ケンのブログ

日々の雑感や日記

オーケストラアンサンブル金沢大阪定期公演2018年9月23日

2018年09月27日 | 音楽
去る9月23日ザシンフォニーホールにオーケストラアンサンブル金沢
大阪定期公演を聴きに行った。
指揮は川瀬賢太郎さん
管弦楽オーケストラアンサンブル金沢
最初に演奏されたのは
ハイドン作曲 交響曲第90番ハ長調Hob.1-90
第一楽章は短いイントロに続いてアレグロの主部
第二楽章アンダンテ 第三楽章メヌエットと
続き、ハイドンの交響曲はある意味決まり通りで
聴いていて安心感があるなと思う。
こういう安心感ってハイドンの魅力のひとつだと思う。
オーボエやフルートの音が普段ベートーベン以降のシンフォニーを
聴いているとずいぶん古典的な響きだなとしみじみと思う。
楽しく安心して演奏を聴いていた。
指揮者の左手一直線に3プルト ファーストバイオリンが並んでいる
小編成なので小気味良く演奏が進んでいく。
4楽章も快調に演奏は進んでいった。
曲がいかにもこれで終わりというような展開になり
指揮者が最後の棒を振って体を左に回転させた。
曲の終わりで体を左に回転させるような指揮のしかたしたら
あかんがなと思ったら
指揮者はまた曲の続きを指揮し始めた。
会場では拍手が始まっていたし、僕もあれ?と思った。
また、曲がいかにもフィニッシュという感じになって
指揮者は体を左に振った。
また、曲のフニッシュで指揮者はあんなからだの振り方
よくないやろ と思った。
そうしたら指揮者はまた曲の続きを指揮し始めた。
もちろん今度も会場の人は拍手をした。
また曲がフィニッシュの感じになった。
指揮者は会場に手を差しのべ今度は
観客に自ら拍手をうながした。
今度はほんまにおわりやと思った。
本当に今度は終わりだった。
ジョークと思いつつも
ハイドンはこういうジョークでお客さんを
楽しませたのかなあと思ったら
なんだかハイドンの人柄がしのばれるようでちょっと胸がいっぱいになった。
ベートーベンの交響曲第4番の第四楽章は
最後の部分でこの楽章のメインテーマをとてもゆっくりと
引き伸ばしたように奏で
次の瞬間にそれとは逆にそのテーマを思いっきり速く奏でて終わる。
1990年くらいにロンドンのバービカンセンターで
ベートーベンの交響曲4番をロンドン交響楽団
ティルソントーマス指揮で聴いたとき
コンサートのプログラムの楽曲解説執筆者が
ベートーベン交響曲4番のこの終わり方に言及して
これはハイドン流のジョークと書いていた。
なんか、そのプログラムの楽曲解説を読んだときの感動もよみがえった。

次に演奏されたのは小山実雅恵さんをピアノソリストに迎え
モーツァルトピアノ協奏曲第20番ニ短調 K .466
第一楽章
曲が開始したときスカスカの演奏だなと思った。
モーツァルト特有の陰陽
短調のなかにそこなかとなく見られる微笑み
そいいうものが聴き手の僕にまったく伝わってこない
スカスカやんか、と思った。
ところがピアノのソロが入るとピアノには
それなりの深みもあり
そしてオーケストラの演奏にも深みが増したように思えた。
いやあ、ピアノが入るとオーケストラの演奏も変わるな
音楽ってやはり気が伝播する性質があるんだなとしみじみと思った。

第二楽章
最初の入りは実雅恵さん丁寧で心がこもっているなと思った。
譜割りが細かくなるところで実雅恵さんは
テンポを加速していかれた。
しかし、それで演奏の緊張感が高まったかと言えば
それはちょっと微妙だなと思った。

第三楽章
楽章の途中でオーボエが息をのむほど美しいモチーフを奏で
それは見事に決まった。
美しいと思った。
実雅恵さんはベートーヴェンのような重みで
モーツァルトを弾いておられるなと思う場面もあった。
全体を通してピアノの音がつながりすぎかなと思うこともあった。
こういういところは本当にモーツァルトは微妙に難しいなと
しみじみと思う。
でも実雅恵さんの演奏はいわば実雅恵品質はいつも
保たれるのでそういう点は安心して聴けるなと思った。
最後に指揮者がハイドンに続いてまた体を左に
大きく半回転くらい振ってフィニッシュした。
なんかしまりのないフィニッシュの動作のように感じられた。
指揮者は動作で思いを演奏者や観客に伝える面があるので
動作は大切と思った。
ああいう動作だとなんか振りっぱなしで最後は終わりという
印象を持ってしまう。


20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが
ベートーベンの交響曲第5番
第一楽章
なんかスカスカの演奏と思った。
規則正しく緊密な音楽にこめられた
ベートーベンの思いがほとんど伝わってこないように感じられた。
音だけを追っているからこういうことになるのかとも思ったし
指揮者の体重が軽いせいもあるかもしれないと思った。
このままの勢いでいったら全曲を通して
どんな演奏になるかと心配したけれと
第二楽章からは持ち直した。
第二楽章
木管の音色がとても綺麗でしみじみとした感じ。
こういう木管の音のしみじみ感はベートーベンの
時代から始まるのかなと思った。
第三楽章
まずまずよかった。
トリオのところで弦楽器が音の勢いをさばききれず
アンサンブルが乱れているように思えた。
他にも演奏のところどころに素人の耳にも
アンサンブルが乱れていると思えるような箇所かあった。
トリオは全曲のなかでも聴かせどころのひとつと思うので
ここが弾ききれてないと感じるのは残念と思った。
第四楽章
トロンボーンとトランペットのファンファーレを聴いて
第二楽章の木管もそうだけれど
管楽器のオーケストラにおける役割も
ベートーベンは変えてしまったんだなと思った。
同じ日にハイドンの交響曲と並べて聴くことで
それを再認識することができてよかった。
ティンパニーの方が手首をうまく返して
楽器をたたいておられ、しなやかでいい感じだった。
ああいうティンパニの演奏の仕方もあるんだなと思った。

いろいろと勉強になる演奏会だった。