新聞を見ると新型コロナウイルス対策をめぐり、入院を拒んだ感染者には罰金とか、緊急事態宣言中に時短営業の命令に従わない事業者に罰金とか、そんな話が出ている。
新聞の書き方は新型コロナウイルス対策をめぐり、感染者には罰金というちょっとややこしい書き方がしてあるので僕の読解力ではこれがコロナに感染したら罰金の可能性があるということに直接つながるのかどうかはっきりしない面もある。
しかし、新型コロナウイルス対策をめぐり、と書いてあるのだから、やはりコロナに感染したら最悪、罰金ということも考えないといけないのかなと思ってしまう。
まあ、それは感染を防ぐためにはやむを得ないことなのかなと思う反面、感染したら罰金もありか、と思うと少なくとも明るい気持ちにはならない。
むしろ、暗い気持ちになってしまうというのが正直なところだ。
本当にコロナということになってから今まで当たり前と思っていた、自由が当たり前でなくなってしまっていて、そういうのってちょっと怖いなと思う。
時短営業に応じなければ罰金というのも経済活動の自由を奪われることにも繋がりかねないし、、、。
本当に、僕は戦争が終わってから生まれたので、戦争の前に、どれだけ国民の自由が制限されていたかは知らない世代だけれど、少なくとも僕が生まれてからは、これだけ、あれしたらあかん、これしたらあかん、こんなことしたら罰金、という時代は今までにちょっと経験したことがない。
別にそれを感じているのは僕だけではないと思うけれど。
コロナそのものも確かに怖いけれど、そのコロナで世の中のあり方が変わってしまうことにもなんとも言えない不安を覚える。
極端なことを言えば、別にコロナにならなくても交通事故で死ぬかも知れないし、コロナ以外の病気で死ぬかもしれない。
原因がなんであれ生き物はすべて、いつか死ぬし、、、。といっそのこと割り切ってしまったほうが気が楽になるようにも思う。
なかなかそんなふうに割り切れないから、みんなしんどいめしているのかもしれない。
生老病死が人間の4つの大きな苦しみというように、やはり、僕も歳をとってやがて死んでいくかと思うと、なんとも言えない寂しい気持ちになることもあるし。
特に、第二回目の緊急事態宣言になってから本当にいろいろと心が落ち込むようなことがある。
例えば、僕はカレーショップなどに行ってもそれほど店員のお兄さんやお姉さんに気軽に話しかけるというタイプではなく、黙々と食べて、黙々と出ていくタイプだ。
しかし、そんなお店のお客さんが極端に少なくなっていて、今までにこやかに料理をはこんできてくれたり、勘定をしてくれていたバイトの子が知らない間にいなくなっていて、お店は、実質ワンオペレーションのような形で営業されているさまを見ると、今までバイトしてた子はどこに行ったんだろうとやはり思ってしまう。
最近いろんなお店やコールセンターに電話してもぎこちない対応をされることが多くなったけれど、要は、人がある程度いるときなら電話に出るのが得意な人が電話に出るとか、ある程度役割分担できるけれど、今は、どんなお店でも、必要最小限の人数でやっていて、本来電話が得意でない人も電話に出なければならないという状況なので、ぎこちない対応が増えてしまうのかなと思えてきたりする。
もう、こういうときはお店の対応が今までと違うと言って短気を起こしていると、それこそことわざにもあるとおり「短気は損気」で短気を起こしたほうが損をしてしまうということになりかねない。
本当にいつまでこんなこと続くかわからないけれど、なんとか辛抱して無事に過ごせますようにとそれを一番に考えて行きたいなと思う。
昨日に続いて、今日も、ベランダから差し込む日差しがやはり強くなっているなと思った。
寒い日は続くけれどやはり季節は春に向かっているなと思う。
そう思って、駅前の桜の枝をちょっと注意してみると、花はもちろんまだ咲いてないけれど、花の芽がふくらんできているように見える。
しかし、中島みゆきさんの歌の文句じゃないけれど、「春なのにため息またひとつ」という気持ちにもなってしまう。
なんとかだんだんと世の中も明るい方に向いていくといいなと思う。
まだ、しばらく時間はかかるかもしれないけれど、、、。