温故知新~温新知故?

音楽ネタが多いだろうけど、ネタのキーワードは、古きを訪ねて新しきを知ると同時に新しきを訪ねて古きを知るも!!

遅ればせながら 映画「息もできない」見てきた

2010-08-01 20:56:24 | 映画、TV、ミュージカル、エンタ
「息もできない」を見てきた。
映画『息もできない』予告編

息もできない
出演:ヤン・イクチュン、キム・コッピ、イ・ファン

結論から言うと、いい映画だ。
私の嫌いなシリアスなエンターテインメント性のない映画。
実は4月頃にさとなおさんのウエブで感想を見て、見たいなと思ったけど、浜松では上映なし。
www.さとなお.com(さなメモ): 映画「息もできない」
俳優陣も文句のつけようがない。ヨニ役の女性はちょっと可愛すぎるが、その存在感、そして泣き方のうまさたるや。板東英二似のマンシクや、槇原敬之似のファンギュもよい。あえて言うとヨニの兄弟役(重要な役どころ)にもう少しだけ狂気が感じられると良かったか。
ちなみに、公式サイトで観られる予告編は、(日本向けに編集したのか)サンフンとヨニの心の触れあいに寄りすぎている。日本用のポスターも少々甘い。この映画はそんなものではない。だからここでは韓国版のポスターを貼り付けておく。ヤン・イクチュン。まさに糞バエ。でも実に愛おしい。この感じは実際に体験しないとわからないだろう。必見だ。
…シバラマー。
この言葉が脳にこびりつくなぁ。

そこで、今日まで待ってやっと見たというわけだ。
全体に、私の世代では1960年代の日本の風俗を反芻するような感じで見れた。
特に冒頭の学生運動のシーン、そうだったようなあ、とかありそうな話だなあとか言う感じで見れて懐かしかった。
主人公のそれぞれの家族の住んでいる家や家族など、当時そうだったようなあというようなリアリティを韓国映画なのに感じてしまった。
当時私は東京渋谷の小学校に通っていた。

シリアスで泣くような映画だが、私にとって唯一のエンターテインメント性は、高校生役のキムコッピ。
かわいいなあ、うまいなあ。
ファンになってしまった。
息もできない
キム・コッピ【ヨニ役】
小学生のころから舞台に立ち、子役として多数の映画でキャリアを育む。1997年、フランスのImage Aigue Theater に加わり、世界中の演劇祭に参加した。2002年、パク・チャノク監督の『嫉妬は我が力』でムン・ソングンの娘を演じ、スクリーンにその魅力を放ち注目される。2006年、韓国初の本格的ミュージカル映画といわれ、チョン・ゲス監督が百想芸術大賞新人監督賞を受賞した『三叉路の劇場』では、100倍の難関を乗り越えて主役を射止め、歌って踊ってコミカルな演技も披露し高く評価された。その他の出演作に『チャーミング・ガール』(05)、『シティ・オブ・バイオレンス-相棒-』(06)、『うちにどうして来たの』(09)など。本作で、大鐘賞新人女優賞、青龍映画賞新人女優賞はじめ数々の女優賞を獲得した韓国映画界期待の若手女優。

上映していたのは、浜松のいい~らという名前の劇場。
いい~らとは遠州弁で「いいでしょ」と言う意味。
以下のウエブで見ていただければわかるけど、マイナーな硬派な映画を選りすぐって上映している。
この劇場はたいしたもんだ。がんばっている。
今回初めて行ったけど、今後も何回か行きそうだ。
上映作品

息もできない  (韓国・130分)
監督 ヤン・イクチュン  出演 ヤン・イクチュン  キム・コッピ   他
8月1日(日)~8月6日(金


町山×宇多丸『ハートロッカー』論争と、『息もできない』 - ぼうふら漂遊日記
息もできない/???: LOVE Cinemas 調布
韓国語を全く知らない私ですら途中から「シーバルノマ」(本当の発音は知りません。)という言葉がどうやらスラングなんだろうなと想像がつくぐらいの連発ぶりです。

映画「息もできない」 :: 山田あかね * ベストセラー作家へのケモノ道
だから、途中で、「え?これ、時代設定いつだっけ?」という思いにかられた。けれども、携帯電話が普及しているので、現代なのだと確認しながら見る次第。それほど、物語の内容が、過去のお話のように見えた。そして、描かれる人物像も、「過去のひと」っぽかった。

現代に甦った"梶原一騎ワールド"韓流ステゴロ映画『息もできない』 - 日刊サイゾー
映画評論家 兼 弁護士坂和章平の映画日記 : 息もできない(韓国映画・2008年)

ネット上では実名か匿名か? 匿名がいいんじゃないの

2010-08-01 11:06:44 | コンピュータ、ハイテク
今日朝、時間つなぎにサンデイモーニングを見ていたら、ネット上の誹謗中傷などの事件を取り上げて、匿名性やバーチャルにのめり込む危険性を訴えるという聞き飽きた文脈でそれなりにもりあがっていた。
また、韓国の俳優などが自殺に追い込まれたのはネット上の誹謗中傷が原因だったといっていた。

匿名で、皆が無責任なことを書き込むからいけないんだ、すなわち匿名性がいけないということをにおわすような文脈は本当にいいのだろうか。
確かに、みな匿名のメリットは感じているらしく、匿名をやめろとはいわないけど、文脈は上に書いたような扱い。
またバーチャル云々でのめり込むのは、実際はリアルな付き合いの方が大事なので、そちらにウェイトを置くべきだとも言っていた。
これは、その通りだと思う。
しかし、それらが渾然一体となっているところに問題があるような気がする。

匿名性が悪いから、排除するというような方向に向かうのは非常に危険だと私は思う。
完全に排除できずに、裏社会の方に流れて行くだけでしょう。

だから私は、過激な意見だけど、ネット上のつきあいでは実名禁止にすればいいと思う。
現実でも、匿名というのは使われているし使われてきた。芸名やペンネームはその典型でしょう。
だから、匿名性というのは異様なことではない。人間の生み出した知恵でしょう。

匿名性をもっと打ち出すと同時に、バーチャルな世界の限界を明確にするべきだと思う。
現実の社会の限界も当然しっかり把握すべきだ。でも、これは人間は空を飛べなかったり、容姿を変えるのには限界があったり、寿命があったりするのは、皆、自然に認識していることなので、バーチャルと比べてあまり声高に言う必要はないと思う。
そのバーチャルの限界の中で、ビジネスをして成功するのはいっこうに構わない。ただし、そこでそれを楽しむ人も、儲ける人も、救われる人も、バーチャルの限界を知っているということが大事だと思う。
バーチャルと現実では私は現実に重点を置きたいのだけど、本来はどちらが優れているとか優劣を付けることではないのかもしれない。

そのなかで、いわゆる有名人は、一般人とは違って注意が必要だろう。芸名=その人本人を容姿や、経歴など特定できてしまうからである。
だから、有名人がネット上で匿名の人から誹謗中傷され追いつめられ、ストレスで自殺に追い込まれてしまうのは大いにあり得ることであろう。
そう考えると、芸能人も、ネット上では別の匿名を持つべきなのかもしれない.