新聞に新潟県長岡の花火の写真が出ている。
第二次世界大戦の犠牲者を悼み、そしてコロナの災いが去るようにと願い観客のいない状態で3発の花火が打ち上げられたと書いてある。
観客のいない花火もそれはそれでわびがあってまたいいようにも感じられる。
長岡の花火と言って思い浮かべるのは山下清さんの切り絵だ。夜空に打ち上がられる花火とそこに集まった人の幻想的な風景が描かれていると記憶している。
僕は暑い季節の人混みがきらいで花火は子供の頃からそんなに見に行った記憶がない。
ところがどうも僕の親も暑いときの人混みは好きではないらしく花火は親に見に連れて行ってもらった記憶はなく、おじやおばに連れて行ってもらった記憶が残っている。
淀川の花火も大阪に来て30年以上になるのに一度も行ったことがないなと思う。
毎年浴衣を来た子が大勢電車に乗ったり駅を歩いていたりするのを見て、ああ、淀川の花火かと思う程度だ。
京都の街を歩くと今年はいろんなお祭りが自粛だけれど、それでも浴衣を来た子を多少は見かける。
そういうのを見ると夏だなと思う。
薄着のファッションを楽しむ人が増えて、雨もそんなに降らなくなって、天気図を見たら梅雨前線も見られない。
あれ、もう梅雨明けかなと思って、関西、梅雨明けとグーグルにキーワードを入れて検索したら関西では7月の末に梅雨明けしたと出ている。
いよいよ一年で一番暑いときになるなと思う。
しかし、本屋の雑誌のコーナーに並べられた月刊誌はもう9月号になっている。
春が短いように夏もまた本当に盛りの時は短いのかなと思う。
まあ、暑さやコロナはある程度長引くかなと思っているくらいのほうが辛抱するのにはよいと思うけれど。
新聞にはコロナに感染した人をバカ呼ばわりしたりする風潮がネットにはあるという主旨のことが書いてあるし、実際に自分でもそういうのをネットで目撃する。
感染するとは何事か、他人への迷惑は考えないのか、というような言葉をネットで見かけたこともある。
そういう言葉が多くなると怖いのはコロナか、コロナで人にいろいろ言われることなのか一体どちらなのかわからなくなってしまう。
やはり、人のことをコロナで悪く言うようなことは慎まなければならないと思う。
新聞におぼこい顔の人が出ているので、どんな人かと思ってみると○○大学教授42歳と出ている。
それは42歳なら大学教授で不思議ではない年齢だけれど今の僕の年齢から見ると顔がおぼこく見えてしまったりする。
それだけ自分が年をとっているんだなと思う。