ケンのブログ

日々の雑感や日記

新年に思うこと ゲレンデがとけるほど恋したい

2022年01月01日 | 日記歌入り
大阪で放火をして自殺をはかったとして放火殺人の容疑者になった谷本盛雄さんが亡くなられたと報じられている。

新聞を見ると、
「これで動機もわからなくなり、25人もの命を奪った罪も償わせられない。もし、容疑者に自殺願望があったのなら、思い通りになってしまったようで腹立たしい」と憤りをにじませる。

「なぜ、彼が死ななければならなかったか、せめて法廷で明らかにしてほしかった。犠牲者も遺族もやりきれないだろう」と語った。
※ここでいう彼とは取材をうけた方の知り合いの方です。

というような事件の被害者の知り合いの方々の談話が載っている。

記事そのものは谷本盛雄さんを有罪と決めつけているわけではないことはちゃんとよめばわかる。

しかし、どうしても憤りとか、やり場のない気持ちとか、そういう方向に目が行くから、記事をすっと見ると、もう谷本盛雄さんが有罪であることが前提で話が展開しているように見えてしまう。

「25人もの命を奪った罪も償わせられない」と言って罪という言葉が出ている時点でもう谷本さん有罪確定という印象をどうしても与えてしまう。

罪を償うというけれど、刑事裁判は罪を償うための手続きではないと思う。

ましてや(刑事裁判は)被害者がなぜ死ななければならなかったのを明らかにする手段でもないと思う。

どのような事実があって、その事実を法律に照らし合わせれば、どのような刑罰を科すのが妥当かという法的判断を下すための手続きであるはずだと思うのだけれど。

僕も、それは被害者の方の気持ちを思うとこんなこと書かない方がいいかと思ったけれど、
まだ有罪にもなってない人を勝手に罪人と決めつけて、許せない、やり場のない憤り、罪を償っていないと責め立てていてもなにも出てこないように感じる。

それどころか、このような姿勢が、また、新たな社会的閉塞感を生み、新たな怒りを生むことになるのではないかと思ってしまう。

こういう機会にむしろ

日本国憲法31条には
「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と書いてあって、

裁判で有罪が確定されるまでは、法律上は無罪として扱われることを確認したいと思う。

個人の感想ではありますが、今のような報道の状況ではやりきれない気持ちが増幅されるだけのような気がします。

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寒さにかこつけて広瀬香美さんの「ゲレンデがとけるほど恋したい」をカラオケDAM
の音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければ嬉しいです。

歌詞を見ると、、、

“”今夜はつもるかもしれない“”

普通に生活していたら雪が積もったら困りますがゲレンデには雪が積もったほうがいいですね。

わくわくする気持ちが歌詞によく表れているようで好きです。

“”コートの上から抱きしめといて、ちょっと太ったなんて聞かないで 性格変えたほうがいいかもよ“”
ってコミカルな世界だと思います。

東海地方であまり「性格変えたほうがいいかも」と言われたことはないですが、関西では言われたことがあります。

広瀬香美さんって関西のノリもあるのでしょうか?ウィキペディアの香美さんのプロフィールには6歳まで門真で育つ。それからは福岡で育つと書いてあったのであるいはそのあたりも関係あるかも と思ったりします。

僕、岐阜県の出身ですがスキーしたことありません。確か広瀬香美さんもしたことないとどこかに書いてあったと思います。