している。


アンヴィル~夢を諦めきれない男たち H P

海外版予告編(字幕付・個人的にはこちらの予告編のほうが好き) 

We're gonna do it together! We get there! We'll get the rockstars! It's a dream. But I'll make it dream come true!
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2009年09月18日 | 映画レビュー
クリック~もしも昨日が選べたら

コメディである。
ストーリーはありがちなもので、斬新なものではないが、個人的にはこの手の映画に弱い。気が付くと、涙している。

人生をビデオのように早送りすることができるリモコンを手にした主人公は、出世の階段を上っていくが、その間に肝心なものを置き忘れている。人生において本当に大事なものは何か分かった時には、死期が迫っていた。

といった内容である。

生きていくと、手段が目的になってしまう場合が多い。
出世することはよりよく生きるための手段でしかないのに、出世こそすべてだと思うと、出世が目的となる。
会社は人を競わせることによって伸びていく部分があるから、ポストが人格にさえなり得る。
同じ事を言っても、お偉方の言ったのと、ペーペーが言ったのでは、見向かれ方が違う。
「いい人」は、会社では直接評価されない。
何の商売でも同じだ。
「いい人」が行っている商売はずるい人がやっている商売よりは儲からないだろうし、世の中が貨幣経済である限り、「いい人」は、経済的には恵まれない。

しかし、世の中を見てみると、「いい人」なのに儲かっている人もいる。
一体、どうしてなのであろうか?
世の中はきれい事だけでは済まされない。
かといって、汚れた面だけで世の中が成り立っている訳ではない。
結局は、匙加減だと思う。
会社の仕事は誰かが指示してくれるが、人生という職場においては、誰も生き方まで指示してくれない。
逆に、誰かに指示された生き方を送っているようでは本当の生き方ではない。
与えられた価値観だけで行動していると罠に陥り、自分を見失いがちとなるので、自分の考えで動くのが大事だ。

自分にとって、本当に何が大事なのか。
そんなことを真剣に考えたくなる気持ちにさせる映画だ。


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ロスト・イン・トランスレーション

2009年09月17日 | 映画レビュー
もうすぐ秋の連休。DVD化されている映画の中で何本かお勧めの映画をご紹介したいとおもいます。



ロスト・イン・トランスレーション

ソフィア、ありがとう!
これほどまでに日本を正確に捉えていた映画はあったであろうか。

風鈴の音を聞いて涼しさを感じたり、こおろぎの鳴き声を聞いて秋の訪れを感じたりするのは日本人だけらしい。
それだけ、日本人は繊細だということだ。
ハリウッド映画などは、出会った男女がすぐにベットイン。
妙に違和感があるなあ、と思っていたら、日本人の感性のほうが大雑把になってきた。

ソフィア・コッポラは名前でも分かる通り、フランシスフォード・コッポラの娘である。
日本に住んでいたこともあって、日本に対する造詣は深い。
LとRの発音が出来なかったり、悔しいけど事実といった内容も盛り込まれている。

「ロスト・イン・トランスレーション」はソフィアが2003年に作った映画である。
過激なストーリー展開はなく、どちらかというと、淡々と物語は進んでいくのだが、よくありがちなエピソード挿入によって成り立っている映画とは違う。
病院でビルマーレイとおばあさんが遣り取りをする場面など日本人監督のような演出である。

ヒロインのスカーレット・ヨハンソンは初々しくて可愛い。
し主人公のビル・マーレイは中年の落ち着きと諦めをよく演じている。まばたきの多さがによって心境を表そうとするのは、まるで谷啓のようである。

音楽とカメラワークも素晴らしく、観終わった後も爽やかな気分になれる。
抱えた問題はすぐに解決しない。時には諦め、時には我慢しながら問題が解決するのを待つ。20代の女性の持つ悩みと中年男性の持つ悩みでは違って当然である。それぞれの年代にそれぞれの悩みがある。この映画は悩みの解決方法については回答してくれない。
だが、誰もが悩みを持っていて、その悩みは自分の中で解決しなければならないことを教えてくれる。だが、解決のヒントを与えてくれる人はいる。この映画の二人の出会いは、一期一会なのだろうが、思い出は永遠だろう。お互いに触発されるような人間関係を築きたいものだ。

映画から
The more you know who you are
and what you want,
the less you let……things upset you.

(もっと自分を知り、自分が何をしたいのか分かる様になると、
周囲に振り回されなくなる)




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ポー川のひかり

2009年09月01日 | 映画レビュー
日常はメルヘンではない。
スローライフを標榜しているような人のもとにも納税の催促は来るし、地域開発の余波は押し寄せる。
また、中年以降の人間ならば成功しているか否かを問わず、人生をリセットしたくなる瞬間というのはあるはずだ。
「ポー川のひかり」の主人公は将来を嘱望された哲学者。
その彼が、今までの人生を完全に否定するかのような行動に出て、行方不明になる。
そして、ポー川のほとりに世捨て人のように住んで、周りの人々からはキリストさん、と呼ばれるようになる。
78歳の大御所、エルマンノ・オルミ監督は、以後はドキュメンタリーを撮っていく、とのことで劇映画はこれが最後であると明言している。その監督の思い入れが過剰なほどにあふれた作品である。
旧聞で恐縮であるが、昔々、アリスというバンドが解散するとき、「最後だけは自分たちの内側を見ながら演奏させてもらうわがままを許して欲しい」と言っていたことがあった。
この映画もまさに、監督の考えが凝縮されているのだと思う。エンターテイメント性とかストーリーというものよりも、内面の声を重視している。
キリスト教文明を肌で知らない日本人には特に難解かも知れない。
ストーリーとしても、内容としても分からない部分が個人的には多かった。
ただ、オフィシャルサイトのキャストのところにもスチールとして使われているダンスの場面の映像はとても綺麗だった。
あの場面だけでも見る価値はあるように思う。
主人公がラモス・ルイに似ていたのは少し気になった。

お勧め度は、「個人差がありすぎて何ともいえません」。
ただ、自宅でDVDなどで観たら、さらに監督のメッセージは伝わりにくくなるかも知れない。観るなら、劇場で観るべき映画だ。


ポー川のひかり H P



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エルカンタンテ

2009年08月23日 | 映画レビュー
私は、音楽がメインテーマになっている映画に弱い。
この『エルカンタンテ』もエクトル・ラボーというサルサシンガーを描いた伝記映画である。
全編に流れるサルサ。
エクトルを演じるのは、サルサの人気スター、マーク・アンソニー。彼は、実際に映画の中の歌も自分の声で熱唱している。
製作指揮は、出演もしているジェニファー・ロペス。
ジェニファーとマークは実の夫婦である。
映画は、エクトルの成功と、薬物中毒に溺れていく姿を核に進んでいく。
その中にちりばめられたサルサの名曲の数々。
マークの歌声は素晴らしく、トップシンガーとしての実力を遺憾なく発揮している。演技にも嫌味がないし、役どころ事体がはまり役である。
ジェニファーも、好演といっていいだろう。
流れる楽曲が素晴らしく、演技もまあまあ、カメラワークもよい。
それなのに、なにかもうひとつ映画に入り込めない。
映画の進展がジェニファー演じるところのエクトルの妻、プチへのインタビューに基づいて進めらていくという形式なのだが、そのインタビューの場面が多すぎて、その度に映画に入り込もうとする心を邪魔されるような思いだった。
「タイタニック」もローズの話から本編に入っていったが、「タイタニック」のようにインタビューの場面は最初と最後だけでよかったのではないだろうか。
夫婦共演による嫌味はあまりなかったと思うのだが、思い入ればかりが空回りしているような印象を受けた。
エクトルの栄光も、薬物中毒などの影の部分も共に描き方が中途半端で、音楽の素晴らしさだけが救いだったような感じである。
お勧め度は50%くらいかな。

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人生に乾杯!

2009年07月17日 | 映画レビュー
久々にいい映画を観た。
「人生に乾杯!」
ハンガリー映画である。

観る前は不安だった。
ポスターからしてアメリカ映画の「俺たちに明日はない」のオマージュっぽい。
ハンガリー映画というのがどのようなものか分からなかったし、ウェットに描くのか、ドライなのか、コミカルなのか見当もつかない。
それが、重くなりがちな映画は、小気味よいテンポで、いささかドライに、いささかコミカルに展開されていく。

監督は1966年生まれというから、ニューシネマにぎりぎり片足を突っ込んでいた世代か。
最後のほうでは、私の大好きな「バニシング・ポイント」の場面が出てくるし、もっと詳しい人が見たら、パロっている場面が多くみつけられそうだ。
内容については敢えて書かないが、「え、こんなストーリーだったら、すぐに終わってしまうじゃないか」と思わせながら、物語が絶妙に展開していく。それでいて、アメリカ映画にありがちなストーリーの破綻がなく、納得して最後まで引っ張っていく。

ひとつ考えさせられたのは、主人公たちが銀行強盗で得た金でリゾートホテルへ行って、楽しそうにしている場面。
妻に「あなたのそのような笑顔は30年振りに見た」といわれるのだが、やはり先立つものがないと、人生に達観しているような人々もやっていけないのだろうか。
どっかの国でも「後期高齢者医療制度」などという長生きを馬鹿にしたような制度が始まっているが、ハンガリーでも、年金問題は大変らしい。働けない者は価値がないと言わんばかりの制度には問題があるが、今の日本のように問題を先送りばかりしていると、結局つけを払うの我々である。
今、考えないといけない問題もある。

話が逸れたが、この映画は、愛知では上映が終わってしまったが、その他の地域ではこれから公開するところも多い。
お奨めです
相性度は90%!!



人生に乾杯!HP
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ミーシャ ホロコーストと白い狼

2009年06月25日 | 映画レビュー
映画「ミーシャ ホロコーストと白い狼」を観た。
事実は小説より奇なり、という。

この映画は、世界17カ国で翻訳され大ヒットとなった「少女ミーシャの旅」を原作としている。
ナチスにより両親を連れ去られた8歳の少女が単独で3年もの日々をかけてベルギーからウクナイナまで両親探しの旅に出るユダヤ版「母を訪ねて三千里」の世界である。
その距離は片道2400km。日本でいったら九州から北海道くらいの距離を往復することになる。
ほとんどが徒歩で、しかも町中だけではなく積雪のある山間部も通過している。
防寒着も着ていないのに凄い。
腹を空かせた狼と出会っても襲われることなく、いきなり狼がなついてきたとしても、事実なら納得せざるを得ない。
戦争という過酷な状況が火事場の馬鹿力を出させたのかなあ、と思って映画を観ていたのであるが、後に知ったところによると、この小説はフィクションだそうだ。

ええ~?!

もとは、ノンフィクションとして出版されたが、読者から疑問の声が上がり、その後、作者が「事実ではない」と謝罪した。
もっとも、作者はノンフィクションとして売り出したくなかったそうなのだが、出版社の意向により、ノンフィクションとして売り出したとのこと。真実はどうなのかよく分からないが、いかにも出版社の考えそうなことではある。

映画の予告なども、何となく実話に基づいているかのような印象を与えさせるのは、フェアではないなあ。
だからといって、映画の出来が悪いか、というと、そうではない。
映画の中では、経験した者でない知りえないようなリアリティさを感じさせるところが随所にあり、それがまた、この映画をノンフィクションぽくさせている。
フィクションとしてみると、ストーリーが確かに強引なのだが、史実を含んだファンタジーとして捉えると、納得できる。
ナチスに両親を連行された子供達は、みなこの映画のストーリーのような夢を見ていたのは事実であろう。
そういった意味では、この映画は確かに「真実」である。

押しつけがましい演出がないのもよかった。監督の感情はミーシャの生きる執念を刻々と描いていて、それが取りも直さず戦争に対するアンチテーゼになっていた。
戦争は、どんなことがあれ、正当化されるべきではない。

お勧め度は、65%。



「ミーシャ ホロコーストと白い狼」HP

主役子役女優マルチダ・ゴファールのインタビューHP

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