ケンのブログ

日々の雑感や日記

京都市交響楽団第652回定期演奏会

2021年01月23日 | 音楽
京都コンサートホールに京都市交響楽団第652回定期演奏会を聴きに行った。

指揮は高関健さん

客席はソーシャルディスタンスを保つように座席の再指定がなされた。そのためのはがきのやり取りは聴く側にとってもオーケストラの事務局の方にとっても初めてのことばかりだった。

ただ、客席はソーシャルディスタンスで通常の半分の数になっているけれど、オーケストラは通常の京都市交響楽団のフルオーケストラのサイズになっていた。

最初に演奏されたのが
ベートーヴェンの交響曲第4番作品60

第一楽章
曲が始まっていきなり低い弦の音がゴーッという感じで聴こえてきたのでステージに目を凝らすとコントラバスが指揮者の真正面最後方の位置に来ている。

本当に最近はそのときによっていろいろと楽器の配置も違うなと思う。

イントロの部分は最初のゴーッという感じから始まって重くゆっくりした感じで進んでいく。
木管楽器がゆったりしたリズムに合わせて盛んにパッパッと突出するような感じで出てくるけれど、こういう木管の使い方って印象深いなと思う。

イントロが終わって主部に入るとテンポは早めになって音楽が引き締まった感じになってくる。このイントロから主部への切り替えもうまく行ったと思った。

音楽は力強く進んでいったけれどときどき旋律がとても優美になる。そういう部分もとても美しく演奏されていたと感じた。

第二楽章
冒頭で指揮者がふわっとした動きで気を発したけれど、実際に出てきた音はそれほどふわっとしたものではなく、ちょっと硬い目の音だったように思えた。

あれ、と思っているうちに、もう演奏は第二楽章の中間点くらいまで来ていた。

緩徐楽章の演奏にしてはちょっとせせこましいような印象を受けた。

第三楽章
冒頭でこの楽章で一番大切なモチーフを弦楽器が刻むけれど、ちょっとふやけた感じの刻み方のように思えた。

最初のモチーフの刻み方で演奏の印象のかなりの部分が決まってしまうということがある。

とはいうものの最初をバシと決めることもそれほどたやすいことでないようにも思えるし。

全体の印象として、まずまずという感じに思えた。

第四楽章
ここも第三楽章に続いて、大切なモチーフを簡潔に提示して始まるけれど、ちょっと不揃いであるように思えた。

全体としてはまずまずという感じに思えた。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番作品47

第一楽章
指揮者が大きい身振りをしたらそのとおり広大な感じの音が出てきた。

こういう感じの冒頭のアプローチもいいなと思った。

演奏はゆったりと丁寧に進んでいくという印象を受けた。

ピアノが鋭いリズムを刻み始めたあたりから演奏の動きが多様になり迫力がぐんぐん増してきた。

どんどん音楽が盛り上がっていって、途中で泣きそうになった。

第二楽章
冒頭でコントラバスとチェロがとても気合の入った音を出していた。

あまり引き締まった音と思えない側面もあったけれど、まあコロナやし気合が入っているということが伝わってくればそれで十分と思った。

途中でかなり長い時間、弦楽器がピチカートで主要なテーマを奏で続ける部分があったけれど、とても美しく、思わずぐっと体に力が入ってしまった。

弦のピチカートの音をあれだけ集中して聴けたのも本当に久しぶりだなと思った。

第三楽章
冒頭で指揮者がスッとした感じの気を発したら、そのとおりスッとした感じの音が出てきた。
ベートーヴェン4番の緩徐楽章の時には指揮者の発する気と出てくる音がちょっと違うような気がしたので、ここはスッと決まって、心の中でよかったと思った。

弦のトレモロにのって様々な木管楽器が言葉では形容しがたい印象のメロディを次々奏でていく部分があるけれど、木管楽器もさることながら、弦のトレモロが本当に美しかった。

家でCDで聴いているとこういう細かいところはなかなかわからないことが多いのでやはり生演奏を聴けるというのはありがたいことだなあとつくづく思う。

第四楽章
ゆっくり目の始まり方に思えたけれど、演奏が進むにつれてどんどん迫力が増してきた。

ゆったりとしたリズムで木管がテーマを奏でていく部分も印象的だった。

曲がコーダに近づくにつれて演奏の雰囲気がだんだん盛り上がってきて、最後の方は体がぞくぞくしてきた。

本当によかった。

コロナでないときの演奏会だったら、万来の拍手喝采になること間違いなしという素晴らしい演奏だった。

本当にこういうときにショスタコーヴィチの音楽を聴けてよかったとおもう。

暗さのなかに秘められた力強さ、そしてそこに込められたすべてを受け入れる気持ち、そして なにくそ負けるか という思いがショスタコーヴィチの音楽の一番の魅力であり存在価値だと思うので、、、。

コンサートホールを去る時、ひょっとしたら、ベートーヴェンよりもショスタコーヴィチの方に力を注いでリハーサルをしたのではないかというしなくてもいい想像をしてしまった。

そういういろんな想像ができるところも生のコンサートのいいところだと思う。

本当に今日はよかった。