竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

ものたりぬ自適の気儘秋深む たけし

2014-09-09 | 
ものたりぬ自適の気儘秋深む   たけし








「悠々自適」という言葉があるがただの「自適」は「きまま」といった軽いもののようだ

「悠々」には泰然とした趣があって迷いとは無縁の余裕さえ感じる

気ままな「自適」な暮らしもそろそろ10年

なにか物足りない気分を抑えきれない

秋になると先行きの漠然とした不安がよぎるせいだろうか

人生の終着に向かっての残機かもしれない





去年の一句
秋団扇二人の無言はやしたて   たけし

ひとつ灯にそれぞれ刻む夜長かな たけし

2014-09-08 | 
ひとつ灯にそれぞれ刻む夜長かな たけし








「俳句が突然のように脳裏に浮かぶ」と話す人がいる

そんなことがあるとは思えないでいた

俳句は文芸でそれ以上でもそれ以下でもあるまい



掲句は初めての経験

相棒との夕食後のひととき

私は書き始めている自分史を読みァえしながら手を入れている

相棒は図書館への返却日の近い「白蓮」を読んでいる

外は静かな雨

ひとつ部屋にそれぞれの時間が流れていた



昨年の一句

退屈をもてあましたか放屁虫  たけし



名の知れぬ小鳥ばかりや留守居番   たけし

2014-09-07 | 
名の知れぬ小鳥ばかりや留守居番   たけし








近くに子供や孫たちが住んでいるが

住まいは妻との二人居である

必然的に片方がでかければ相棒は留守居版となる

家にはひとりでいることに慣れていない私には苦手な役目だ

玄関のチャイムが鳴っても居留守を決め込んだりして

帰宅の相棒の顰蹙をかうこともしばしばである

風化せし仏と唱う花野径 たけし

2014-09-06 | 

風化せし仏と唱う花野径 たけし








秋の花野径を歩く人々はみな柔和な面持ちだ

近くの河畔 散策の人が多い

路傍には太古から存在していたかのような石が無数にある

風化仏という言葉もある



私も散策しながら

同化したように柔和な面持ちで風化仏と唱っている

綻びに空のよろしく秋簾 たけし

2014-09-05 | 

綻びに空のよろしく秋簾 たけし









夏の強い日差しを防いでいた簾も

この基節になると片付けられたり

巻き上げられたりしてその役目を解放されている



時に少し誇ろ似たものがそのままになっていて

その綻ぶから真っ青な空が覗いていたりする

日暮れまでまだすこしの間がある

この小さな空がよろしいと思えてきた

秋収む老農呵呵とコンバイン たけし

2014-09-04 | 

秋収む老農呵呵とコンバイン たけし






<秋収む高齢ばかり野良のひと>

先日この句を投稿しましたがなんとも当たり前

そこでおなじふうな句意ですが

現代の農家で矍鑠としている老農を表現してみました

「呵呵大笑」の「呵呵」でその感じが表現できたつもりですが

如何でしょう・・・・



去年の今日の1句
<おざなりの一顧一礼八月尽  たけし>

秋日差し水面にゆれるフエエスコ画 たけし

2014-09-03 | 

秋日差し水面にゆれるフエエスコ画  たけし

ゆうらりとしまいの美学葉の落ちる

恐竜とむさぼっている秋日和






昨日は所属の俳句会の吟行で栃木県佐野市葛生町を訪れた
総勢28名の句会が行われ私は掲句3句を投句したが

<恐竜とむさぼっている秋日和>が4点 あとは無得点

フォトは伝承館という文楽人形を所蔵後悔している文化施設の
壁面に描かれているフレスコがの一部
といってもまだ未完成だ

縦6m横22mの大きなもの いまだ製作途中で感性は平成37年との事
「句友と完成した頃まと来よう」
「生きていたらな」

葛生には原人がいたという
化石もたくさん出土していて「化石館」もある
恐竜の大きなフィギアもあった
外は秋蝉 秋日和 落ち葉 新涼 秋満喫の一日だった

停まりたきもの失われ赤とんぼ  たけし

2014-09-01 | 
strong>停まりたきもの失われ赤とんぼ  たけし







稲刈りの季節が終わると赤とんぼが目立つはずだが

ここのところめっきりと姿が減った



飛んでいる赤とんぼが停まるところが

どこにもないというふうに

弱々しく見えるのは気のせいだと思いたい



人に住みにくい環境は

彼らにはもっと辛いのだと思われてならない