ケンのブログ

日々の雑感や日記

窓を開けて冷房をつけて走る電車はクレイジーに思える

2020年08月01日 | 日記
二年ほど前に家の窓を開け放してそして冷房をつけたままでかけて帰ってきて本当に心の底からしまったと思ったことがある。

冷房は開け放された窓から吹き込んでくる暑い空気を冷やそうとフル回転していた。

その月の電気代はいつもの月よりかなり高いものになってしまった。

今、この暑いのに窓を開けて冷房をつけて電車を走らせている鉄道会社は基本的に窓を開け放して冷房をつけっぱなしにしてでかけてしまった僕と同じことをしているように思える。

そこの鉄道会社の社員は自分の自宅の窓を開け放して冷房をつけっぱなしにして毎日仕事に出かけられるだろうか。

そんなことしたら電気代は無茶苦茶高くなるしクーラーの寿命も縮んでしまう。怖くてできないのではないだろうか。

鉄道会社がこの暑いのに窓を開け放して冷房をつけて電車を走らせるのなら、そこの鉄道会社の社員の人は毎日出勤中は自分の家の窓を開け放して冷房をつけっぱなしにしてほしいと思ったりすることがある。

会社の金だから、窓を開け放しにして冷房をつけっぱなしにして走っても社員のふところは痛くないし、大手の会社だから給料は保証されるだろうし、電気代は会社の出費だし、お気楽な身分でいいなあと思う。たぶん大手の会社に就職できなかった僕の僻みも入っていると思うけれど、、。

そして強烈な冷気にさらされて僕はしゃっくりがとまらなくなってしまうことがしばしばという状態になったりする。

鉄道会社の偉い人は頭のいい人が多いからまたいろいろ窓を開け放して冷房をつけっぱなしにして電車を走らせる言い訳と言うか理屈をうまく考えるのだと思う。

コロナの感染予防だと言って。鉄道会社に都合のいいデータを出していかにも窓を開け放して走ることが公共の利益になるということを示したりして。

客にはやれマスクをしろ、咳エチケットに注意を払え、車内での会話は控えろ、周りに気を使え、いっぱい注文をつけておいて、自分たちはいったい何をしているのか。
英語でshowing consideration to othersとアナウンスしている。

へんな英語だなと思っていつも聞いているけれど、ようするに他人への配慮を示せという英語表現がそんなにないから、そんなちょっとへんてこな英語のアナウンスになるような気がする。

外人には意味が通じていない可能性も高いような気がする。

勝手がいいのにもほどがあると思う。

一度だけ「この車両弱冷車となっているのにめちゃくちゃ寒かったですよ」と車掌さんと駅員の人に言ったら車掌さんも駅員の人も「すみません」と口先だけで言ってヘラヘラしたした顔をしておられるように僕には見えた。

コロナだけが病気ではない。コロナ以外にもいっぱい病気はある。窓を開け放して冷房をつけて強烈な冷気を乗客に当てることで生じる様々な病気もあるのではないか。

そして、コロナとコロナ以外の病気を全体的に考えて、窓を開け放して冷房をつけっぱなしにしたほうが確実にコロナ以外の病気も含めて、人が死ぬ確率を低くすることができるということを客観的に、科学的に示すことができたら鉄道会社は堂々とまどを開け放して冷房をつけたらいいと思う。

そして冬は窓を開け放して暖房をしたらいいと思う。

コロナの感染予防と言って何をやっても許されると思ったらそれは鉄道会社の傲慢ではないかと最近思うことが多くなった。

もちろん僕もどの方法ががいいのかわからないでいるのだけれど。

それを考えるために専門家がいるのではないか。

それともコロナの専門家はいないのか?

このままでは、外ではTシャツ一枚で歩いて電車の中ではマフラーをするというところまで考えなければならないところまで来ているなと思う。

冷房が効きすぎる

2020年08月01日 | 日記
今年はコロナで換気ということがよく言われるせいか、換気をしながら冷房もするというところが多い。

自動車でも加速のときに一番エネルギーを消費するので急加速をするタイプの運転は燃費が悪いということがよく言われると思う。

冷房もこれと一緒で換気して温度が上がったところに冷房がかかっていると冷房の機械はその上がった温度を下げようとしてよりエネルギーを消費するはずだ。

つまり電気代も高くつくし機械にも無理な力がかかるということだとおもう。

そしてそのとき冷房からはすごい冷気が来るので結果として冷房が寒いと思うことが今年は本当に多くなった。

そこへもってきて僕はちょっと動くとすぐに暑くなったり、止まっているとすぐに寒くなったりいわゆる体感温度の変化が他の人より大きいのでもう今年は冷房は寒かったり暑かったりするものとあきらめて外に出かける時はTシャツ一枚ででかけるのがほとんど常だけれど、カバンの中には長袖のシャツを入れていく。

例年だとカバンの中には半袖のシャツを入れていくのだけれど今年は長袖にしている。

そのくらい冷房が効きすぎと感じることが今年は多い。

そう感じているのはきっと僕だけではないのだろう。

いろんな場所で「冷房は大丈夫ですか。寒くないですか。暑くないですか」と聞かれる頻度が今年は高くなった。

冷房をかける側の人もきっと冷房のことが気になるのだろう。

ところがそんなわけで僕は体感温度の変化が大きいタイプなのでそれを聞かれると困ってしまう。

ちょうどいいです。と答えていてもしばらくして体が温まってきて服を脱ぎにかかると。「やはり冷房効いてないですか」と心配して声をかけられたりする。

それで僕はなるべく冷房のことを聞かれたら
「冷房は自分で服を着たり脱いだりして調節するので大丈夫です」というふうに答えるのを一応基本にしている。

特に暑いとも寒いとも答えないということだ。

そのように僕が服の着脱で対処するので大丈夫と答えると、
それでは冷房の温度が適切ではないということなのかと不安そうな顔つきになってしまう人と
はいわかりましたと気持ちよく納得する人とにおおきく二分されるということに最近気づいた。

そして僕は服の着脱で対処すると答えて不安そうになってしまう人よりも、はい、と気持ちよく納得してくれる人のほうが好きだったりする。

こういうのは個人的な好みなのでどちらのタイプがよいかわからないけれど、はいわかりました、とすぐに納得する人は、冷房の感じ方は個人差があるからみんなが納得するようにはできないと最初からある程度割り切っている人が多いように思う。

あえてこういうことがらから物事を一般化するとすれば、どうせ誰にでも納得してもらうことなど不可能なのだからと最初から思っている方が思っている本人も気が楽だし、他人の気も楽にさせるということではないだろうか。

少なくとも僕はそう思う。

「服の着脱で冷房は対処するから大丈夫」と言っても不安そうになってしまう人にはなるべく「大丈夫」という言葉に力をこめて言う、というのが大切なのかなとも思う。