木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

坐漁荘~西園寺公望とアイスクリーム

2013年11月24日 | 人物伝
今日、11月24日は西園寺公望の命日である。
西園寺は公家の出身であるから幕末の時期には目立った活躍はしていない。
鎮撫する任を負って西日本を行脚したくらいである。
この鎮撫というのは形式的なもので、新政府が書類を諸藩に渡す際に、重々しさを出すために皇族を同行させたに過ぎない。

政界で活躍するようになったのは、岩倉具視の引きや伊藤博文らとの親交もあったが、皇室と政界のパイプ役としてうってつけだった点が大きいと思われる。
若いときにパリに留学した経験からリベラリストで、自由民権運動にも傾倒した。
皇室の持つナショナリズムとリベラリストで親欧米派としての顔は相反するものであったが、二.二六事件でも襲撃されることなく天命をまっとうしている。

公望七〇歳のとき静岡県興津町(現静岡県静岡市清水区)に建てたのが坐漁荘(ざぎょうそう)である。
昔は窓を開けるとすぐそこは白浜があり、その先に波打ち際が見える風光明美なロケーションだった。
今では目の前にあった砂浜は埋め立てられ、バイパスの高架を望む殺風景な光景になっている。
決して広くはない屋敷だが、海側の窓が大きいため明るく、段差のないバリアフリーの構造となっている。
「坐漁荘」とは、座して釣でもしながら暮らそう、という意味であるが、実際は楽隠居して釣三昧の日々とはいかず、政界の実力者のもとに「興津詣で」が絶えなかった。

本物の坐漁荘は明治村に移され現存しているが、興津にはレプリカが建設されている。
レプリカではあるが、細部まで凝った造りで、本物に酷似している。
この辺りには公望や、同地に長者荘を建てた井上馨に所縁のある方々が今も住んでおられて、運営を手伝っておられる。
そのせいで、愛情のこもった施設になっている。

坐漁荘での公望の楽しみは、好みのパンを食べることだった。
興津は田舎だが、一方では清水港を目の前に持ち国際的な面も持ち合わせていた。
その当時としては洒落た乾物屋もあり、公望はその乾物屋に東京から毎日パンを取り寄せさせていた。
またアイスクリームが好物であった。
坐漁荘にはアイスクリームの輸送用容器(魔法瓶のようなもの)が残されている。
併せて栄太郎飴の缶も残されているから、甘党だったのだろう。
明治の元老がアイスクリームに目をほそめている姿は想像するとほほえましい。
公望はアイスクリームを食べながら、若き日に留学したパリの匂いを嗅いでいたのだろうか。
ブランデーにもこだわりを持ち、酒席には持参することもあった。

公望ほどのこだわりでなくても、ある程度の年齢以上になったら、食にもこだわりを持ちたい。
いい大人がカップラーメンばかり食べているのはみっともない。
今の日本は若者と年寄りばかりが金持ちで中年が貧乏という構図もある。
居酒屋で必死に安いメニューを探すお父さんが多いのも事実。
バイキングでのドカ食いがストレス解消になるのは若者であって、中年になったら工夫したい。
安い素材でも自分で調理し、いろいろ工夫を加えれば御馳走になる。
高い食材は買えなくとも、調理にこだわりを持てば、食材に対するこだわりと同様、立派なこだわりだ。
調味料にこだわりを持つのもいいかも知れない。
お金がなければ頭を使えというところか。
かく言う自分も反省。


若き日の西園寺公望。浪士風の髪型はとても公家には見えない。反骨心というか、少し風変りな印象を感じる。


決して広くはない坐漁荘。贅沢って何だろうと考えさせる。


アイスクリーム輸送容器。案外、贅沢はこの中にあるのかも知れない。

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