ケンのブログ

日々の雑感や日記

共通テスト会場での傷害事件

2022年01月17日 | 日記
■情報が遅れる
トンガの海底噴火による津波の情報が新聞に載っている。

高知県の室戸市で転覆した漁船の写真が新聞に出ている。

新聞で見てこれだけ大きい津波が来たことを初めて知った。

テレビがないと情報が遅れるなと思う。

■共通テスト会場での傷害事件

共通テスト会場での傷害事件に関して、読売新聞の社説にこのような記述がある。

“”最近、「生きている意味が見いだせない」「人を殺して死刑になりたかった」などの理由で、若者が電車内で刃物を振り回したり、飲食店に立てこもったりする事件が相次いでいる。

自分だけが不幸だと思い込んでいるのだろうか。失敗や挫折などは誰にでもある。本を読んで他者の苦悩に触れたり、日記をつけて内面と向き合ったりして、視野を広げてほしい“”と。

本当に僕も人間の苦悩について書かれた本をそれほど読んでいるわけではないけど
「ブッダの感興の言葉 中村元訳 岩波文庫」には次のように書かれている。

“”「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。“”と。

本当に、苦しいのがあたりまえ、と思うことはしんどいときに逆に救いになると思う。

僕はしんどいときには苦しいのが当たり前と自分に言い聞かせるように心がけている。

八王源先生も「人生は、しんどいことの連続。たまに、ちょっといいことがある、そして、またしんどい、そんなもんです」と言っておられた。

そして おいしいものを食べて僕が「おいしい」と言ったときの先生の口癖は
「たまに食べるでおいしいの」「ちょびっと食べるでおいしいの。こんなものいつもかも食べとったらどうやらなってまう」だった。

※「たまに食べるでおいしい」 は岐阜の方言で 「たまに食べるからおいしい」 の意味です。

同様に、「ちょびっと食べるでおいしい」は 「ちょっと食べるからおいしい」 という意味です。


夏目漱石の草枕には次のように書いてある

“”喜びの深きとき 憂(うれい)いよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。 (中略) 金は大事だ、大事なものがふえれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。(中略)うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽きたらぬ、存分食えばあとが不愉快だ。“”と。

要するに八王源先生と夏目漱石は同じことを言っているように僕には思えてくる。

ちなみに、草枕は、中学生の時よんで、よくわけもわからずそのまま時が過ぎた。

ある時、ネットで、大ピアニスト グレングールドがこの草枕を大変な愛読書にしていたと知って、もう一度読み直してみた。

読み直してよかったと思った。

本当に、新聞の社説に書いてあるとおり、少しは本でも読んで視野を広げることも大切と思う。

僕が通っていたある歌声教室の先生がこんな主旨のことを話されていた。

「昔の歌は歌詞の中にいろいろ言外の意味がありました。最近の歌を見ていると、言いたいことを全部ちょこまか言ってしまっているようで言外の意味というものが感じられないですね」と。

今の歌が全部、そうとは言えないと思うけれど、それでも、中島みゆきさんとか 小椋佳さんの歌詞に目を通した後で、最近のシンガーソングライターの歌詞に目を通すと、言葉数が多い割には、、、と思うことも多いのは一つの事実だ。

そして、言外の意味の少なさは 想像力の欠如につながり 短絡的な行動につながる恐れが多いと僕は思う。


昔の歌、たとえば小椋佳さんの「ただお前がいい」という歌の歌詞にはこんな一説がある。

“”落とすものなど何もないのに 伝言板の左の端に 今日もまた一つ 忘れ物をしたと 誰にともなく書く“”と。

本当に少ない言葉の中に多くの意味が含まれていると思う。

そしてこの歌の決めゼリフはこうだ。

“”また会う約束など することもなく それじゃあまたな と別れる時の お前がいい“”と。

約束も何もなくても ただ、お前がいることが いい  それだけでいい と小椋佳さんは言いたかったのではないでしょうか。

この世に 自分がいるだけでいい そして 他者がいてくれるだけでいい とそう思うことは感謝ということの基本であると僕は思う。

イエスが 自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい と言ったことも注目に値する。

まず、自分を愛さなければ他者を愛することはできない。

なぜなら 自分を愛するように他者を愛せ とイエスは言っているから。

そう僕は思う。