江戸時代の東海道は、区間によっては狭い場所も、険しい場所もあった。
急な坂道には滑りを防止するために石畳が敷かれた。
石畳のほうが滑りそうな気がしてしまうのは現代人の感覚で、実際に歩いてみると、意外なくらい滑らない。
現に金谷の石畳にある地蔵尊は「すべらず地蔵」と呼ばれ、受験生の人気を集めている。
現在、残されている石畳は、後世になって復元されたものが多く、江戸時代の石畳はあまり現存していない。
その中で静岡県菊川市の石畳も数少ない「本物」のひとつ。
全長は600m強だが、大部分は復元されたもので、「本物」は161mに過ぎない。
石畳は何年かすると、すっかり本物らしく古びて見える。
後輩も先輩も同じような顔つきになっているが、同じ石でも、江戸時代からのものと知って歩くと、やはり感慨深い。
この石畳の上を江戸の人間が歩いたのだと思うと、過去と現代が繋がって思える。
十返舎一九も松尾芭蕉も参勤交代の大名も歩いた。
人が文を書いたり、絵を描いたりするのは、未来と繋がりたいと思う心からである。
人が生きてきた道を足跡と表現するが、東海道にあって、昔も今も変わらぬ道の上で、文字通り足跡を合わせると、しばし時間が止まったような錯覚に陥ってしまった。
近くをトラックが行き交うが、この空間だけは時間が止まったよう。それだけに少し分かりにくい場所にある。
江戸時代後期のものとされる石の部分
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石畳のほうが滑りそうな気がしてしまうのは現代人の感覚で、実際に歩いてみると、意外なくらい滑らない。
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現在、残されている石畳は、後世になって復元されたものが多く、江戸時代の石畳はあまり現存していない。
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石畳は何年かすると、すっかり本物らしく古びて見える。
後輩も先輩も同じような顔つきになっているが、同じ石でも、江戸時代からのものと知って歩くと、やはり感慨深い。
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十返舎一九も松尾芭蕉も参勤交代の大名も歩いた。
人が文を書いたり、絵を描いたりするのは、未来と繋がりたいと思う心からである。
人が生きてきた道を足跡と表現するが、東海道にあって、昔も今も変わらぬ道の上で、文字通り足跡を合わせると、しばし時間が止まったような錯覚に陥ってしまった。
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