ケンのブログ

日々の雑感や日記

寒い一日 ダイアモンド

2022年01月05日 | 日記歌入り
久しぶりに電車で移動。

やはり、寒い。コロナで換気をしていることがよくわかる。

窓は僕が見たところ開いていないようだったけれど、どこかの窓が開いているか、強力な換気装置を運転しているものと思われる。

街に出ても寒い。

みんなの様子を見ると、体をこわばらせて歩いている人もいるからきっと寒いのだと思う。

東海地方に来てから自動車で移動することが多くなったのでつい防寒対策はおろそかになりがちだ。

コンビニで貼るカイロを買って背中に貼ったら確かに効果がある。

たぶん衣服一枚着たくらいの効果は十分にあると思う。

徒歩と公共の交通機関で主に移動していた大阪時代は貼るカイロは冬になるといつも10個単位くらいで買っていたけれどこの冬は初めて買った。

やはり、自動車中心の移動になると寒さに対する感覚が違うんだなと思う。

コンタクトレンズのショップに寄る。

張り紙がしてあって
こんな風に書いてある。

「近隣の眼科が受け入れ態勢を整えないため、思わぬ長時間お待たせする場合がありますのでご了承ください」と。

ちょっと読むと、近隣の眼科に対して、コンタクトショップが快く思っていないような文面になっている。

こういう文章を書く職員の文章力がないのか、それとも、コロナで医療機関の足並みがそろわない苛立ちでこのような文章になってしまうのか。

どちらの可能性も考えられるなと思う。

若い人の文章力がなくなっていることを感じることも多くはなったけれど、、、。
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新聞の経済の傾向を紹介する文章に

1980年から2000年に生まれたミレニアル世代と呼ばれる人は、ブランドなどにはあまり興味がなく、持ち物も必要最低限、物よりもコンサートなどコトに消費する傾向が高い。

なので、物を生産したから、経済が伸びるという時代はもう終わっているという主旨のことが書いてあった。

僕は1962年の生まれでミエニアル世代の親にあたるくらいの世代だけれど、消費性向はミレニアル世代の特徴がよくあてはまる。

要するに、ミレニアル世代に限らず、ものよりコトに消費する人がふえているということなのだと思う。

経済のことはわからないけれど、コトに消費するのはいいことに思えるのだけれど、、、。

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プリンセス プリンセスの「ダイアモンド」をカラオケDAMの音源で歌い、ICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければ嬉しいです。

年末にラジオを聞いていたらこの「ダイアモンド」はプリンセスプリンセスの奥居香さんが当時付き合っていた彼氏のお母さんからお年玉をもらったときに曲が浮かんだとか言っていました。

そういえば、“”コインなんかじゃ売れない愛をくれてもあげない“”とかいうちょっと意味不明とも思える歌詞も出てくるし、お年玉と微妙に関係あるかもと思います。

“”針がおりる瞬間の胸の鼓動やきつけろ“”って、アナログレコードを聴いて育った人ならよくわかる感覚ですね。

ちなみに僕は、針が下りる瞬間の思い出が一番深いレコードは
ブルーノワルター指揮 コロンビア交響楽団の演奏による
ベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」です。
もらったお小遣いで初めて自分一人でレコードショップに行って買ったLPということもあると思います。

いきなり、変ホ長調の主音の三度上の音を旋律として聴かせるような和音が2回なって始まるこの曲の冒頭は、小学校4年生の僕にとっては「何? これ?」という感覚でした。

でも、ワルターの演奏は旋律をたっぷりと歌うタイプの演奏だったので何?これ?という感覚がアレルギー反応にならなくてよかった。

大人になっていろんな情報に接するようになってこの曲が交響曲の歴史の中で、いわゆるエポックメイキングな作品ということを知るに至りましたが、やはり「何?これ?」って子供が思うくらいですからそれはエポックメイキングなのだと思います。

ちょっと話がそれてしまいましたが
ダイアモンドがヒットしていたころに結婚した友達の披露宴の二次会のカラオケでこの歌を僕、歌いました。

当時はレーザーディスクのカラオケだったと思います。

今のようにキーコンなどもなく 奥居さんのボーカルのたぶんオク下で歌ったのだと思います。

そのとき結婚した友達のお嬢さんが昨夏くらいに結婚しました。

友達からの年賀状に「今年は新しい家族が増えました」と書いてあったので、さては友達のお嬢さん、できちゃった婚かと思いましたが、新しい家族は猫のことでした。

最近ペットも家族同様に思う人が多いですね。

ペット葬もあるくらいですから。

僕はペットは飼っていませんがときどきかわいい動物の動画を見ることはあります。

「ダイアモンド」、女性ばかりのバンドということでリズムがとても軽快なところが僕は好きです。






お正月の風景 それぞれの明日へ

2022年01月05日 | 日記歌入り
ある年齢に達してから、僕はお正月だからと言って特別な感慨を持つことが少なくなったような気がする。

例えば、「初詣は行きましたか」と問われることもあるけれど、たまたまその年に初めて行ったお宮が初詣ということで、さあ、これから初詣に行くぞ という意識で出かけたことは最近は記憶にない。

そんな僕だから、お正月はお店も休みということをつい忘れてしまう。

一昨日、ちょっと買いたいものがあって百円ショップに行ったらお休みだった。

街道沿いの百円ショップなので、歩道に自動車を乗り上げてそのさきの駐車場のチェーンが下りていたからああ休みやと気づいた。

歩道を高校生の女の子が自転車で走っていて、僕の車が歩道に乗り上げたのを見て自転車を停止させて「何やってるんや、このおじさん」という感じの顔をしていた。

高校生の子に手を合わせて「ゴメン」という合図をしてそのまま歩道を隣のお店の駐車場まで自動車で走って、そこで方向転換してまた車道に出た。

隣のお店も休みだったけれど、駐車場にチェーンがかかっていなくてよかった。

昨日は年中無休のドラッグストアに夜、行ったけれどがらすきでお客はほとんどいなかった。

まあ、それが正月三が日の世間並ということなのだろうか。

今日、お店に並んでいる食材を見ると、もう特にお正月という気はしない。

やはり、食材コーナーがもっともお正月モードになるのはクリスマスから大みそかにかけてだなと思う。

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今日の新聞に、岐路の資本主義というタイトルの見開き2ページの記事がある。

その記事の中にバブル期を象徴する小説の文章として、村上春樹さんの「ダンスダンスダンス」という小説からこんな一説が引用されている。

「誰も必要としていないものが、必要なものとしての幻想を与えられるんだよ。簡単だよ、情報をどんどん作っていきゃあいいんだ。住むんなら港区です、車ならBMWです、時計はロレックスですってね」と。

ダンスダンスダンス 懐かしいな。

僕もバブルのころというよりも少し遅れて90年代初頭くらいに読んだ気がする。

人がものを使い捨てていけばいくほど、経済がよく回転するんだ というような言葉もこの小説にでてきていたような気がする。

だれもが思っていても、なかなかうまい言葉で言い表せないことを春樹さんはさらっと語ってしまうことが得意なようで、僕も春樹さんの文章を読むと胸がすっとすることが多かった。

「誰も必要としていないものが、必要なものとしての幻想を与えられるんだよ。簡単だよ、情報をどんどん作っていきゃあいいんだ。住むんなら港区です、車ならBMWです、時計はロレックスですってね」、、、。

本当に、ロレックスとかBMWとかそういう情報を真に受けて
「女は男のどこを見てるかお前知ってるか? それはな、時計と車や。そこだけはしっかりしとかなあかんで」とお酒が入ると後輩に説教したりしていた困った先輩もいたりして、、、。

まあ、確かに僕のように、時計のベルトを交換したら時計本体の値段よりも高かった みたいな時計をしているとそれだけで馬鹿にされたこともあったけれど。
(これからもあるかも知れない)

中古の軽自動車を買ったとき、たまたまその隣に置いてあった10年落ちのぼろぼろのBMWの値段よりも軽自動車の値段の方が高かったので、その話を会社の先輩にしたら、ことあるごとに「ナカシマさんの軽はBMWより上ですから」と言われたこともあった。


でも、「情報によって誰も必要としていないものが必要なものとしての幻想を与えられる」って、今のほうがその傾向が強くなっているかもしれない。

高齢者を狙った掛け捨ての保険。サプリ。そして、お店のアプリなども、本当に必要なのか、情報によって必要なものと思い込まされているのかわからないなと思ってしまうことも多くなった。

いろいろと自分なりに気を付けていきたいものだなと思う。

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高校サッカー選手権の季節にかこつけて、数年前の高校サッカーの応援歌だった、家入レオさんの「それぞれの明日へ」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければ嬉しいです。

家入レオさんは、かれこれ10年近く前にEテレを見ていてそこに出演していたレオさんの話が面白いなと思ったときからちょこちょこ聴くようになりました。

テレビに出演した時の話も面白かったし、レオさんのブログもそこそこ面白いと思います。

どこが面白いか具体的に説明できない種類の面白さだと思います。