蟻地獄みな生きてゐる伽藍かな
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(季語:蟻地獄ー夏 出典:万両 年代:昭和2年(1927年:28才位)
今眼前の蟻地獄が蟻をを呑んで、
生きているようにうごめいている。
それからこの寺院内にある無数の蟻地獄を思いやり、
みなこうなのだと、
この人気なく、
森閑とした寺院内で無数の無言の殺戮が、
繰り広げられているさまを想像したのである。
流伴鑑賞
素十、誓子に比べるとその名を聞くことは少ないが
虚子門下の名手といわれる
勇気定型を忠実に固守して見事の作が多い
散文や詩、短歌とも違う、
有季定型(五七五+季語)を知悉した
作者ならではの傑作といわれている
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(季語:蟻地獄ー夏 出典:万両 年代:昭和2年(1927年:28才位)
今眼前の蟻地獄が蟻をを呑んで、
生きているようにうごめいている。
それからこの寺院内にある無数の蟻地獄を思いやり、
みなこうなのだと、
この人気なく、
森閑とした寺院内で無数の無言の殺戮が、
繰り広げられているさまを想像したのである。
流伴鑑賞
素十、誓子に比べるとその名を聞くことは少ないが
虚子門下の名手といわれる
勇気定型を忠実に固守して見事の作が多い
散文や詩、短歌とも違う、
有季定型(五七五+季語)を知悉した
作者ならではの傑作といわれている