ケンのブログ

日々の雑感や日記

ねずみ 多様性

2022年01月29日 | 日記
新聞の人生相談のコーナーに50代の専業主婦の方の相談が出ている。

“”80代の両親の住む実家にネズミが出るようになった。

最初は天井で物音がする程度だったけれど、次第に食物をかじるようになり、あたりにころがる排泄物は臭くて不潔だ。

両親は捕獲器を置き、就寝前には食べ物を収納するなどの対策をしているというけれど気休めにもならない。

衛生的にもう限界だと思い、業者による駆除を提案するも父の拒否にあっている。

父は、駆除してもまたネズミは来るからと言って聞かない。“”

との相談だ。

本当に、こういう相談を読むと、人によって何を気にするかというのは、まちまちだなと思う。

僕は母方の実家で子供のころ暮らしていた。

母の父、つまり僕の祖父があんこの製造工場を経営していたので、小豆の倉庫にネズミがいて、それが本宅の天井にも侵入してきていた。

もう、倉庫に小豆がある以上は、ネズミがいることはある程度やむを得ないと家族が考えていたのだと思う。

天井でネズミが、ガサゴソ言うので、僕が祖父に「天井でガサゴソ音がするよ」と言ったら、祖父は「あれは、天井でネズミが運動会をしているんだよ」と言っていた。

まだ、僕は小学校に入学する前の年齢だったので祖父にそう言われて、まあ、そんなものかと納得していた。

天井にネズミがいたら、もう、夜にはネズミは、台所などに来ていると考えるのが当たり前。

相談しておられる主婦の方は、はじめは天井で物音がする程度だったけれど、やがて食物をかじるようになった、と書いておられるけれど、そもそもネズミは食物のある所に来るので、主婦の方が気づいていないだけで、もう天井で物音の段階でネズミは下に降りてきて食物をかじっていたはずと思う。

僕の家は、ネズミが食物をかじるどころか、茶ダンスの木材までかじっていた。

だから、茶ダンスはネズミがかじった跡でボロボロだった。

おばあちゃんが適当にニスをぬったりしてごまかしていたと思う。

ネズミ捕りもあった。

ネズミ捕りにかかったネズミを、祖父が、ネズミ捕りのかごに入ったまま、水槽にザブーっと沈めるときは、思わず目を覆った。

本当にあれだけは、子供心にもネズミがかわいそうで見ることができなかったなと思う。

ネズミの排泄物が不潔で臭いも気になると主婦の方は書いておられる。

本当に、その通りと思う。

でも、僕の家は、ネズミがいるので、近所で飼っている猫がよく来ていた。

それで、僕の家の庭で日なたぼっこをして気持ちよくなった猫は、僕の家の庭で、排せつして帰っていくという日々だった。

それで、近所の家に、お前の家の猫が、うちに来て、排せつして帰っていったと苦情を言いに行くこともなかったと思う。

まあ、そういうのも、適当に根気よく掃除していたのだと思う。

猫のふんなどで土が肥えていたこともあるかもしれない。

僕が、小学校の頃、庭に植えたチューリップはいつのまにか庭の中で野生化してしまい、球根をそのまま、土の中に放置していても毎年花をさかせて、祖母がそれを教えてくれた。

まあ、田舎なので、ネズミがいるうちは何も僕の家に限ったことではなかった。

例えば、僕が育った地方では、奥さんが
「朝、起きてきたら、知らぬ間に、頭の黒いネズミが、冷蔵庫の漬物を食べてたよ」と言えば、それは、旦那さんが夜中に、冷蔵庫の漬物を勝手に食べたということで意味が通じる。

まあ、そんなものだと思う。

衛生面が気になるのは、確かにその通りで油断は禁物だけれど、過度に気になってしまうのは、潔癖症の傾向もあるのかもしれないと思う。

ただ、何が気になるかは人それぞれなので、こればかりは、気にするな、だけで片付けることは出来ないと思う。

僕の場合は、新しく、転居した家で、特に小豆の倉庫などないのに、ネズミが走り回るようになって、そのころ、僕は高校生になっていた。

衛生面のことは、僕はほとんど気にならなかったけれど、高校生の頃の僕はネズミの音が気になって仕方がなかった。

それで、母が、ゴキブリホイホイのような粘着式のネズミ捕りを買ってきてくれて、うまくそれにネズミがかかって、あの時はほっとしたなと思う。

ただ、ネズミでも菌でも、ウイルスでも、それが存在することで、自然界のバランスはとれている。

生物学的にはそういうことになると本に書いてあった。

そういうものを、短絡的な視点で悪者扱いして、なんでも退治しようとか、絶対に避けなければと思い込んでしまうと、逆にそれが好ましくない結果を招くことがある。

大きな範囲で言えば自然、小さい範囲で言えば人の世界は、多様性があることでバランスが取れているし、多様性があるからこそ、変化に対応できるということは忘れてはいけないと思う。

多様性のない、単一的な集団は、変化に弱くて滅びやすいということをいつも心のかたすみに置いておきたいと思う。

多様性があるからこそ、変化に対して、様々な手段を講じることができるということを意識しておきたいと思う。