今日の新聞に宇崎竜童さんのことが載っている。
若いころから片頭痛があって、いろいろ苦労されたという話が紹介されている。
その記事は何回かのシリーズの中の第一回だから、まだ完結していないけれど、この新聞の話をもとにネットで調べてみると、最近もいろいろな治療を試しておられるようなご様子だ。
ただ、新聞に掲載された宇崎竜童さんの写真を見ると、それほど不健康そうには見えない。
胸から上の写真だけれど、顔が二重あご になっているとかもないし、いい感じで年取っておられるように見える。
七十五歳と新聞には出ている。
今年の誕生日で76歳になられるはずだ。
いやあ、このお顔のかんじなら、まだまだ、元気でおられそうな気がする。
新聞のコラムのタイトルも「一病息災」となっている。
ひとつなにか身体で気になることがある人がむしろ、内臓疾患などはそれほどなくて、元気に見えるというか、意外と健康 というのはしばしば聞く話のように思う。
僕、宇崎竜童さんのことで印象に残っていることがいくつかある。
いつか宇崎竜童さんの動画を見ていたら、そのなかで宇崎さんは「イミテーションゴールド」を歌った。
それを、割と狭い会場のお客さんに紹介するとき 宇崎さんは「この歌は 山口百恵さんが18歳の時に僕が書いた曲です」と言われた。
僕、それをきいて、素晴らしい紹介の仕方だなと思った。
ええ、百恵さんこの歌、歌ったとき、まだ、18歳だったのかと思える。
18歳と年齢を入れることで、百恵さんのことをさりげなく称賛している。
「いやあ、百恵は僕の歌をわずか18歳のときに、うまく歌ってくれましたよ」と百恵さんのことをたたえるよりも、はるかに、さりげなくて、やさしいと思った。
百恵さんに僕が書いた曲 というように 下から百恵さんを持ち上げるところがね やはりすごいと思う。
百恵さんと さんづけで呼んでいるところも、すごい。
ところが宇崎竜童さん 別の動画を見ていたら、思い出ぼろぼろ を歌うものがあった。
それを宇崎さんがお客さんに紹介するとき
「この曲は 内藤やす子 のために書いた曲です」と言った。
それを聞いて 僕はそれもまたいいなと思った。
たぶん 内藤やす子さんは 「百恵さんは さんづけで呼んで 私を呼び捨てにするなんて」 とはならないような気がする。
口では冗談でそういうかもしれないけれど。
ほんとうに、竜童さんもすごいひとだなと思う。
■虹と雪のバラード
この季節になると 札幌冬季オリンピックのテーマソングだったこの歌を思い出します。
札幌オリンピックのころ10歳だったので、当時の記憶はいろいろ残っています。
笠谷選手 今野選手 青地選手が70メートル級ジャンプで金銀銅メダルでした。
高所恐怖症だった僕は高いところから飛び降りるのは無理だったので、ちょっとした段差を飛び降りたりしていました。
机に手をついて、笠谷選手の前傾姿勢の真似もよくしていました。
あと、ジャネットリン選手のことも結構話題になり、印象に残っています。
今の 北京オリンピックのことはよくわかりませんが 新聞で見ると羽生選手とか、高木選手 高梨選手など 一線で長く活躍している人が多いような気がしています。
ずっと長くトップレベルを維持することはやったひとにしかわからない大変さだと思います。
札幌オリンピックの頃には 虹と雪のバラードの歌詞にもあるように
街ができるとか ようするにオリンピックをてこに 社会のインフラが整っていくという夢があったと思います。
↓「虹と雪のバラード」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌ったものです。
若いころから片頭痛があって、いろいろ苦労されたという話が紹介されている。
その記事は何回かのシリーズの中の第一回だから、まだ完結していないけれど、この新聞の話をもとにネットで調べてみると、最近もいろいろな治療を試しておられるようなご様子だ。
ただ、新聞に掲載された宇崎竜童さんの写真を見ると、それほど不健康そうには見えない。
胸から上の写真だけれど、顔が二重あご になっているとかもないし、いい感じで年取っておられるように見える。
七十五歳と新聞には出ている。
今年の誕生日で76歳になられるはずだ。
いやあ、このお顔のかんじなら、まだまだ、元気でおられそうな気がする。
新聞のコラムのタイトルも「一病息災」となっている。
ひとつなにか身体で気になることがある人がむしろ、内臓疾患などはそれほどなくて、元気に見えるというか、意外と健康 というのはしばしば聞く話のように思う。
僕、宇崎竜童さんのことで印象に残っていることがいくつかある。
いつか宇崎竜童さんの動画を見ていたら、そのなかで宇崎さんは「イミテーションゴールド」を歌った。
それを、割と狭い会場のお客さんに紹介するとき 宇崎さんは「この歌は 山口百恵さんが18歳の時に僕が書いた曲です」と言われた。
僕、それをきいて、素晴らしい紹介の仕方だなと思った。
ええ、百恵さんこの歌、歌ったとき、まだ、18歳だったのかと思える。
18歳と年齢を入れることで、百恵さんのことをさりげなく称賛している。
「いやあ、百恵は僕の歌をわずか18歳のときに、うまく歌ってくれましたよ」と百恵さんのことをたたえるよりも、はるかに、さりげなくて、やさしいと思った。
百恵さんに僕が書いた曲 というように 下から百恵さんを持ち上げるところがね やはりすごいと思う。
百恵さんと さんづけで呼んでいるところも、すごい。
ところが宇崎竜童さん 別の動画を見ていたら、思い出ぼろぼろ を歌うものがあった。
それを宇崎さんがお客さんに紹介するとき
「この曲は 内藤やす子 のために書いた曲です」と言った。
それを聞いて 僕はそれもまたいいなと思った。
たぶん 内藤やす子さんは 「百恵さんは さんづけで呼んで 私を呼び捨てにするなんて」 とはならないような気がする。
口では冗談でそういうかもしれないけれど。
ほんとうに、竜童さんもすごいひとだなと思う。
■虹と雪のバラード
この季節になると 札幌冬季オリンピックのテーマソングだったこの歌を思い出します。
札幌オリンピックのころ10歳だったので、当時の記憶はいろいろ残っています。
笠谷選手 今野選手 青地選手が70メートル級ジャンプで金銀銅メダルでした。
高所恐怖症だった僕は高いところから飛び降りるのは無理だったので、ちょっとした段差を飛び降りたりしていました。
机に手をついて、笠谷選手の前傾姿勢の真似もよくしていました。
あと、ジャネットリン選手のことも結構話題になり、印象に残っています。
今の 北京オリンピックのことはよくわかりませんが 新聞で見ると羽生選手とか、高木選手 高梨選手など 一線で長く活躍している人が多いような気がしています。
ずっと長くトップレベルを維持することはやったひとにしかわからない大変さだと思います。
札幌オリンピックの頃には 虹と雪のバラードの歌詞にもあるように
街ができるとか ようするにオリンピックをてこに 社会のインフラが整っていくという夢があったと思います。
↓「虹と雪のバラード」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌ったものです。