木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

路上のソリスト・所感

2009年06月15日 | 映画レビュー
「え?これ 『シャイン』じゃないの?」と主人公の路上生活者ナサニエルが出てきた途端思った。ジェイミー・フォックスの演技はうまいのだろうと思うものの、『シャイン』のジェフリー・ラッシュの名演技がダブってしまう場面も多かった。でも、どちらも実話だから仕方のないところだろうか。
原作は、LAタイムズのコラムニストによる。
昔、日本にも青木雨彦という人気コラムニストがいた。亡くなって十年にもなる。その知名度は低くなった。一方のアメリカでは日本とは比較にならないほどコラムニストの人気が高いようである。

映画のコピーフレーズは、「奏で続けていれば、いつかきっと誰かに届く~路上で起こった真実の物語」。名コピーである。この映画で述べられているのは静かな感動である。ハリウッド映画はこの手の映画作りがあまり得意ではない。ベタベタとしたものになるか、あっさりし過ぎたものになるか、過不足が起こりがちなのであるが、この映画はまあよい匙加減であると思う。
ただ台詞が陳腐。
「今は生活のために書いている。昔はそうじゃなかった」とコラムニストが語っているが、こんな感想は同じ仕事を長く続けて来た中年なら大概の者が思うこと。もっと内面を掘り下げられないものかなあと思った。
また、離婚した妻に対する感情も中途半端な感じ。「人生に悩むコラムニスト」という設定だけれど、その悩みがよく伝わって来ない。
コラムニストとナサニエルの関係は、『キリング・フィールド』にも似ている。
コラムニストが記事を書くためにナサニエルを利用しているだけに過ぎない、と同僚に言われる場面がある。
だが、善意の押し付けであっても、かなりコラムニストはナサニエルに対して時間と労力を掛けている。
この辺は、いかにもアメリカ的なのであろう。日本人だったら、もう少しドライで手間を掛けないのではないか。
アメリカでは義務と権利の関係に対する他者の目が厳しいように思った。

この映画は、予告編の出来が素晴らしく、実際に見てみると、人によっては、少し思惑を外されるかも知れない。だが、日常に奇跡はなかなか起こらないのが現実である。
だからこそ、奇跡を求めて映画を観るのかも知れないが。

お勧め度は、60%くらい。


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映画「ありがとう」

2009年04月16日 | 映画レビュー
赤井英和主演の「ありがとう」という映画のDVDを観た。
主人公の古市忠夫は、実在の人物。
還暦目前にプロテストに合格した人である。
阪神・淡路大震災の被災者でもあり、映画には、大震災の状況がよく現されている。
私は、大震災の翌年から阪神間に住んでいたので、地震は他人事とは思えなかった。
その古市氏は、「努力」についてこう述べている。

奇跡とは、努力と才能と、努力を続けられることを感謝する気持ちによって起こる。

エジソンではないが、成功には、才能よりも努力の占める割合が大きいとはよく耳にする言葉であるが、感謝力というのは、古市氏独特の考え方だ。

努力することは立派だが、その行為に甘んじてはならないのだろう。
努力できる環境にも感謝するというのはなかなか思いつかない言葉であった。

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ふたりだけの恋の島

2008年10月27日 | 映画レビュー
「ふたりだけの恋の島」という古い映画のDVDを入手した。
オルネラ・ムーティというイタリアの女優が魅力を爆発させた映画である。
初々しいオルネラのあどけさの残る表情と、大胆な肢体が観る者(特に男性)を魅了した。
今、改めて観てみると、映画の中の音楽が見事だったことに気が付いた。
ジャンニ・マルケッティという人の手になる音楽は、「ミドル・オブ・ザ・ロード」というスコットランドのバンドが演奏しているのだが、ボーカルのサリー・カーという女性の声が何とも頼りない感じで、それが癖になる。
もう何十年も前の映画なのに、映画の中のメロディを聞くと、はっきりと覚えていた。
ビデオもDVDもない時代だったので、観た回数というのは、ごく限られたものであったのに、よほど強烈な印象が残っていたのであろう。
昔、感銘を受けた映画を改めて観ると、映画中の音楽が優れていたものが多い。
「バニシング・ポイント」「真夜中のカウボーイ」「サンダーボルト」「パピヨン」「セルピコ」など。
考えてみればイタリアには、エンニオ・モリコーネをはじめ、優れた作曲家が多く、マカロニウエスタンや思わず涙を流してしまうような作品の成功を促した。
「タイタニック」が受けたのも、楽曲の素晴らしさにも、大きな一因があると思う。
まだ、中学生や高校生の時に観た映画の音楽は、諸外国の匂いや憧れを伴って、脳裏に焼き付いた。
私の語学や地理に関する興味というのは、すべて映画から始まったと言っても過言ではない。
ちなみに「ミドル・オブ・ザ・ロード」は「チピチピ天国」という情けない邦題の曲をヒットさせたが、その後は聞かない。
私自身も、最近、このDVDを手に入れてから、「ミドル・オブ・ザ・ロード」というバンドが挿入歌を唄っているのだと知った次第で、一発屋で、今はどこに行ったのかも分からないのだろうなあ、と思いながらインターネットを見ていると、なんと、びっくり、このバンドは現役でした。これには、驚きました。ミニスカートの似合っていたサリー・カーをはじめ、残りの三人の男性も
おじさんというよりは、おじいさんといった風情になってはいたが、何となく嬉しかった。
話は大きく戻って「ふたりだけの恋の島」。
主演のアレッシオ・オラーノとオルネラ・ムーティは、前作「シシリアの恋人たち」以来、連続の共演で私生活でも結婚。
しかし、その結婚は長く続かなかった。
ふたりは離婚し、オルネラは女優として成功するが、アレッシオは銀幕界から去ることとなる。
何か、映画のラストシーンを見ているかのような結末である。

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「ふたりだけの島」のサントラ版が手に入らないと諦めていた方。上記のアルバムには映画の中の音楽がほとんど含まれています(ボーカルもの)。このアルバムは買いです。
コメント (2)
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山桜

2008年07月02日 | 映画レビュー
「山桜」という映画を観た。原作は藤沢周平。もともとは、短編である。原作をいじっているのかなあ、と思ったら意に反して原作に忠実で、台詞などは、ほとんど同じ部分も多い。暗くなりがちな藤沢小説を淡々と描くことにより、暗くなりすぎず、かといって、妙に盛り上げようともせず、なかかないい塩梅にできあがった映画だと思う。特に、カメラワークが綺麗。東山紀之の殺陣が妙にうまかったように見えたが、じっくり見るとそれほどのことはない。だが、この人は所作のひとつひとつや表情がかっこいい。カメラもよくて、尚更、殺陣がうまく見えたのであろう。無口な役所もなかなか堂に入っていて、得な役であった。田中麗奈も、まるで着物が歩いているようであったが、初々しい演技には好感が持てた。


山桜HP

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地上5センチの恋心

2008年04月28日 | 映画レビュー
「地上5センチの恋心」という映画を観た。フランス映画である。
どうもフランス映画というと、ひねった結末が多いので、個人的にはあまり好きではなかったのであるが、この映画は、アメリカ映画以上に古きよきアメリカ映画的であったように思う。
スランプを迎えた人気作家と未亡人というメロドラ風になりそうなところを、コメディを加えて、うまく演出している。
この中で、作家がつぶやく言葉が胸に残った。

多くの人は、間違った場所で幸せを探している。
幸せになるには、まず自分を認めること。


監督のエリック=エマニュエル・シュミットは、インタビューの中でこの映画について、以下のように語っている。

大事なのは私たちが心の奥に持っていて、今の社会生活によって抑えられている生きる喜びを解き放つことです。オデットがバルタザールにまなざしを向けたように、幸福とはまなざしの問題です。ですから次はバルタザールがオデットにまなざしを向けることで、再び幸福が生まれるのです。

マザー=テレサは言っていた。「愛情の反対の言葉は憎悪ではなく、無関心である」と。
今の時代は、まなざしが必要な時代だ。

この映画で、一番面白かったのは、サイン会で主人公があこがれの作家を前にして、緊張のあまり、自分の名前=オデット、が言えずに、デットとしか言えなかったところである。作家は、デット(debt=借金)とサインしてしまう。映画の予告編でもその場面がちらっと出てくるが、カトリーヌ=フロという女優の演技が見事にコミカルである。
バックを流れる音楽は、ジョセフィン・ベイカー。
結構、おすすめ。

地上5センチの恋心公式HP
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厨房で会いましょう

2007年09月03日 | 映画レビュー
「厨房で会いましょう」というドイツ映画を観た。
天才シェフ=グレゴアと彼が作る料理に恋してしまった人妻=エデンとの物語である。
グレゴアの作ったプラリネを食べたエデンは、その魔法にかかり、彼の料理の虜となってしまう。
なんとも人妻らしいのは、彼の料理を食べに店に行くのではなく、彼の家に行ってただでご馳走になってしまうところである(店のコース料理は5万円もするのであるが)。
そこには当然打算が働いていて、さらにエデンは、「あなた(グレゴア)はいい友人だわ」としつこいくらいに念を押している。
そして、「官能的」と言われるグレゴアの料理を食べた後、家に帰り、夫と熱い一夜を過ごす。
その結果、永らくできなかった子供ができ、家庭内も円満になる。
グレゴアにすれば、「俺ってあんたの何?」って思わざるを得ないが、その返答は「よき友人」である。
考えようによってはひどい人妻であるが、グレゴアの料理は魔法なのだから仕方ないのかも知れない。
二人の関係はグレゴアの一方的な慕情と、エデンの打算と、はっきり区切られているのだが、段々、この境界線が曖昧になってくる。終盤に近づいて、エデンが「今日は料理はいいわ」と言って、グレゴアの身の上話に耳を傾ける場面がある。「料理」という「魔法の快楽」から恋愛に近づいた象徴的な場面のように思える。そして、ラストまで物語は急速に流れていく。
フランスやアメリカ映画であったら、シュールでありすぎたり、ベタになりすぎたりして、うまく行かなかっただろう演出をドイツ映画は見事な手腕で成し遂げている。
この映画が嫌味にならなかった点として、キャラクターの設定がある。
登場人物はみな弱みを持っており、その弱みを隠そう(あるいは気にしまい)と一生懸命に生きている。
ずうずうしいエデンも十分自分の打算に気が付いており、何らかの形でグレゴアに借りを返したいと思っているし、強さの象徴であるエデンの夫クサヴァーもグレゴアに弱い自分を見せている。
自分に置き換えてみると、私はクサヴァータイプだと思う。弱みを見せまいと強がっているが、絶対の自信があるわけではない。逆に弱いからこそ、強がっている。クサヴァーがグレゴアにドア越しに泣きながら告白する場面はこちらも泣けた。妻に対する愛情表現も、子供に接する態度もよく分からない。そのくせ、他人に対しては優しい。これは国を越えて多くの父親が抱えている問題ではないだろうか。
エデン役シャルロット・ロシュも可愛かったし、クサヴァ役のデービット・シュリトーゾフ、給仕役のマックス・リュートリンガーと言った日本では全く馴染みのないキャストもよかった。もちろん、主役のヨーゼフ・オステンドルフもはまり役で申し分なかった。
いい映画だったと思います。
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