木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

inspire

2010年12月20日 | 日常雑感
カタカナ英語はあまり好きではないのだが、時折、インスパイアという言葉を耳にする。
何かからヒントを受けたとか、触発されたという意味で使われることが多い。
たとえば、ローリングストーンズにインスパイアされた曲、みたいな感じ。
インスパイアは、名詞形のほうが馴染みがある。
インスピレーションである。
この語は、神様が人間に与えてくださったひらめき、という感じで本来は宗教的な意味合いの強い語である。

冒頭でカタカナ英語は好きではない、と言っておきながら、確かにインスパイアとしか表現できないケースがある。
人と話していて、話の脈略とは全く関係ないところで、重要なことを考えつく時などだ。
気付き、と言ってもいいのかも知れない。

考えて考えて分からないことは、一度忘れたほうがよい。
本当に考え抜いている事柄なら、いつか自然に答えが出るはず。
まだ答えが出ないのだったら、それは機が熟していない証拠。

世の中には人智を超えた力があって、その流れに乗っていけば、必ず正しい場所に辿り着ける、という考えは宗教的過ぎるだろうか。
でも、じたばたするから、かえって深みにはまってしまうことのほうが多いような気がする。
苦しいときほど、じっと耳を澄ます。
そうすると、インスパイアされることが多いはず。

人生は地図を持たないで旅をしているようなもの。
この道の先はどうなっているのか分かれば楽かも知れないが、行き先が初めから分かってしまえば、歩く気も起こらない。
苦しみながら、もがきながらも、行き先の分からない人生を歩んでいくのが自分にはあっている。
道に迷ったときには、インスパイアされた声に従って。


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