ケンのブログ

日々の雑感や日記

中秋の名月は磨りガラスごしに見るようだった

2018年09月25日 | 日記
昨日は中秋の名月と言うことで夜空を眺めたけれど
空は曇っていた。
曇っていて全く月が見えなかったかというと
そうではなく空のほぼ全体を薄い雲が覆っていて
その雲の覆いの向こう側にぼんやり月が見えた。
雲の覆いの向こうに月が出ているので
磨りガラスごしに見た月のような感じだった。
いっそのこともっと曇っていて
月が全く見えなかったのならば
松尾芭蕉ではないけれど

霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき

という具合に月も見えなければ見えないで
それもまた一興とあきらめもついたのかもしれない。
しかし、磨りガラスごしに見えるような月は中途半端だなあと思った。
ただ、僕は月って中秋の名月の日が特別美しいとは限らないと思う。
自分が美しいと思って見た月はどんな月でも
美しいはず。
金光さんが法事は親や先祖の恩を忘れないための大切な日
祭りは神の恩を忘れないための大切な日とおっしゃっていた。

それと同じことで中秋の名月の日も
きっと月があることのありがたさを思い出すために
大切な日のように思う。
 
最近、僕は雨が降った日は視界がクリアで
夜景がきれいだなというのを頻繁に感じるようになった。
このことをネットで調べてみると
あるサイトに雨が降ると水で空気中のほこりが
洗われるからそれで空気が澄んで
雨が降った日は視界がクリアになるという説が紹介してあった。

それを読んだ時、きっとそうだろうなと思った。

そんなことを考えていたら
忌野清志郎さんの「雨上がりの夜空に」という歌のタイトルが
とても気になるようになった。

雨が降ってやむと例えば百貨店のネオンサインなど
近景の夜景は本当に鮮やかになる。

しかし、雨があがりかつ夜空がきれいとなると
雨があがって、かつ、空は晴れているという
条件を満たさなければならないのだろう。

その条件が満たされるのがどれほどレアなことなのかは
僕は気象にうといのでわからないのだけれど、、、。

しかし、雨があがって視界がクリアになって
空も晴れれば、星や月はきれいだろうなと思う。

OH雨あがりの夜空にながれる
WOO ジンライムのようなお月さま

忌野清志郎さんはどんな夜空を想像して
この詞を書いたのだろうと思う。