木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ハギトモの夢は続く

2012年04月11日 | 日常雑感
夢というのは、努力の総量と、夢のために諦めたものの総量の和によって成立するのだと思っていた。

名前は忘れたけれど世界的アルピニストである日本人夫婦を追うドキュメンタリーがあった。
ふたりは1年のうち何十日も海外に遠征しているので定職は持てず、収入は登山用品のアドバイザーや登山教室での教師としての収入などで、多くはない。
普段は、家庭菜園で採れた野菜を中心に、かなりつつましい生活をしていて贅沢はないが、登山用品には金を惜しまない。登山用品の節約は生命にかかわるからだ。
そのドキュメンタリーを観たとき、ふたりのベクトルは「登山」という一点に集中していて、いささかの揺るぎもないと思った。
この時、大きな夢のためには、その他大勢の多くのものを諦める必要がある、と思った。

けれども、このふたりは無理をしてまで我慢しているのではなく、自然体なのだろう。
これまた名前を忘れてしまったが男子プロゴルファーの誰だったかが、「浴びるほど飲んだ酒だが、プロとして活躍するようになると、自然と飲みたくなくなった」と言っていた。飲むことによって得られる満足と、飲むことによって引き起こされる不利益を引き算した結果なのであろう。

ハギトモのブログを読んでいると、努力もするが生活も楽しむ、という姿勢がよく分かる。
眉間に皺を寄せて努力している姿勢は、独りよがりなのかも知れない。
難しい顔をしている者だけが努力している者ではない。

何かを我慢することによって、夢を達成しようとするのではなく、夢を達成したいから、何かを我慢する。
本末転倒にならないようにしなければならない。
夢は元来、わくわくして楽しいもの。
だけど、すぐ達成できるものは、夢とは呼べない。
達成困難だからこそ、夢は楽しい。
楽しいから途中、苦しくても頑張れる。たとえ、その結果、その夢が達成できなかったしても、夢は姿を変えただけで、新たな夢が出現する。
またその新たな夢に対して頑張る。この繰り返しで、いつか大きな夢に到達できるものと信じている。

ハギトモは著書の中で書いている。

いつから心から楽しんで泳げなくなってしまったのか。本当に情けなかった。
そんな私に、再び泳ぐ楽しさを教えてくれたのは、素晴らしい人たちの存在だった。たくさんの温かさ、優しさに触れ、心の中の大きな何かがスーッとなくなっていくのを感じた。水泳はこんなに楽しかったのか、と真剣に感じてしまったくらい。いつしか”競泳”でなく”水泳”を純粋に楽しめるようになっていった。

私は結果よりもずっと大切なことがあると思うのだ。それは自分自身がどこまで真剣に頑張れたのか、本気で努力できたのか、ということ。そこまでたどってきた努力の過程を一番大事にしなければならないのではないだろうか。
他人が判断した結果なんて、どうでもいい。ただ自分の中で一生懸命になり、やり終えたいう実感さえあれば最高だと思う。それがその後の人生に生かされていくのだから。
自分がしてきた努力は、絶対に裏切らない。

時は刻一刻と刻まれている。その瞬間、瞬間を一生懸命に生きられたら、どんなに幸せだろう、どんなに素敵なのだろう。どんなときでも一生懸命なわたしでありたい、どんなときでも素直な自分でありたい、と思っている。 
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こんな風に素敵に考えるハギトモは、いつか夢を叶えるに違いない。
負けてはいられない、と思う。


アマチュアに引退はない。

これもハギトモの名言だ。ママになりながら、次のオリンピックを目指したって構わない。
別の夢になって構わない。
打算を超えたところに、本当の夢はある。

参考:ハギトモ~いつも笑顔で ベースボールマガジン社

ハギトモのブログ「いつも笑顔で」

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