ケンのブログ

日々の雑感や日記

効率一辺倒の社会の限界

2021年01月25日 | 日記
緊急事態宣言ということになって、今までの当たり前がまた急に当たり前でなくなったことも結構ある。

前回の緊急事態宣言のときよりも人出は多いという報道もあるし、それは確かにそうだとおもうけれど、やはり緊急事態宣言で今までと勝手が違うなと思うことはいろいろとある。

このままではコロナそのものでしんどい目に合う人よりも、コロナによる社会の混乱でしんどい目に合う人のほうがはるかに多くなってしまうのではないかと何かと不安になってくる。

電車の中で「ハックション」と声を出してくしゃみをする人は今までは男ばかりと相場が決まっていたけれど、最近は女性でも「ハックション」とやっているひとが多くなったように思う。

それは、この真冬に電車が窓をあけて走っていたら、くしゃみも出るし女性でも「ハックション」とついやってしまいたくなるのだとおもう。

そうでもしないとやってられないみたいな、、、。

僕が読んでいる新聞の文化欄に
「効率一辺倒の社会の限界」という見出しの記事が出ている。

そこには僕の主観で要約して引用すると次のようなことが書いてある。


“”
生態学の五箇公一によれば
もともと、病原性ウイルスには、増えすぎた動物集団に感染症をもたらして数を減らし、生態系のバランスを保つ役割がある。新型コロナはその役割を持って「自然界から送り込まれてきた最新鋭の天敵」とも考えられる。さらに度重なる自然災害や害虫の大発生なども「生態系の回復機能」とも言えるという。

五箇氏はバランスを取り戻ろうとする生態系との共生を図るため、海外資源に依存するグローバル社会や都市集中型社会といった、生物多様性を劣化させるような効率重視の社会からの脱却を訴える。

中略
三宅芳夫氏のように、無限の福利的成長を求める資本主義はそもそも有限の地球生態系とは相容れないとする議論もある。

中略
今までの社会に戻そうというのは、もはやありえない考え方なのだろう。どう変えていくかが問われている。“”と

本当にコロナの収束と言うけれど、緊急事態宣言により自粛、そしてワクチンの接種ということで本当に効率よく収束できるのか不安になることはいろいろとあるように思う。

ワクチンはリスクよりメリットが大きいということらしいけれど、それを主張しているのは僕が覚えている限りでは主としてワクチンを作った製薬会社ではないのか。

本当にワクチンや自粛で効率よくコロナを抑えられるのか。

抑えられたらそれに越したことはないし、僕も手洗い、マスクなど最低限の努力はしているつもりだ。

しかし、それでもし収束しなかったら、やはりコロナと共存していくという考え方も必要になってくると思う。

無限の複利
的成長を求める資本主義は有限の地球生態系とは相容れないという議論もあるという主張も新聞の文化欄に紹介されているけれど
エネルギー問題をとってみても、火力、原子力、風力、太陽光発電のいずれも決して環境に優しいものとは言えないことを考えると本当にそのとおりだと思えてくる。

効率一辺倒の考え方で、生態系のみならず人間同士の関係もかわってしまったように思う。

幼い頃から自動のシステムになれている若い人たちは、本当に言葉を丁寧に話すことができないと思うことは僕の世代なら多々あるし、そういう状況に不安を覚えることもある。

スーパーなどのレジを通っていても、レジ袋はお持ちでしょうか、カードはお持ちでしょうか、カードは作ることもできますがどうしましょう、お支払いは現金でよろしいでしょうか、などとそんな言葉のオンパレードで、おおきに、ありがとうございます、などと言っている余裕なほとんどないというのが現状だ。

本当にこんなことでいいのだろうかという思いがこみ上げてくる。

そんな中で、もうなんとか無事に過ごせますようにとそれを一番に考えている。